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同棲生活は、シビルウォーだが、最後に笑えるかどうかが大事

 今回は普通の日記というか、近況報告的な感じです。

 七月上旬から始まった同棲生活も、早一ヶ月が経った。

 これまでの20年間、福岡での自由気ままなひとり暮らしを謳歌していた自分にとって、初めての共同生活なのだが、なにしろその相手は、自分が好き好んで好意を伝え、お付き合いをしている異性である。

 問題なく同棲生活は、めくるめく愛の劇場のごとく、バラ色に満ちた日々になるかと思っていたが……、全然そうはならない。

 愛の劇場どころか、生活習慣の些細な違いや、価値観のズレによる意見の食い違いから、怒涛の衝突(毎度、胸ぐらを引っ掴み、床を転がり回り、激闘の末、二人とも壁を破壊して室外に飛び出し、街を破壊しながら熱い拳で語り合う)が、幾度となく勃発している現状である。

※イメージとしては『マン・オブ・スティール』のスーパーマンとゾッド将軍の闘いを参照のこと

 しかし、いままで生活環境も、価値観も、好きなYoutuberや笑いのツボまで、全く違う他人が、互いに信じ続けていた「普通」や「当たり前」の感覚を持ち寄って、同じ空間を侵食し合うのだから、衝突が起こるのは、冷静に考えれば当然である。

 言うなれば、同棲生活というのは、ある意味では“シビル・ウォー内戦”なのである。

 個人の生活に過ぎない、同棲という状態を、シビル・ウォーという例えで語るのは、いささか大仰かもしれないが、同じ言語を喋る者同士が、お互いに同じ愛情をもっている(と信じたい!)にもかかわらず、様々な面で、衝突が発生してしまう。

 皿の洗い方、トイレの作法、食事の規則、車の運転、駐車の仕方、生活の中での細かい癖や習慣、ルールや価値観が、まるで違うし、その都度、軽く(小規模な銃撃戦のような)衝突が起き、協議会が開催され、和平交渉となる。

 とはいえ、ほとんどの原因は、自分のずぼらが招く類のもので、電気や扇風機の消し忘れ、掃除の甘さなどのきっかけで、小規模紛争は起こり始める。

 よく世間などで「旦那が、電気を消し忘れて困る」という主婦の愚痴を聞くが、よくよく考えれば、自分もアレを地で行っているという気付きがある。要は己の悪癖が根源で、起こるのだ。

 世間の主婦様方の声に耳を傾け、さらなる意識改革を試みようと考え、「夫 電気 消さない」とググると、ヤフー知恵袋に同じ問題で苦しんでいる主婦の方々の、悲痛と怒りの声が列挙されていることに驚愕する。
 しかし、この驚愕こそ、己の悪癖を正すための光明であると感じ、さらに彼女たちの実直な声に耳を傾けようと「旦那デスノート」を覗いたところで、彼女たちの愛の深さからくる配偶者へのデス・ウィッシュ死の願いの洪水に呑まれ、恐怖のあまり失禁しそうになったので、そっとパソコンを閉じた。

 「こ……、殺されたくない」

 いまはその一心で、この同棲生活を営んでいく所存である。

 しかし、この一ヶ月のシビル・ウォー生活も、そんな衝突ばかりではなく、笑いがあるのも事実である。

 自分がいままで見ないタイプのテレビやネットフリックの番組、Youtubeチャンネルなどから、彼女の感性や、世界観が垣間見れるのも、かなり面白く、勉強になることも多々ある。

 最近は、彼女がシリーズを通して見ていたという、ネットフリックスの恋愛ドキュメンタリー『ザ・ジレンマ』に、自分もハマってしまい、新しい世界を知れたのも、同棲生活ならではの醍醐味だと実感する。

 あと、いまさら知ったことを、少し恥ずかしく思うが、「おろちんゆー」というYoutuberさんも、かなり面白い。
 ゲテモノ食いのチャンネルかと思ったら、しっかり漁(猟)とレジャーと食を楽しみきっている、大自然と「せんえんちゃーしゅー」の優良チャンネルで、もうすっかりふぁんふぁんに、なってしまった(何を言ってるか分からないと思うので、動画を見て下さい)。

 とまぁ、いろいろ書いたわけだが、同棲生活の良いところも悪いところも、生活習慣の細やかな違いから見えてくる互い世界の違いに、面白みと関心をもって接することができれば、なんとかやっていける気がする。という感じである。

 ウルフルズの『笑えれば』って曲があるが、どんな状態になっても、互いに最後は「笑えるか」が大事なのだと思う。笑えなくなる前に、思いやりことを忘れぬように、日々気を付けたいところである。


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