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【再掲】湯灌(2)

ここで親父の話しをすることにする。
 享年84歳。
 冒頭に伝えたが俺は親父が40過ぎで生まれた子どもなので当時はよく孫に間違えられた。
 昭和10年生まれ。
 一桁に生まれていれば某アニメの警部と同じ年なれたかもしれないのに惜しいことだ。
 しかし、性格は少し似ているところがある。
 頑固なところ。
 一度決めたら曲げないところ。
 妙にプライドの高いところ。
 そして偏屈なところ。
 今思えば偏屈なのではなく、当時の考え方がそういうものだったのだろうと思う。
 特に長男で家長制度が生きていた時代だから特にその頑固さは岩、いや、ダイヤモンドだった。とは、いっても親子関係がそんなに悪かった訳ではない。
 あの世代で有名な大学を卒業した親父は、仕事人間ではあったが、決して子どもをほったからかしにするタイプではない。むしろ、子煩悩と言っても良い方だったと思う。
 子どもの頃は海山に連れていってくれたし、自転車でのサイクリングなんかにもよく行った。
 その反面、若々しさなんてものは皆無で遊園地や映画館には連れて行ってもらえなかった。
 しかし、それを不満に思ったことはなかった。と、言うよりも親父にそんなに興味がなかったと言うのが正しい答えかもしれない。仕事人間の親父よりも専業主婦だったお袋に俺は懐いていた。
 だから、親父には良い意味でも悪い意味でも関心がなく、何が好きで、何が嫌いか?仕事は何をしているかなんかにも興味がほとんどなかった。
 それなので親父が亡くなってからいつも思う。
 俺はいつから親父が嫌いになったのだろう?

 幾つか考えられる点を上げると、親父と俺は性格も頭の出来も違った。
 親父は、有名な大学を卒業。
 俺は、福祉の専門学校を卒業。
 親父は、偏屈ではあったが、愚直で礼儀正しく、社交的で誰からも好かれていた。
 俺は、どちらかと言うと根暗でインドア派。家でずっと小説や漫画を読んでいるのが好きなタイプ。当然、人付き合いも苦手だ。
 こうも性格も頭の出来も違うと当然、生き方に対する考え方も違う。
 子どもの頃は、親の庇護のもとで大変可愛がってくれた親父だが、成長するに従い、自分とはあまりにかけ離れている実の息子に違和感を感じでいる様子だった。しかも、勉強も出来ない、運動も苦手、良いとこなしの息子は、エリートの親父からすると得体の知れない生き物を見ているようなものだったのだろう。いつの間にか口を開くことが少なくなった。
 俺自身も口にしない親父の気持ちを読み取り、自然と話さなくなった。と、いうよりも馬鹿にされている気さえして嫌いという気持ちの方が強くなっていった。
 今、思えば単なる気持ちのすれ違いで、会話をすればお互いに解決出来そうなことだが、その会話がされることは生きている間に一度もなかった。
 そんな実の息子のダメさ振りを除けば親父の人生は順風満帆であった。
 良い大学を出て、名の知れた企業で管理職に付き、会社からも友人や近所からも人望が厚い。
 そして念願だった誰もが羨むような豪邸を建てた。
 まさに、絵に描いたような理想の人生であった。
 そんな親父の人生が最悪にひっくり返るなんて誰も思っていなかったろう。

 バブルが崩壊したことにより、社会の情勢が一変した。
 当時、小学生だった俺は、その時の影響というのがいまいちよく分かっていなかったが、後から聞いた話しでは会社の業績も傾き、給料も激減、リストラされる人も大勢いた。
 親父は、リストラこそされなかったものの給料が大幅に下がったそうだ。
 もう一つの要因は保証人をした親戚が夜逃げした。
 バブルの影響で親戚が自営していた会社が倒産したのだ。親父はその会社の非常勤の特別顧問兼保証人になっていた。
 つまり、会社の負債が親父に振ってきたのだ。
 借金取りや銀行からの支払いの催促電話が毎日のように自宅や会社に鳴り響り響いた。しかし。保証人になってしまっていたので、どこの銀行からもお金を借りることが出来なかった。
 自己破産という手もあったのだが、親父のプライドとまだ中学生の息子がいるのにそんな手を使うことは出来なかった。
 そして最も最悪なことは親父の妻、つまりお袋が心労が祟って精神疾患と心筋梗塞を併発し、病気になってしまったこと。
 ただでさえ借金生活なのにお袋の病気。そして息子の学費や生活費でお金は消えていき、親父の、我が家の生活は暗転して酷いものとなった。
 その頃から明るかった親父の表情は、ギスギスし、常に疾患を患った母親に無体な叱責をされ、同性から見ても情けない姿に見えてしまった。
 決して親父が悪い訳ではないのに。
 そして俺も専門学校を卒業して働きながら家計を助けたがそれでも雀の涙であった。
 このままでは我が家は、崩壊してしまうと考えた俺は、この苦境から脱出するため、リセットすることにした。
 それは今住んでいる家を売って借金を返済し、新天地に行くことだった。

 親父は、大反対した。
 あの当時の男性、特にある程度の地位にいた親父に取って家を売るというのは敗北行為に近かった。
 しかし、プライドなんかじゃご飯は食べれない。
 生きてはいけない。
 どんなに恥をさらそうと生きていく以上に大切なものはないのだ。
 そう説得しても親父は。まるで納得しなかった。
 俺の中で親父への嫌悪は、どんどん高まっていった。
 じゃあ、どうする!?
 俺は、親父に詰め寄ったが、具体的な解決策なんて出ようもない。
 それはそうだ。
 定年を迎え、退職金すら借金に消えたというのにこれ以上、親父に何ができると言うのか?
「あんた老後をずっとこんな状態で生きてくつもり?死ぬまで苦しんでいくの?」
 その言葉は、親父に酷く衝撃を与えたようだった。
 あんなに頭がいいのに、今の現状もこれから訪れる破滅的な未来についても想像出来なかったのかと、ひどく驚いたことを覚えている。
 しかし、今にして思うとそれは無理のないことなのだろう。
 人は、自分が幸せになる未来は簡単に想像が出来ても自分が不幸になる未来というのは想像出来にくい生き物なのだ。
 だから、何度も過ちを繰り返すのだ。
 痛い目にあおうが、苦しい思いをしようが。
 家族や親しい人を巻き込むことになろうが。
 俺は、そんなのはごめんだ。
 あの一言が聞いたのか?親父は、それ以降何も言わなかった。
 俺は、不動産会社と話しをし、自宅の売却と新しい新居を探した。
 自宅の売却に関してはスムーズに事が運んだ。そして思った以上の額で売れて、借金の返済に当てることが出来た。
 問題は、新しい自宅だが親父やお袋の老後も考えて一軒家に拘った。何軒も家を見て周り、日当たり、交通の便、買い物の便、坂道か否か、駐車場完備か?ローン返済の額、この条件だけでも家の値段に差が出た。全ての条件を揃えるのは不可能に近い。だから条件に順位を付けて探すことにした。
 第一にローンの額、新天地に移っても借金生活になるのはごめんだ。駐車完備かもそこに含まれる。駐車場があるだけで節約に繋がる。
 第二に坂道であるか否か、親父たちが閉じこもり生活になるかはこれに掛かっている。
 第三に買い物の便、これは将来を見越しても重要。せめて近くスーパーがないのは困る。
 日当たりや交通の便もあるが、当時の俺はあまり生活力がなくて日当たりはあまり重要視しておらず、交通も自転車や車を使えばいいから除外していた。
 そしてようやく条件に合う家を見つけた。
 建売の小さな家だが築5年で先程上げた条件から除外したものまで全て含めた優良物件だった。
 俺は、直ぐに契約し、銀行とローンの締結をした。
 給料の安いと言われる福祉系だが、難関と言われる資格を幾つか所持していたことが幸いし、銀行からの信頼も得ることが出来て思った以上の融資を受けることが出来、無事に新居に引っ越すことが出来た。
 この時にも幾つか一悶着があったのだが、この話しには特に関係ないので割愛する。
 新居に移ってからの生活は、まさに生まれ変わったような穏やかさだった。
 まず、金の心配が無くなった。
 収入が増えた訳ではないが、今までのような借金の為に搾取されることは無くなった。
 次に家を取られる心配が無くなった。
 親父の意地で家を担保に入れることはなかったが、それでもいつ差し押さえされるか分からなかった。今の家は、俺の名義なので取られる心配はない。
 そして1番は親父とお袋の表情が明るくなったことだと思う。
 お袋は、結論から言って病状が進行して病院に長期入院となった。重度の認知症だったので本来は、特別養護老人ホームが良いのだろうが、人工透析をやってると福祉サービスでの受け入れは困難であり、お世話になっていた病院が受け入れてくれたことには感謝しかなかった。
 入院する前のお袋は、認知症ではあるものの表情はとても穏やかで、認知症の症状に出るような暴言や他害行為もなく、静かに過ごしていた。徘徊や火の不始末がなかったら今でも一緒に暮らせていたのではないかと思う。
 親父の表情も明るくなった。
 家を売る時、引っ越す時にあれだけ苛ついていたのに、やはり負担になっていたのだろう、解放されてからは趣味を再開したり、友人と遊びに行ったり等、充実した老後を送れていたと思う。
 そして俺も遅い結婚をし、長男が生まれると目に入れても痛くないとは良く言ったもので、孫を出来合いして、友人に自慢し、妻に内緒でお菓子を与えたり、連れ出したりして怒られていた。
 そんなこんなではあるが極一般の家庭の、普通の幸せをようやく味わうことが出来たと思う。
 そんな我が家に暗雲が再び訪れる。
 親父が癌になったのだ。

                 つづく
#小説
#最後の別れ

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