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クールで知的なオミオツケさんはみそ汁が飲めない 第ニ話

「ちょっといい?」
 最後の授業を終えて帰ろうと下駄箱に向かったレンレンを彼女の冷めた目が待ち構えていた。
 そのあまりの予想外な出来事にレンレンの心臓は飛び出るかと言うほど跳ね上がる。
「どうしたの?」
 彼女は、怪訝な表情を浮かべて訊く。
「いや、どうしたのって……」
 逆にこっちが聞きたいことを先に聞かれてしまい、レンレンは戸惑う。
「いいから付いてきて」
 そう言うと彼女はレンレンに背中を向けて歩き出す。
 レンレンは、狼狽えながらも急いで靴を履き替えて彼女の後をついていく。
 小柄な美少女に大男が付いていく様は嫌でも目に付き、部活や下校している生徒達の視線が一斉に集まってくる。
 特に追いかけてるのはあの有名なオミオツケさん。
 嫌でも注目を集める。
「あの……えっ〜と」
 レンレンは、どこに行こうとするのか?何をしにいくのか?と聞きたいがどう声を掛けたらいいか分からなかった。
 まず、なんて呼んだらいいか分からない。
 オミオツケさんは絶対にダメ。
 美織さんはあまりに馴れ馴れしい。
 結尾さんが一番無難なんだろうが知りもしない、しかし、異性相手に名字とはいえ断りもなく呼ぶのはどうなのだろうか?
 それともまずはなんて呼んだらいいか聞くのが正解なのだろうか?
 学生食堂で働いているレンレンからは誰も想像も出来ないだろうが普段の彼は外見からは想像も出来ないくらい気が弱い。
 それこそ虫も血を吸わせっぱなしなくらいおとなしい。
 そんな彼に親しくもない、しかもファーストコンタクトで制裁を食らった異性に声を掛けるなんて難関中の難関であった。
 そうこうしている内に彼女の足が止まる。
 連れてこられたその場所にレンレンは目を疑う。
 そこはレンレンの働く学生食堂であった。
 もうおばちゃん達も引き上げているので普段、開きっぱなしの扉は固く閉じられ、小窓から漏れる電気も消えている。
「鍵持ってる?」
 彼女は、冷めた目だけをレンレンに向けて問う。
「はっはいっ」
 レンレンは、鞄からNPO法人の職員から特別に預けられた鍵を取り出して、施錠を解く。
 彼女は、それを確認すると静かに扉を横に引き、中に入る。
「あっ」
 レンレンは、思わず声を上げて手を伸ばす。
 彼女は、足を止めて振り返る。
「どうしたの?」
 何をしてるの?と言わんばかりに彼女は顔を顰める。
「貴方の職場でしょ?遠慮せずに入りなさい」
 そう言って彼女は奥に入っていく。
 なんでそんなに堂々と出来るのだろう?
 そんな疑問を抱きながらもレンレンは、コソ泥のように入り慣れた食堂に足を踏み入れた。
 食堂の中は当然、真っ暗だった。
 真っ暗な部屋に女子と二人。
 そう思った途端にレンレンの心臓が破裂しそうなくらい高鳴る。
 そんなレンレンの気持ちなど汲み取るどころか読み取ることもなく彼女は食堂の電気のスイッチを入れる。
 食堂の中が明るくなるとレンレンはホッとした反面、何故か少し残念に感じてしまった。
 彼女は、昼間、スポーツ女子達が座っていた二人席を見つけると椅子を引いて腰を下ろす。
「座らないの?」
 彼女は、冷めた目でレンレンを見上げる。
 その非常に感情の読みずらい目にレンレンは戸惑いつつも言われた通りに向かい側に座る。
 それがスイッチであったかのように痛々しい沈黙が流れ始める。
 普段、見慣れるはずの食堂が途端によくある異世界転移のように違う世界に見えて重苦しい。
 しかし、そんな異邦な世界でも彼女は凛と背筋を伸ばして冷めた目をレンレンに向ける。
 レンレンは、視線を泳がせながら落ち着かなげに椅子の上で何度も尻の位置を動かす。
「ねえ」
 彼女は、唐突に声を掛けてくる。
「はいっ」
 レンレンは、動揺を飲み込みながら返事を返す。
 冷静に返せたはずと思うがどうだろう?
 彼女は、冷めた目をじっと細める。
 やはり感情が読めない。
 レンレンは、昼に続いて背中に汗がじわりっと滲みてくるのを感じた。
「喉……渇かない?」
「えっ?」
 レンレンが思わず聞き返すと彼女は眉を顰めて、形の良い唇を尖らす。
「だから、喉渇かない?」
 ノドガカワカナイ?……。
 のどがかわかない?……。
 喉が渇かない?……!
 ようやく頭の中で字を変換することが出来、慌てて立ち上がる。
「すいません!気が付かず!」
 食堂で働いてる癖に水にも気づかないなんて……!
 レンレンは、恥ずかしくなって頬を赤く染める。
 確か厨房の冷蔵庫に明日用に作った麦茶があったはず……。
 レンレンは、厨房に向かおうとする、と。
「あっごめん。そう言う意味じゃなくて」
 彼女は、鞄を膝の上に乗っけると中から300mlの小さなペットボトルを二つ取り出す。
「飲まない?……って意味だったんだ」
 そう言った彼女は少し恥ずかしそうだった。
「座って」
 彼女に促されてレンレンは座る。
「何が好きだか分からなかったから」
 そう言って彼女は、レンレンの前に二つのペットボトルを置く。
 一つは普通の冷たい緑茶。
 もう一つはミルク入りのコーヒー。
 レンレンは、じっとミルク入りのコーヒーを見る。
「コーヒーがいいの?」
 そう言って彼女は、コーヒーをレンレンに渡そうとする。
「いえっこっちで」
 そう言って緑茶の方を取る。
 彼女は、眉を顰める。
「いいの?」
「はいっ大丈夫です」
 レンレンは、頷くとブレザーの裏ポケットから財布を取り出す。
「お幾らですか?」
「いらないわよ」
 彼女は、唇を尖らす。
「私が呼び出したんだから」
 そう言って彼女は、コーヒーの蓋を開ける。
「温くなる前に飲んで」
 そう言って彼女はコーヒーに付ける。
 顎を突き上げるようにクイっと上げて、小さく喉を鳴らしながら飲む。
 その姿が……なんとも官能的に見えて……レンレンは思わず見入ってしまう。
 彼女は、レンレンに見えられてることに気づいて冷めた目を向ける。
「どうしたの?」
 彼女に声を掛けられてレンレンは、我に変える。
「あっ……その……いただきます!」
 レンレンは、慌ててペットボトルの蓋を開けて緑茶を飲む。
 彼女は、訳が分からず首を傾げる。
 彼女の用意してくれた飲み物のおかげか、それとも変な妄想のせいか、重かった空気が少し和らいだ。
 今なら聞ける、と思ったレンレンはペットボトルを置いて彼女を見る。
「あの……」
 しかし、言いかけたところで再びレンレンの中で彼女をどう呼んだらいいか問題が発生する。
 それに気づいたのか彼女は口元に小さな笑みを浮かべる。
「オミオツケでいいわよ」
 彼女の言葉にレンレンは驚いて目を開く。
「えっ……でも……」
「どうせあの二人になんか言われたんでしょう?」
 嘘をついても仕方ないのでレンレンは頷く。
 彼女は、やっぱりねと言わんばかりに肩を落とす。
「別にね。オミオツケって呼ばれるの嫌じゃないの」
 彼女の言葉にレンレンは驚く。
「悪評なんて呼ばれてるけど、あだ名をつけた子も悪気なんてなかったのよ。それに私の名前が後ろから読むと"オミオツケ"になるなんて十七年間この名前に付き合ってってきた私ですら気づかなかったのに大したものだと思わない?」
 その時のことを思い出してか、彼女は、天井に視線を上げながら感心するように頷く。
 そうだとすると何故、悪評なんかに繋がってしまったのだろう?
 レンレンの中に当然とも言える疑問が湧く。
 レンレンが疑問を抱いてることに表情で気付いたのだろう、彼女は、苦笑を浮かべる。
「私が過剰に反応しすぎたのよ」
「過剰?」
 レンレンは、眉を顰める。
お味噌汁オミオツケって言葉にびっくりして立ち上がった時に椅子を倒して、その勢いで机の上にあったものを全て落としちゃったの。きっとそれが怒って机の上にあったものを叩き落としたように見えちゃったのね」
 レンレンは、その場面を想像する。
 普段、クールで知的なイメージの彼女が椅子を倒し、机のある物を全て落としたら確かに烈火の如く怒ってるように見えなくもない。
「私にあだ名をつけた子……半べそかいて私に謝ってきたわ。すぐに大丈夫、気にしてないって言ったんだけどいつの間にか広まっちゃって……本当に悪いことしたわ」
 そう言って形の良い眉を落とす。
「その子とは?」
「仲良くやってるわよ。あの時のことを今だに気にしてるみたいだけど今じゃ単なる笑い話よ」
 彼女は、冷めた目を細めて笑う。
 その表情を見てレンレンもホッとすると同時にそんな顔も出来るのだ、と驚く。
「聞いてもいいですか?」
「なに?」
「過剰に……というのは何に反応してしまったんですか?」
 オミオツケと呼ばれるのが嫌でないのなら一体何に反応してしまったと言うのだろう?
 レンレンがそう聞いた途端、彼女の顔から笑みが消える。
「……みそ汁……」
 彼女は、ぼそっと呟く。
「えっ?」
 レンレンは、うまく聞き取ることが出来ずに聞き返す。
 彼女は、何かを堪えるように唇を固く紡ぎ、そして弾けるように叫ぶ。
「みそ汁!」
 クールな彼女からは想像も出来なかった大きな声にレンレンは目を丸くする。
 彼女もそれに気づき、顔を真っ赤に染めてテーブルを舐めようとするように顔を下げる。
 みそ汁!と叫んだ彼女を見てレンレンは女子二人の言ってた言葉を思い出す。

 あの子……この世で一番みそ汁が嫌いなの。

 つまりオミオツケのもう一つの名、みそ汁に反応したのだ。
「それでか……」
 レンレンは、納得して思わず声に出してしまう。
 彼女は、視線を上げて、冷めた目で睨む。
「何がそれでか……なの?」
 彼女から発せられた冷たい棘のある言葉にレンレンはたじろぐ。
「言っとくけど……私……みそ汁嫌いじゃないわよ」
「えっ?」
 彼女は、ふうっと息を吐いて気持ちを落ち着けると居住いを正し、クールな表情でレンレンを見る。
「貴方……この食堂で事情があって食べれない生徒達にメニューを作ってるのよね」
 レンレン定食。
 アレルギーや持病、薬の飲み合わせ等で食べ物を制限されている生徒達の為の望みを叶える為の特別メニュー。
 それを話題に出すと言うことは……。
「お願い……」
 彼女の表情は変わらずにクール。
 しかし、その言葉の中には切実な情が込められていた。
「私にみそ汁を飲ませて」
 そうか……そう言うことだったのか。
 彼女もあの女子二人と同じように何らかの事情があってみそ汁が飲めなかった。だからオミオツケと呼ばれると反応してしまうし、それが二次災害となって悪評になってしまったのだ。
 本当は、嫌いじゃないのに……。
「つまり、えっと……」
「オミオツケでいいって言ったでしょう」
「それではオミオツケさん」
 レンレンは、背筋を伸ばし向い合う。
「オミオツケさんも何らかのアレルギーがあってみそ汁が食べれない。だから、オミオツケさんでも食べられるみそ汁を作って欲しい……そう言うことですね?」
 確認をしつつもそれで間違いないはずだ、とレンレンは確信していた。
 それ以外に彼女が自分に声をかける理由なんてない。
 しかし、彼女は首を横に振った。
「私にアレルギーはないわ」
 彼女……オミオツケさんの言葉にレンレンは驚く。
「と、言うよりも大豆アレルギーの人でもお味噌は食べれるの。お味噌は脱アレルギー食品よ」
 そうだった……。
 オミオツケさんに指摘されるまですっかり失念していた。
 あんなに勉強したのに……。
 レンレンは、恥ずかしさに頬を赤く染めて俯く。
「では、他の?出汁とか具材ですか?」
 もしそうならアレルゲン食材を使わなければいいだけの話しだ。それともみそ汁に入れてどうしても食べたい物があるのだろうか?
 オミオツケさんは、首を横に振る。
「さっきも言ったように私にアレルギーはない。魚も貝も平気」
 レンレンは、眉を顰める。
「それでは純粋な好き嫌いと言うことでしょうか?味噌の味がダメとか……」
 そうなると攻め方が変わってくる。
 代用食品を使うのではなく、味付けや出汁の取り方、調味料の工夫とかになる。
「いいえ。私、お味噌は大好きよ」
 彼女は、平静に言う。
「鯖の味噌煮も、味噌ラーメンも、なんだったら味噌田楽なんて大好物よ」
 将来、凄い酒飲みになりそうだなぁ
 レンレンはそんなことを思いながらも少し苛立つ。
 では、何の為に自分は呼ばれたのだ?
 そんなレンレンの心境を読んだようにオミオツケさんは鞄の中からある物を取り出す。
「インスタントの……みそ汁?」
 それはどこのコンビニでも売ってるようなインスタントのワカメのみそ汁だった。
 オミオツケさんは、冷めた目でレンレンを見る。
「お手間かけるけど、これを作ってくれる」
 レンレンは、言ってることが分からず首を傾げる。
「みそ汁……食べれないんですよね」
「そうよ」
 オミオツケさんは、躊躇いなく頷く。
「じゃあ、何で作るんです⁉︎」
 気の弱いレンレンもいい加減苛立ちを隠せなくなる。
 しかし、オミオツケさんは、何事もないかのように冷静にインスタントみそ汁をレンレンの前に移動させる。
「申し訳ないけど、そうしてくれないと証明が出来ないのよ。私がみそ汁を飲めないことが」
 彼女の目は相変わらず冷めている。
 しかし、その奥では切実な訴えが見え隠れしていた。
「……待っていてください」
 レンレンは、厨房に入ると瞬間湯沸かしポットでお湯を沸かし、ポットごと持ってくる。
 二人席にオミオツケさんはいなかった。
 レンレンは、眉を顰めて見回すと彼女は食堂の角に立っていた。
「オミオツケさん?」
「私のことは気にしないで続けて」
 オミオツケさんの態度にレンレンは訝しみながらもインスタントみそ汁の封を開け、具材と味噌を入れてお湯を注ぐ。
「冷めたら教えて」
 冷めたら?
 出来たらではなく?
 レンレンは、訳が分からないままインスタントみそ汁とオミオツケさんを交互に見た。
 十分後
 レンレンは、インスタントみそ汁の器に触る。
「冷めました」
 レンレンは、食堂の角に立ったままのオミオツケさんに声をかける。
 しかし、オミオツケさんは冷めた目で疑わしそうにレンレンを見る。
「本当に?」
「そんなことで嘘ついて俺にメリットありますか?」
「メリットとかではなく、純粋に貴方が危なくないかを心配してるの」
 オミオツケさんの冷めた目が小さく震える。
 とても不安そうに。
 訳が分からない。
 そう思いながらも彼女の不安げな様子を見ると無視することは出来ない。
 レンレンは、インスタントみそ汁を左手で持ち、右手の人差し指を立てて、みそ汁の中に突っ込んだ。
 突然の行動にオミオツケさんは、驚いて目と口を丸くする。
 レンレンは、そんな彼女の様子を横目に人差し指でみそ汁を掻き回す。
「ほら、もう熱くないですよ」
 そう言って人差し指を抜き、先についたワカメの欠片を舐めとる。
「ちゃんと飲んで始末するから安心してください」
 そう言って器をテーブルに戻し、ポケットからハンカチを取り出し、人差し指を拭く。
「貴方って……結構大胆ね」
 オミオツケさんは、目を丸くしたまま言う。
「でも、そこからは離れて。お小遣い制で流石にクリーニング代までは出せないから」
 クリーニング代?
 何のこと?っとレンレンは聞きたかったがどうせ要領は得ないだろうと思い、素直にテーブルから離れた。
 レンレンが離れたのを確認してからオミオツケさんはテーブルに近寄る。
 オミオツケさんは、テーブルの真ん中に置かれた冷めたみそ汁を見る。
 緊張と、若干の恐れの混じった冷めた目で。
「レンレン君」
 オミオツケさんは、みそ汁に目を向けたまま言う。
「これから起きること……誰にも言わないでね」
 これから起きること?
 レンレンは、眉を深く顰める。
 オミオツケさんは、大きく唾を飲み込み、蛇の巣穴に指を突っ込むように、そーっとみそ汁の器に指先を触れさした。
 その時だ。
 みそ汁の表面が小さく揺れる。
 地震⁉︎
 レンレンは、目を瞠る。
 しかし、テーブルはおろか食堂の中は少しも揺れていない。
 しかし、異変は続く。
 指を奥まで突っ込んでも熱くなかったみそ汁が沸騰するように激しく泡立つ。
 それだけではない。
 まるで激しく振られた炭酸のように立ち昇り、膨れ上がっていく。
 レンレンは、あまりにも現実離れた光景に目どころか心も奪われる。
 しかし、変化はそれで止まらない。
 高く昇り、膨れ上がったみそ汁は飴細工のようにうねり、歪み、形を形成していく。
 そして……それは茶色い汁にワカメの鱗とひれの張り付いた鰹のような大きな魚になった。
 レンレンは、驚きのあまり声どころか息を吐くのも忘れてしまう。
 魚は、ワカメの鰭を羽のように震わせながら食堂の中を気持ちよさそうに遊泳する。
 そして自らが飛び出した器を尾鰭で弾くとパンっとその身も弾けてテーブルと床の上に飛び散った。
 それはまさにみそ汁の器が倒れて中身が飛び散ったような無惨な光景だった。
 レンレンは、呆然とみそ汁の魚の残骸を見る。
「これが……」
 オミオツケさんがぼそりっと言う。
「これが私がみそ汁を飲めない理由よ」
 そう言って彼女は自虐的に笑う。
 レンレンは、何度も何度も瞬きさせる。
「なに……」
 レンレンは、呆然と呟く。
「このファンタジー……?」

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