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noteで、自己紹介。

私は、東京都板橋区の外れの「成増(なります)」で、谷口質店という質屋を営んでいる、谷口大地と申します。

祖父が成増に質店を創業したのが昭和22年。
今日まで親子3代続けてきた、ちいさな質屋の店主です。

生まれは成増のお隣の、埼玉県和光市。
1980年2月生まれ。3歳下に妹が一人います。

家業が質屋、というのは世間ではかなり珍しいことなのだと今となっては分かりますが、子どもの頃はさほど意識したことはありませんでした。もちろん、はじめから家業の後継ぎとして育てられたわけでもありませんでした。

当時を思い出しながら、質屋で働くことを決めた時のことを書きたいと思います。

大学卒業後、私は広告会社で営業マンとして働いていました。2007年のことです。

学生時代に憧れていた広告の世界で働ける喜びもありましたし、忙しかったものの、まだ20代でがむしゃらに、充実した日々をおくっていたと今でも思います。

一方、その頃のウチの店は、父、母、伯父、そして祖父の代から勤めていた番頭さんの4人体制で、1番若いのが社長である50代半ばの父。若手が居ない店で、昔ながらの昭和の商いを淡々と続けていました。

「お兄ちゃん、番頭さん辞めるってよ。」

話をはじめに聞いたのは、妹からでした。

父は、どちらかというと中古ブランド品を販売する売り場の担当でしたから、帳簿を書いたり、蔵を整理したり、質屋の細かなことはほとんど番頭さん任せでした。もう定年の年齢を軽く超えておりましたが、お店には欠かせない存在として、こちらから引き留めてお勤め頂いているような状態でした。

しかし、そろそろ引退してのんびり過ごしたいと。。

「だから、お父さん、今ちょっと困ってるみたい」

家業とはよく言ったもので、家族みんなが店の商売のことをどこかで気にかけていました。
当時、出版社に就職したてで編集者としてバリバリ働きはじめていた妹も、家の一員として、店の将来を心配していました。日々広告の事ばかり考えていた私も同じでした。

番頭さんが抜けた穴を父親がフォローするのか、いや、そうしたら売り場の接客は誰がやるんだ、いや、そもそもこの先、両親も伯父もこのまま歳をとっていったら、この質店はどうするつもりなんだろう、せっかく祖父がはじめた商売なのに、父親の代で辞める気なんだろうか、自分が手伝えばなんとかなるんだろうか。。

・・・いや、そもそもオレは店を継ぐ気があるのか?

質屋の家の長男として、憧れた広告業界に入ろうと、やはり家業のこと、後継ぎのことは、口にこそ出しませんがどこか気になっていました。そして、父親の性格からして、自分から「店を手伝ってくれ」と、お願いをするタイプの人ではないことは何となく分かっていました。

仮に私が居なくても、今でも独りで何とかなっていたかもしれませんが、素直に言えば、父親のことが当時とても心配でした。

「会社を辞めて店を手伝いたいから、私を雇ってください」

父親にお願いしたのが2007年のことです。

こうして番頭さんと入れ替わるように私が店を手伝いはじめることになり、そこから今日まで、伯父が引退したり、代わりに妻が入ったり紆余曲折を経て、2020年2月、私が3代目店主となりました。
代表は交代しましたが、父も母も、変わらず元気で毎日接客しています。


何かのご縁でこのnoteをご覧いただいている方、
もし、新型コロナウィルスの脅威が薄らいで、いつかまた気軽に外出ができるようになりましたら、その時はぜひ一度、当店にお越しください。

本来質屋は、お品物を買い取ったり、中古ブランド品を販売したり、
お品物を担保にお預かりしてお金をお貸しするところですが、
そういうことを抜きに、何かお困りのことがあればお電話でもいいので、お気軽にご相談ください。
メールやsnsでのお問い合わせも、大歓迎です。

例えば、
大切な人にプレゼントしたいけど、何かオススメのものある?とか、
こんなものが押し入れの奥からから出て来たんだけど売ったらお金になるの?とか、
メルカリに出てるこのお財布、欲しいんだけどホンモノ?とか、
そろそろ自分へのご褒美にイイ時計買いたいんだけど、なに買ったらいいの?とか、

今はなかなかそこまで余裕がないかもしれませんが、近い将来、また安心して街に出られる余裕が出てきたら、何でもいいので、気軽に声かけて下さい。

成増の近隣の方、特に大歓迎です。
良ければお友達になってください。


というわけで、
私のnoteでの自己紹介でした。

今後ともどうぞご贔屓に。。


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