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書く目的について

仕事をしているときを除いて、文章を書く機会がめっきり減ったな、、
天気の良い土曜日の朝、狭い湯船に浸かった僕は、ふとそう思ったのである。だからこの文章を書いている。


特別誰かに宛てるでもなく、自分の思いのままに筆をとるなんて何時ぶりのことだろうか。いや、バタフライキーボードを叩いている。そもそも我が家には筆すらもない。


大抵のまともな大人は、働いていると思う。そして大抵の場合、誰かと働いていると思う。そしてやはり大抵の場合、その誰かに何かを伝えるために文章を書くことはあると思う。それは日々の業務メールだったり、徹夜で磨き込んだ提案書、憧れの先輩に対する飲み会の誘い文句だったりするだろう。

モチベーションの差はあれど、これらの文章には明らかな読み手がいる。
そしてその文章には、明らかな目的がある。つまり読み手に何らかの行動を期待しているのである。

「会議に参加して決議してほしい」
「この商品を買ってほしい」
「俺より稼いでそうだから奢ってほしい」
といった具合である。

そうですよね。
読み手に寄り添えていない文章は必要のない文章であり、
迂闊にそんなことを書いてしまおうものなら、
無能・コミュ障などのおぞましいレッテルを貼られてしまうかもしれない。


...世知辛い。激辛である。激・世知辛い。

たまには何も考えず自分の好きなこと書きたいんですけど
書き手の気持ちに寄り添ってほしいんですけど
興味のある人だけ読んでほしいんですけど

と急に自分でもこのような欲求が芽生えてきたことに驚いている。
自分の欲求に素直に従うことにして、ここには今後も自分の好きなことをただただ綴っていこうと思う。
実際何も考えずに書き始めたのでこのような文章になると思わなかった。
そこに明確な目的性など存在しないのだ。そんな文章があってもいいじゃないか。

僕はヤマダトモキ、
カメラと美味しいもの、面白い読みものが好きな、
あと数か月で30歳の心優しい目黒区おじさんだ!

そこんとこよろしくな!

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