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【再掲】湯灌(3)

ステージ4で、余命3ヶ月と診断された。
 病院嫌いだったので現役の頃から健康診断に行ったこともなかった親父だが孫が出来た事で考えが変わり、もう少し長く生きたいからと人生初の健康診断を受け、そして今日、医師から告知された。
 親父は、酷くショックを受けていた。
 その横で俺は酷く冷静に聞いていた。
 福祉という仕事をしていると、
「レントゲンに白い影が写っています」
「昨日、救急で運ばれて、朝に亡くなりました」
 そう言った事例は良く聞くし、担当もする。
 そして病院から息子さんも一緒に聞いてください、と連絡があった時、こういった話しだろうなと想像がついた。
 もう開腹してどうにかなるレベルではなく、放射線治療と抗がん剤治療に望みをかけるか?痛みを取り除き、最後の人生を楽しく生きるか?
 俺は、後者を薦めるつもりだった。
 癌の痛みや抗がん剤治療の苦しみをこの身で味わったことはない。
 しかし・・・。
 その痛みに抗う人を何人も見てきた。
 その治療に苦しみ、悶える人を何人も見てきた。
 まだ、若く、助かる見込みがらあるならともかく、高齢で、完治出来る見込みのない親父がそんな辛い治療を受ける必要はない。そう思い、親父に楽になる方にしようと助言しようとする。
「治療を選びます」
 親父の口から出た言葉に耳を疑った。
 俺は、自分でも滑稽に思うくらいに必死にやめた方がいいと説得した。しかし、元々が偏屈の頑固者である。聞く耳も持たず、治療一択の選択をした。
 そして2週間の放射線治療と抗がん剤治療を開始した。
 よくドラマにあるような毛が抜けると言ったことは起きなかったが、とにかく苦しいの一択だった。
 抗がん剤の点滴に繋がった親父は、会話ができない程に衰弱していた。食べ物は何を食しても良いので妻が用意した好物を届けても口にすることも出来ない。俺達が来れない時に下痢と嘔吐を繰り返し、医師が治療を中断しようと判断した時もあったそうだ。どんなに呻いても。どんなに身体の体勢を変えても、どれだけ吐いても、下痢をしても苦しみは晴れなかった。唯一、家族が面会に来た時、「じーちゃん!」と孫が抱きついて、甘えてきた時だけが心の痛みが緩和された時だろう。
 そして2週間を乗り切った時には随分と窶れていたものの、癌は、小さくなったと医師より告げられた。
 それからは定期通院と放射線治療、そして経口薬による治療となった。
 元々、体調管理に余念がなく、入院治療が終わってからも毎朝、10000歩という厚生労働省が定めた健康水準のウォーキングをし、身体に悪いとされる食物は一切摂取せず、通院をサボる、治療を嫌がるなどをしたかった親父は、介護保険にも頼る事なく、医者が驚くほどに現状を維持し、余命3ヶ月のはずがその10倍の3年を生きた。
 まさに今の日本が理想とする高齢者像であろう。
 それでも癌は、冷徹なまでに徐々に親父の身体から体力と病気に抗う力を奪っていっていた。

 正月明けに親父が肺炎を起こして病院に緊急入院した。
 直ぐに退院するだろうと思っていたが、親父の身体はどんどん衰退していった。
 食事が取れず、点滴で栄養を補給するものの体重は20キロ以上落ちた。嚥下する力が落ち、啖が喉に絡まり、吸引するようになった。起き上がることも出来ず、じっと天井を見つめ、かと思えば唐突に暴言も吐くようになり、周りが幾ら話しても聞く耳を持たずに枯れ枝のような手足を振り回す。
 親父自身も分かっていたのだろう。
 自分がもう長くないと。
 だから、せめて声を上げ、手足を振り回して抗おうとしているのだ。
 見えない何かに。
 俺は、それをじっと見ている他なかった。
 そしてそれから3ヶ月後、親父は亡くなった。
 亡くなる2日前、息子を連れて見舞いにいった妻が言った。
「お義父さん、とても静かだったの。暴言も吐かずにじっと天井を見つめて。この子が『じーちゃん』って声を掛けると小さく笑って頭を撫でて。ひょっとしてこのまま亡くなっちゃうんじゃないかと不安になった」
 妻は、その当時を思い出し、目を震わせる。
「お義父さんね。私の目を見てこう言ったの。『俺はもう抗うのを止めたよ。後は流れに任せる』って。きっと分かってたのね。自分の命のこと」
 亡くなる日のことを思い出す。
 朝早くに親父が昏睡状態になったと病院から連絡があった。
 妻は、息子を幼稚園に迎えに行き、俺は病院に向かって医師の話しを聞いた。
 今日の夜まで持たないとのことだった。
 むしろ今まで頑張ったことへの賛辞を送られた。
「一緒にいてあげて下さい」
 それが医師から送られた最後の言葉だった。
 親父の兄弟に連絡し、病室に向かう。
「親父」
 呼びかけても反応がない。
 薄く目を開けているだけ。
 しかし、耳は最後まで聞こえているはず。
「よく頑張ったね」
 それが俺から父親への最後の褒め言葉となった。
 そして妻が息子を連れて現れ、親父の兄弟、親戚が集まって声を掛けた。
 うっすらと目を開ける。
 じっと視線だけを動かして親戚を、兄弟を、妻と息子を、そして俺を見る。
 数回、口が開いた。
 息だけが漏れる。
 ありがとう、と言っているような気がした。
 そしてその日の夜に、天国へと召されていった。

                    つづく
#小説
#最後の別れ

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