2月9日~2月11日 岡山・四国旅
毎年旧正月に最上稲荷へ訪れる。そのため、今年はこの週に行くことに。
画像多めの投稿になります。
2月9日(金)午後休で岡山・湯原へ
なじみのお宿で宿泊。この日は愛知から岡山へ移動した日なので、終了。
2月10日(金)湯原▶最上稲荷▶香川▶徳島
毎度の癒しをありがとう✨
また来ることを誓って、B級グルメ王を獲得したこともある蒜山の悠悠へ。
とても美味しい。ここも毎回欠かさず来ている。
食べ終わり、いよいよ最上稲荷へ。
最上稲荷は岡山県北区に位置する日本三大稲荷の一つ。
かつて備中高松城の水攻めが行われた歴史的にも深い出来事のあった場所。
今回で8回目。自分の人生が変わる出来事が起きてからというもの、毎年欠かさずお参りに来ている。
”先勝”は午後2時までOKということだったので、午後1時に最上稲荷入り。
ご朱印帳とお守りを買った。
お守りは今回、”縁守のお守り”を買った。今までは悪縁を断つことに重きを置いてきたが、今年は自分の課に、前の課の時代から縁がある良い職員さんが異動してきたこと、それを機に係の空気が良くなってきていること、次に行く予定の係も、人間的にきっちりとした方であることから良縁に恵まれていることに感謝した。
そのため、「そういった縁をお守りください」という意味を込めて買った。
縁切りの方は毎年欠かしていない。
「縁を結んで、縁を切る」全員から好かれることもないし、むしろ嫌われることの方が多いのが人間。
好き嫌いで人を判断するのではなく、「この人は付き合っていくべきではない、自分にとって足を引っ張られるな」という人を切る、ということ。その人は別の人には良い影響を与えるかもしれないから、その人の人格を否定するつもりはない。
自分自身の人柄が悪くなるのが分かるから、遠ざけるだけのこと。
何も大したことではない。
凶が出たけど、動じていない。変えようもないからだ。
今の自分の状況を考えると、近い先の見通しは決して悪くはない。
だから、油断をすると、信頼を落とすんだぞ、という危険信号の意味だと捉えている。
今までここで大吉を引いたときは、大抵状況が悪いんだ。だけど1年振り返った時、大吉の通りの結果になっているから驚く。
状況が良い、悪いとかそういうのではないんだな、ということを身をもって感じているので、落ち込むことはない。気が引き締まった。
香川県にある有名なお寺である「金刀比羅宮」へ訪れる。
ここは700段以上の石段を登ることで有名。
妻と力を合わせて、ゆっくりと登りきる。
人も多く来ており、盛況だった。
ところどころに昔からあるような建物が点在している。
…とにかく急である💦
お守りは、最上稲荷で十分なので、買わなかった。
その後は、近くの有名なパン屋「カレンズ」へ。ここは本当に美味しくてお勧めです🍞
その後は、高松市内へ移動し、骨付鳥で有名な寄鳥味鳥さんへ。30分ほど並んで店内へ。
一鶴は良く行くので、違う店に行ってみた。
もう一つ、四国中央市にある窯焼鳥本舗も久々に行きたいと思う。
食べ終わった後は徳島市内のホテルへ移動し、寝る。大爆睡。
2月11日(日)徳島▶帰宅
徳島市は海に面している街。
やはり海のある街は強い…!この景色が気に入ってしまった。四国は海もあり、山もあり、料理も美味しいから本当に最強なんだよなぁ…。。
チェックアウト後、入念に調べて口コミの良かったうどん屋・かんじろうへ。
ここの店主さんと店員さんが心温まる接客だった。一人一人に対して繊細に気を配り、「お待たせして申し訳ありませんでした」という声は全員にしていたし、「次の人、結構待っているから優先的に案内してあげて」とか細やかな気配りを欠かしていなかった。うどんも丹念に作っていて、麺から伝わる心の温かさ、というものがあった(気がした)。
とにかく、麺も柔らかく、とり天も肉厚で本当に美味しかった!!!
その後は徳島で有名なパン屋さんへ。店内はごった返していた…。
香川のパン屋さん、カレンズが美味しすぎたので、次は徳島のパン屋さんに行ってみた、という考え。ちゃんと美味しかったですよ!
今回も充実した旅だった。最上稲荷では大吉か吉しか出たことがなかったが、今回初めて”凶”を引いた。
徳川家康の名言に「勝つことばかり知りて負けることを知らざれば 害その身に至る」という言葉がある。
まさに、今は広報の係を組織員との関係に苦しみながらも2年半やり遂げた。
次の係は人間関係の良いところにいく。
でも、そこで決して油断するなよ、ということを厳しく言われている気がする。
目を閉じて参拝(瞑想)しているときにも「無になりなさい!」と喝を入れられている気がした。
そう、雑念ばかり入っていたのだ。
その後の縁の末社では、無になって祈る(瞑想)することが出来たので、胸の奥にある悪の部分を取り除いてくれたのか、と勝手に解釈。
とにかく人は雑念の生き物だと思っているので、いかに”無”になる時間を作るかがこの情報に満ち溢れた時代、大事なんだと思う。
”無”になると、欲が無くなる、欲が無くなると、素直さに磨きがかかる。。
素直になると、相手の欲することが見えるようになってくる。
のだと思っている。
無になる時間、自分の人生の永遠の課題だなと思う。
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