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父と私のスターウォーズサーガ

昨年の1月、父が入院している病院に行きいつものようにスマホで思い出の映画音楽を聴かせていた。 父は元映写技師で私が17歳位の時に映画館が閉館するまで映写技師として最後は支配人として勤務していました。なので私が子供の頃は顔パスで映画を見まくってました。

昨年の1月5日、寝たきりの父に「見届けてくるね」と言うとかすかにうなずいたような気がした。 父はパーキンソン病が進み自力では起き上がれなくなっていた。でも映画音楽を聴かせると目を開けて反応してくれる事も多かった。「太陽がいっぱい」「ひまわり」「スターウォーズ」などのテーマ曲、「赤いハンカチ」「愛染かつら」「青い山脈」などの主題歌は曲に合わせて自分でも口ずさんだりしてました。その日病院を後にして向かったのは映画館です。観に行ったのは「スターウォーズ・スカイウォーカーの夜明け」、ジョージ・ルーカスが事実上手を引いたとは言え元々9本作ると言っていた。スカイウォーカー物語の完結編です。

1作目「新たなる希望」が公開されたのは私が小学校3年生の時で同級生数名と観に行きました。一番前の席で父が映写する「スターウォーズ」をドキドキしなが観ました。そして父から「スターウォーズ」の撮影うら話を教えてもらったり。例えばC3-POやR2-D2のスーツアクターは着ぐるみの中にストローがあって水が飲めるようになってる。日本の時代劇を参考にしてる。など、今では誰もがしってるような話です。当時のプレスシートやスチール写真は今でも宝物です。

中学生になると映画館の手伝いもしてました。丁度「ジェダイの復讐」が公開された頃です。現在の邦題は「ジェダイの帰還」ですね。

1作目が公開された頃から9本作ると言われてたけど、こんなに時間がかかるとは… その間に父は脳梗塞で倒れ、少し回復するも後にパーキンソン病と診断され徐々に機能が低下し言葉も不自由になり、昨年の6月にコロナ過の中で亡くなりました。面会も自由に出来なくなり出来ても時間制限があったりで、ゆういつの楽しみの映画音楽の時間もままならない中で容態が急変しました。 

「スカイウォーカーの夜明け」のラストで悩めるレイに歴代のジェダイの騎士達が語り掛けるシーンで涙腺が崩壊しラストシーンのレイの最後のセリフで頬に涙が落ちるのがわかりました。この作品は賛否両論あるけどあの最後のセリフを言わせて良かったと思います。 

そしてエンドタイトル、バックに流れる音楽はこれまでのスターウォーズ音楽のメドレー的な構成になっていて、子供の頃からの映画館の思い出が走馬灯のように蘇って… 映画を観に行ってこんな感情になったのは初めてですよ。

父ともっと映画の話ししたかったな。


(c)Lucasfilm Ltd. 



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