Mr.ノーバディ/これはアメリカの暴力史を父親に背負わせたアブナイ寓話です【ネタバレ有り】
6月公開の映画で1番の期待作が『Mr.ノーバディ』なんですが、ついに昨日観てきました!
主演は人気ドラマシリーズの『ブレイキング・バッド』と、そのスピンオフの『ベター・コール・ソウル』では主役のソウル・グッドマンを演じたボブ・オデンカーク。
ドラマで知って好きになった俳優さんですが、そんな彼が『ハード・コア』の監督と『ジョン・ウィック』シリーズのスタッフで作り上げたのが今作、絶対に面白くない訳がない!
『96時間』や『ジョン・ウィック』、『イコライザー』のようなシンプルかつ大胆なアクション娯楽だ!と意気揚々と映画館へ…
観賞後、実は頭の中がフル回転で思考を巡らせていた。
たしかにこの映画、大胆だし、アクション娯楽だけど…全くもってシンプルじゃない!
上記のアクション娯楽映画では「暴力の世界では、同じ暴力によってのみ正義が成立する(そうせざるを得ない)悪がある」という大まかな主体の思想がある。
しかしこの『Mr.ノーバディ』には、それを真っ向から否定し、批判をするようなアプローチがなされた上で、暴力が発動し、それが恐ろしいほどに魅力的なのです。
たしかに、この映画を単純明快なアクション娯楽という目線で見れなくはないし、そう見る人も多いと思う。
だけど、全く違う。
この映画ではアクション娯楽映画に必要不可欠であるシンプルな正義は描かれない。
冒頭で強盗に入られ、機転を利かせて最も安全な方法で強盗犯を追い返しても、それは勇気のない行為だと云われ。
仕返しに強盗犯の家に盗まれた物を取り返しにいくと、そこは南米からの移民夫婦が呼吸器なしでは生きられない赤ん坊を育ているボロアパートだったり。
主人公の過去が暴かれる場面では、南米の麻薬カルテル顔負けの惨い虐殺の写真が出てくるし。
その主人公の老いた父親は、老人ホームで西部劇をひたすら鑑賞している。
この場面には全て、アメリカという国家が今まで“正義”の名の下に行なってきた暴力へのアンチテーゼが潜んでいる。
例えば、20世紀初頭から続いた二度の世界大戦の最中、アメリカ国内では愛国心による従軍が若者たちへ推奨され、それは当時の彼らを容易く英雄にするチャンスだった。しかしその影で病弱な者、戦えない者は臆病だと非難されたりもしました(キャプテンアメリカになる前のスティーブ・ロジャースのように)。
移民の家族が、貧困によって中流階級の白人の家に強盗に入らなければ生活が成り立たない現状は、そもそも勝手に移民たち(白人)がやってきて作り上げたアメリカという国家、建国史への皮肉であり。
西部開拓時代の原住民たちに対する人種的扱いを考えれば、主人公の過去の行いがどのような意味を持ち、また老いた父親が西部劇を延々と見続けることは何を意味しているのか想像に容易い。
つまり、この映画はアメリカの暴力的な歴史そのものを、1人の父親(或いは親子)に背負わせている寓話なのです。
今や老いによって力が衰え、かつては悪者だと思っていた敵にはそれなりの理由があることが判明し、正義の形は曖昧になり、昔のように暴力の力で物事を解決できなくなってしまった父親(アメリカ)。
しかしかつて暴力で正義が決まっていた、全てが単純(に思われていた)だったあの輝かしい時代を、未だに忘れられないでいる。
彼はもはや正義の為に戦うのではなく、その暴力の発露を求めて戦うのです。
その大義名分として“家族を守る”という開戦理由がやってくる(しかも敵が大量の暴力を引っさげて)。
これがこの映画の他のアクション映画とは全く違う構造です。
そして何よりも恐ろしいのは、この映画で行われる暴力が危険であればあるほど、その甘美な魅力を醸しだし、病みつきにさせるほどボブ・オデンカークがカッコイイのです!
こんな風にアクション娯楽というスタイルでありながら、これほどまでに批判的で、さらに風刺の効いた映画だと思いませんでした。
内容として最も似ているのは『ヒストリー・オブ・バイオレンス』かもしれませんが、そのメッセージ性や批判根性は『ウォッチメン』に通じるところもあるかもしれません。
とにかく、来週の木曜日21時からのYouTube配信ではこの『Mr.ノーバディ』の魅力を激プッシュし、ここでは話せないこともお話しします!
遊びに来ていただければ幸いです。
【#183】『Mr.ノーバディ』【誰でもない男の正体、わかりました!】 https://youtu.be/lVWEBxFNMAA
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