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ゲームデザインという趣味

 ゲームが趣味という人は世の中に沢山いると思うが、ゲームを作るのが趣味と言う人はどれ位いるだろうか?
 食べ歩きが好きで、料理を作るのが趣味という人よりは少ないだろう。
 読書が好きで、小説やエッッセイを書く人よりも少ないかな。

それでも特定数はいる、好きだから自分で作ってみたい人というのは特定数いると思う。

 私はどうやらこの「好きだから作ってみたい」側の人間である。
料理を作るのは好きだ。
パソコンもノートPC以外は自作で、数えて見ると8台も部屋に並んでいる。(幾つかは壊れたままほったらかしだが。。)
学生時代に乗っていた自転車も自分でパーツを買い集めて作ったロードバイクだった。

 そしてゲームは、小学生の頃、「億万長者ゲーム」や「ニューバンカース」に刺激を受けて自作のボードゲームを作り始めていた。夏休みの工作はいつも木の板に釘を適当に打ちつけて、ビー玉を転がすピンボール?だったし、テスト用紙の裏にはなぜか常に迷路を描いていた。

 仕事の上では、会社の就業規則の修正を命じられると、細かな修正だけですむものを、いちから書き直し、消防署に提出する防災マニュアルみたいなものも、消防署が用意した雛形があるのに、いちから書いて担当の消防署員を困惑させた。(ひな形を使えば消防署側も簡単な確認で済むのに、一から書かれると全部を精査する必要があるから当然だろう)


 で、いまはTRPGを作っている。自分が作っているTRPGはテーマ的にも内容的にもさして珍しくも無い、まあ、商業作品の劣化版みたいなものだと思う。それでも、何故か作ってしまう。この情熱はなんなんだろうと思う。今は自分のWEBサイトとBooth で、ゲームのα版を晒しながら作り続けているが、これがなかなか完成しない。

一応作りかけなのが4つあるが、現在、人目に晒しているのは二つだけだ。

ひとつは「Armored Trader 」というマッドMAXや北斗の拳のようなポストアポカリプス物のTRPGだ。これは最初にに作ったのは四半世紀前にもなる。そしていまだに完成していない。多分、この永遠に未完成問題は自主制作である同人ゲームのあるあるだとは思う。
 では全く頓挫しているかといえばそうではない。私自身の体調やプライベートの事情、それに興味の移り変わりなどもあり、停滞はしがちであるが、それでも少しづつ形になって来ている。具体的にはページ数は確実に増えている。現在は150ページほどになっている。これは同人TRPG としては割と多めのページだとは思うが、その上、このルールにはいわゆるデータの部分は少ない。よく見かけるボリュームのある同人TRPGは大量のデータに誌面を使っていることが多いと思うが、Armored Traderは殆どがルールのテキストになっている。

もうひとつは「八百八町浮世草子」という江戸時代を舞台とした時代劇TRPGだ。昔ホビージャパンから出ていた「大活劇」と同じテーマなのだが、これをデザインし始めた当時はマギウスのゲームデザインコンテストのようなものがあり、それに応募するために作り始めた。
 しかし結局あまり完成度を高められなかった上に、すでに「大活劇」は発売されていたのでテーマとしての面白みもなかったのだろう、選外となった。ちなみに入選したのは大学のゲームサークルの後輩だった。


さて、現在進行形でゲーム作りは続けているわけだが、自分でTRPGのルールを作っていると「ああ、ここはこうしたルールがあったほうがいいな」とか「ここはもう少し詳細な選択肢を与えた方がプレイヤーは楽しいんじゃないかま」などと勝手に想像してルールを追加して増殖させていく。

そして数ヶ月後「ああ、ダメだこんな面倒な手順本当に必要なのか?」とか「手間の割に対してプレイの楽しさには寄与しないな」となり、スパッと削られたりする。

結局は、その繰り返しで「3歩進んで2歩下がる」ということになる。

通常の仕事や趣味だとしても成果物を求めるならば、きっちり期日を決めてしっかり進捗管理を行わなくてはならないだろう。

勿論、私も仕事ならばそういったことには気を配る。

けれども、これは趣味だ。それも、完成させることが楽しいのではなくて、作る過程自体が楽しいのだ。

結果としてなかなか形にならない。困ったものである。

自分一人で作り続けていることも、なかなか完成しない要因だと思う。たとえ趣味だとしても複数人のプロジェクトならお互いの迷惑にならないように当然、ある程度の進捗管理は必要だろう。

だが、一人で作っている。 だからなかなか完成しない。困ったものである。

そして今も、完成品を生み出せない自分に対しての言い訳としてこれを書いている。 本当に困ったものである。


 

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