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ものを作るということ

私は学生の頃、交通事故で重体になったことがある。
速報ニュースや、新聞にも載ってしまうくらいの、それなりに大きいその事故は、小さな街中にあっという間に伝わった。


(どうも自分は今、道路のド真ん中で座り込んでいるらしい)


ゆっくり自覚するのを感じながら、事故当初は右手がちゃんと動くのを確かめていた。
よかった、動く、まだ絵を描けるぞ。


あれよあれよという間に病院に運ばれ、検査、入院。
検査室から出てきた時、仕事があったろうに駆けつけてくれた母の顔は少し強張っていたように思う。


バキバキに折れ、内側の肉に食い込んでしまっているらしい骨を固定する為に、肩から背中にかけて、八字包帯を四六時中着けることになった。


その頃も絵を描いてばかりだった私は、それはもう見事なキングオフ猫背だったけど、この八字包帯のおかげで図らずも強制的に姿勢を矯正することができた。
(背中を丸めるとまた骨が折れるよ、と医師の脅し文句が効いた。ビビりっす。


そんなこんなで、入院して数日経った頃、突然とあるご婦人が私を訪ねてやってきた。
誰だろう?
こんなに上品な物腰の女性は知らないぞ。


「覚えてる?
私、あなたが小学生だった頃、学校の、川柳の授業で一度会ったのだけど」


女性はそう言いながら、毛糸で編まれた小さなミニバッグを私に見せてきた。


(・・・あ!!)


それは私が、授業で教えにきてくれた先生に、感謝の手紙と一緒に送ったバッグ。
何年も前のこと、一度きりのことなのに、大事に保管されていたらしいその赤色は、ほつれることもなく、綺麗な状態だった。


新聞で私の名前を見つけた先生は、手作り雑貨の教本を数冊持って、私を見舞いに来てくれたのだった。こんなことってあるんだなあ。
何を話したかは覚えてないけど、驚きと嬉しさでいっぱいだった。


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そこからさらに数年経ち、なぜだか先生と私のご縁は続き、ようやく昨日、会いに行くことに。

先生は相変わらず上品な物腰で、「昔から続けてきた川柳会を、私まだやっているのよ」と微笑んで迎えてくれた。

”川柳 にいはま”と題されたZINE(会報誌)。
見ると1990年11月(平成2年)創刊、通巻371号と記されている。
つまり今年2021年だから、
ええと、
31年目か!


表紙の切り絵の掠れ具合がまた味を出していて、
どうやって印刷したのかと聞くと、
ただコピーしただけよ、と先生。
まじか。
いい感じすぎる。


そこで、ハッとした。
私も個人的なZINEを出したかった。
その為の構成案とか、印刷はこうだとか、ネタはこれで、とか。
準備はそりゃあすべきだけど、色んな理由をつけて後回しだったな・・・


「製本テープを貼るのは、私の役目なの」


ZINEの製本は会員の中の数人で担当しているのだという。
作って、まとめて、発信して、それを毎月、31年間。


(     途方もねえ・・・)


それから最近はこれを作ることにもハマっている、と先生が出してきたのは、紙製のコサージュだった。

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なんと聞けば材料は新聞紙と広告。
もう少し数が仕上がったら近くの支援学校に寄付するんだという。
誰かが喜んでくれたらという想いで夜な夜な作っているそうだ。


物を作る、生み出すって、つまりそういうことなのかな。
誰かの喜ぶ顔が見たいから、とか。
好きだから、とか。
ごちゃごちゃは置いておいて、ものすごくシンプルで、いいんだろうな。



御託はいいから、やれ、私。
物を生み出す原点を教えてくれた日となった。



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紙のコサージュワークショップを、
地元でやってみようかと先生と話しています。
またひとつ、世の中が落ち着いたらやりたいことが増えた。
嬉しい。

その時はなんらか告知するので、お近くの方はぜひお越しください。
文字と、柄が生み出す色合いと、絶妙に可愛いです。
最高っす。

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