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クールで知的なオミオツケさんはみそ汁が飲めない 第十七話

 オミオツケさんは、教室には戻らなかった。
 いや、戻れなかった。
 壊れた玩具箱から溢れるように飛び出してくる感情の波を抑えることが出来ず、そのまま女子トイレの中に飛び込み……大声で泣いた。
「なんで……なんで……」
 なんであんなに優しいの⁉︎
 あんなに酷いこと言ったのに!
 冷たい態度を取ったのに!
 自分のためにやってくれたことを全て否定したのに!
「なんで……なんで……」
 これじゃあ……これじゃあ……。
「レンレン君のこと忘れられない……」
 自分は、レンレンと一緒にいちゃいけないのに……。
 一緒にいる資格なんてないのに……。
 今度こそレンレン君の夢を……命を奪っちゃうかもしれないのに……。
 頭の中をレンレンの顔が埋め尽くしていく。
 優しく、和やかに、オミオツケさんと呼んでくれる顔が過っていく。
「ダメよ……」
 オミオツケさんは、自分に言い聞かせる。
「忘れるのよ。彼のことを」
 彼と自分はなんの関わりはない。
 今後も何の関わりも持たない。
 自分と彼は単なる同級生。
 それ以上でもそれ以下でもない。
 みそ汁なんて飲めなくていい。
 飲む必要なんかない。
 もう……一生みそ汁なんてどうでもいい。
 忘れるんだ。
 いつものように。
 何も変わらずに過ごすんだ。
 クールに……クールに……クールに……。
 オミオツケさんは、大きく深呼吸し、涙でくしゃくしゃになった顔をトイレットペーパーで拭く。
 そしてペーパーをトイレの中に入れて流す。
 心から溢れた全ての感情と一緒に全て流す。
 トイレから出るとオミオツケさんの顔はいつものクールで知的な表情へと戻っていた。
 鏡を見てもいつも通りだし、クラスに戻って教師に「お腹の調子が悪くて……」と言い訳した時も、何事もなかったように授業に参加し、設問を解き、質問に答えた時もいつもと変わらないクールで知的なオミオツケさんだった。
 ただ、文系女子とスポーツ女子だけは心配そうに彼女のことを見ていた。
 全ての授業を終え、生徒会の用事も済ませ、帰路に着こうとしたオミオツケさんの目は自然と食堂の方を向いていた。
 食堂の……恐らく厨房のある部分の窓に明かりが付いていた。
 レンレンがいる。
 レンレンがみそ汁を作って自分を待っている。
 今日は何をするつもりだったんだろう?
 どんな表情でみそ汁を作ってるんだろう?
 どんな気持ちで自分を待ってるんだろう?
 どうして……自分はあそこにいけないんだろう?
 オミオツケさんの足が食堂に向こうとする。
 しかし、オミオツケさんの意思がそれを止める。
(何してるの?)
 オミオツケさんは、自分で自分をたしなめる。
(自分で決めなんでしょう!)
 もうレンレンとは関わらない、って。
(わかってるでしょ⁉︎)
 それが彼のためなんだって……。
 オミオツケさんは、自分に言い聞かせて、足を引っ込め、校門へと向かった。
 もう……二度と振り返らない。
 そう決めて。

 自宅に戻ってもオミオツケさんは何もする気が起きなかった。
 いつもならオミオツケさんの帰りを待ってる妹をぎゅっと抱きしめ、お風呂に入り、みんなで母親の作った夕食を食べ、勉強をし、ゲームをしてラノベを読み、見溜めたアニメを見ながらお菓子を食べると言う腐女子行為を楽しんでいるが、今日はそのルーティンを一つもこなさないままに自室に困り、制服のままベッドに飛び込んだ。
 母親と妹が心配してドア越しに声をかけてきたが「ちょっと一人になりたいの」と力なく言うと母親も妹も何かを察したようにドアから離れていった。
 オミオツケさんは、枕に顔を埋める。
 このまま窒息してラノベのようにどこか異世界に転生出来ないかな、と本気で考える。
 もし、転生出来たらその時はどんな能力もいらない。
 その変わりにみそ汁を普通に飲めるようにして欲しい。
 どんなみそ汁でも、どんな環境でも、どんな人とでも普通にみそ汁が飲めるようにして欲しい。
 そして彼と普通に出会わせて欲しい。
 何の縛りもなく、普通の同じ年の男の子と女の子として彼と出会わせて欲しい。
 でも、そんなこと叶いっこない。
 異世界転生なんてない。
 枕に顔を埋めたくらいで窒息なんてするわけない。
 そしてみそ汁が普通に飲めるようになるなんてあり得ない。
 そんな非現実ファンタジーなんて起きるわけがないのだ。
 ……お腹空いた。
 オミオツケさんのペタンコなお腹がグゥゥゥと音を立てる。
 そういえばお昼のお弁当を食べてから何も口に入れてない。
 最近は何かあるごとに食べていた気がする。
 アズキマフィン、コーンスープ、コンソメスープ、お吸い物、フレンチトースト、そして……。
「みそ汁……」
 オミオツケさんの口にレンレンの作った甘くて深みのあるみそ汁の味が蘇る。
 二度と味わうことのないあの芳醇な味を思い出し、涙がうっすらと零れる。
「レンレン君……」
 会いたいよぉ……。
 その時だ。
 アニメ版エガオで笑う時の主題歌のメロディが耳に届く。
 電話だ……。
 オミオツケさんは、重く、空腹に飢えた身体を起こすと面倒臭いと思いながらも鞄からスマホを取り出し、電話の相手を確認する。
 スポーツ女子だ。
 SNSのやり取りはしょっちゅうしてるが電話をかけてきたのは初めてではないだろうか?
 オミオツケさんは、訝しく思いながらも電話に出る。
『もしもし、美織?』
 私のスマホなんだから当然だろ、と思いながらもオミオツケさんは「そうだよ」と答える。
「どうしたの?電話なんて珍しいじゃん」
『そんなこと言ってる場合じゃないの!』
 電話越しのスポーツ女子は苛立ち、焦ってる様子だった。
 元々、大人しい方ではなく、言いたいことは言ってくるタイプだがこんなに焦ってるのは珍しい。
 どうしたのか……と思っていると?
『あんた、レンレンと一緒じゃないよね?』
「えっ?」
 オミオツケさんは、思わず息を飲む。
「一緒じゃないけど……どうして?」
 オミオツケさんは、心臓がバクバク鳴るのを止められなかった。
『さっき、担任の先生から電話が来たんだけど、レンレンが家に帰ってないんだって』
 その言葉にオミオツケさんは血の気が引いてくのを感じた。
 心臓の音が耳に響く。
『先生……クラスのみんな全員に電話してるんだけど誰も知らないって。あんなことがあったばかりだから親御さんたちもの凄く心配してて……あんた何か知らない』
 オミオツケさんは、スマホを持ったまま首を横に振る。
「知らない……会ってないもの」
 それは本当だ。
 昼休み以降、レンレンとは顔を合わせてない。
 合わせることなんて……出来るはずがない。
『そっか……』
 電話越しにスポーツ女子が肩を落としているのが分かった。
『病み上がりなのにどこに行っちゃったんだろう?』
「そんなの……分からないよ……」
 オミオツケさんは、自分の身体が震え出してるのを感じた。
 一週間前の全身に蕁麻疹が出て呼吸困難に陥ったレンレンの苦しむ様が脳裏に蘇る。
(いやだ……いやだ……レンレン君)
 もう私は側にいないのに。
 なんでこんなことが起きるの?
 神様……神様……。
 オミオツケさんは、動揺しながらいもしない神様に何度も呼びかける。
『まさか……まだ学校にいるなんてことある訳ないし……』
 学校⁉︎
 オミオツケさんの脳裏に電気の付いた食堂が浮かぶ。

 今日の放課後……食堂で待ってますね。

 頭の中のレンレンが和やかな笑みを浮かべて言う。

『一体どこに……』
 オミオツケさんは、スポーツ女子の言葉を最後まで聞かなかった。スマホを叩きつけるように電話を切り、制服姿のまま部屋を飛び出し、両親にも妹にも何も言わないまま家を出るとそのまま一目散に走り出す。
 何回も立ち止まり、息を切らしながらオミオツケさんが辿り着いたのは暗闇に包まれた高校だった。
 普段は、固く閉ざされた校門は小さく開いており、その奥に見える食堂にはうっすらと灯りが付いていた。
 オミオツケさんは、校門を開き、校庭を横切り、食堂の扉の前に立つ。
 扉の隙間から灯りが漏れる。
 オミオツケさんは、小さく唾を飲み込み、そっと扉を開いた。
 レンレンがいた。
 いつもの二人席に座って気持ち良さそうにうたた寝をしているレンレンの姿がそこにあった。
 オミオツケさんは、安堵のあまり全身が崩れそうになり、扉の取手に掴まった。
 ガチャンっと取っ手の弾ける音が静かな食堂に響く。
 その音にレンレンの目がうっすらと開く。
 寝ぼけたレンレンの目と安堵に涙の膜を浮かべるオミオツケさんの目が重なる。
 レンレンの目が一瞬、大きく見開き……そして和やかな笑みへと変わる。
「こんにちは。オミオツケさん」
 レンレンは、いつもと変わらない優しい声でオミオツケさんに話しかけた。

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