俳句鑑賞:俳句に見る負けの美学

 ナイターの俳句は、ナイターが流行している昭和中後期の時代背景も手伝って、季語として認められたと言われています。中でも水原秋櫻子は句材としてナイターを好んでいて、秋櫻子の句がきっかけでナイターは季語として認められたと言われています。座右の歳時記をひっくり返すと、

  ナイターの光芒大河へだてけり  水原秋櫻子

 というナイターの照明の美しさを詠んだ句から、

  ナイターのいみじき奇蹟現じたり  水原秋櫻子

 と、ナイターに熱狂する句もあります。
 もちろん、勝負事には勝ちもあれば負けもあります。負けをどのように見るかについて、比較材料があるので、見ていきましょう。

  ナイターの負癖月も出渋るか  水原秋櫻子
  ナイター観る吾が身もいつか負けがこむ  瀧春一

 瀧春一は水原秋櫻子門下。上掲句を詠んだ時は、秋櫻子と離れているとき(後和解)で、上掲句の掲載句集(『燭』)を見ると、身辺の不調が続いた時だったようです。
 ナイターの負けを見て、負けをどう感じるかというアプローチが秋櫻子は外面的な美に向いているのに対し、春一は自らの人生を詠んでいます。ここに作風の個性が強く出ています。
 負けが込んだ時は、あまり塞ぎ込んではいけないようで、春一は未来の不調を読み取ったのかもしれませんが、負けを悲観すると碌なことが起きません。秋櫻子のように、負けが多いとボヤくくらいが健康的なようです。
 負けをどう考えるかは、弱小チームを応援すると身に沁みます。同じ負けならユーモラスに負けを笑いたいし、勝ちを2倍楽しみたい。やることをやっていれば、負けが込んでも前向きでいられて、いつかチームは浮上する。最近のスポーツを見ていると、そんなことを考えさせられます。
 勝負事は、楽しんでものめり込んではいけないということは言えそうです。勝ちに溺れず、負けが込んでも弱気になってはいけないというのは大事ですね。

おまけ:秋櫻子の詠まなかったナイター

夜間野球(ナイター)煌々このくにたみのかなしき闘志  瀧春一

 『瓦礫』所載。昭和二十五年の作。昭和のセオリーの一つに、付き合いの浅い人とプロ野球の話をするのはタブーと言われていますが、その理由がうかがい知れる作です。
 戦後社会に移行し始めて、多くの国民は闘争心の捌け口を野球に求めたということでしょうか。「くにたみ」という言い方に戦争の後遺症を覚え、「かなしき闘志」に権力に飼い慣らされた闘争心のやり場のない寂しさを覚えます。最近の野球観戦は娯楽的な要素も強くなりましたが、当時は命懸けで野球に接していたことが掲句からも想像できます。

ナイターのドームは何となく暗し  瀧春一

 『嬰心』所載。昭和六十三年の作。未完句集(『瀧春一全句集』の「童心抄」)から漏れた作。後楽園の東京ドーム完成後の光景を写したドキュメント的な俳句。最近、プロ野球OBが話していた記憶がありますが、フライボールが見えなくなるので、ドーム球場の明るさが調整されたというのですが、明暗のどっちだったかな。東京ドームは日本で初めての屋根付き球場で、初めてのものに気が塞がっている感じがします。
 ちなみに翌年(平成元年)に<ドーム野球名月の夜と思ふ>という句も残しています。その日の気分で、解釈が分かれそうな作です。勝ちの気分の時は、「ビッグエッグ」(東京ドームのことを今はこういう言い方しないですよね)の天井が名月に見えるけど、負けの気分の時は、「名月が見えないぞ」と野次っているみたいです。

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