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冷たい男 第7話 とある物語(前編)

"冷たい男"と彼は町の人達から呼ばれていた。

 親しみを込めて。

 彼は、生まれ落ちた時から身体が冷たかった。

 触れた相手を凍えこごえさせてしまうほどに。

 その手に触れられると骨の芯まで身体が震え、長く触れると皮膚が凍てついてしまう。

 食べ物を口の中に入れるとその途端に冷凍し固まってしまう。

 生まれてすぐに助産師を凍えさせてしまった彼を当然、病院は精密検査したが体温が異常に冷たい以外の異常はなく、検査の結果、"正常"と判断された。

 彼は、体温が凍えるほどに低いだけのただの人間であると医学が証明した。

 体温が異常に低いだけの普通の男の子として普通の生活を送っていった。

 普通の小学校に通い、友達と遊び、町内会のお祭りや運動会と言ったイベントに参加し、順風満帆とは言えないまでも平穏な生活を送っていた。

 そして彼は現在、町の葬儀会社で働いていた。

「これでお別れとなります」
 社長が厳つい外見からは想像も出来ないしっとりとした清水のような声で話す。
 斎場は、大きな悲しみのドームと化していた。
 斎場の中央に置かれた白い棺。
 それを囲む喪服に身を包んだたくさんの人達。
 老若男女の差はあれど共通しているのは棺に眠る故人を想い、悲しみ、永久の別れを惜しみ、拒否し、受け入れていることだ。
 この会社に勤めてから何度も何度も見てきた光景なのにその度に"冷たい男"は、胸を締め付けられる。
 こんな光景は2度と見たくないと言う痛い思いと迷うことなく送り出すという使命感が織り混ざる。
 棺に眠るのは80を少し過ぎたばかりの男性だ。
 冷たい男によって丁寧に保存された遺体は痛みも臭いもなく、声を掛けたら起き上がりそうな程に綺麗だった。
 ほんの少し前までは".大往生"と言われたが超高齢化社会となった今では"まだ若いのに"と言われる年齢。
 遺族からも「まだまだやりたいことがあったはずなのに」と啜り泣く声が上がる。
 和やかで静謐な式だ。
 故人は相当に慕われていたらしくご遺族と親族だけの家族葬ではあるが妻や子だけでなく、兄弟やその子ども、孫まで集まり、故人を偲んだ。
 祭壇には今日、斎場に来ることの出来ない友人や仕事関係者の人達からの供物や花輪が押し詰されるように飾られ、生前の人望が伺える。
 言葉に出るのは全て感謝と旅立つ故人への鎮魂の言葉。
 公務員であったと言う故人が好んで着てたと言うスーツを死装束の代わりに纏い、つい先程まで祭壇に飾られていた白や紫、黄色の花が家族、親族の手で棺の中に納められた。それ以外にも生前好きだったお菓子や煙草、三途の川の渡賃である六文銭を模したもの、孫達からの手紙、そして最も好きだったお酒を葉を使って唇に湿らせた。

 幸せな最後だな、と思った。

 生前の故人のことを知りもしないのにそんな事を思うのは大変に失礼なことかも知れない。
 しかし、身寄りなく1人で旅立つ人、若くしてやりたいことも出来ないままに旅立つ人、自分が亡くなったことすら分からないままに旅立つ人、最愛の人の死の覚悟すら出来ないままに別れてしまった遺族・・・勤めてからまだ1年足らずだがそれでも同世代よりもたくさんの別れを見てきた冷たい男の目には死を受け入れ、家族や親しい人達と最後の時間を穏やかに過ごすことが出来、別れの瞬間すらもたくさんの人達に見送られる故人がとても幸せで羨ましく見え、最後まできちんっと故人や家族が悔いのないよう努めようと決めた。
 もうすぐ出棺の時間だ。
 冷たい男は、大扉を開けようとすると、目の端に人影があることに気づく。
 遺族席、その奥の角席に誰かが座っている。
 遺族、親族は故人の最後の送り出しの為に全員棺の前にいるはずなのに。
 そこに座っていたのは10歳くらいの少年だった。
 前髪を垂らし、横を綺麗に刈りそろえた髪は、艶がなく、少し細い印象、顔筋は整っていて可愛らしい印象だが目が少し窪んでいて、肌色も白い・・というか青い。斎場だと言うのに着ている服も量販店でら売っているような長袖のキャラもののTシャツに膝の破けたデニムで公園やデパートの休憩室でカードゲームに勤しむ子供と変わらない。
 そして何よりも存在感がなかった。
 あれだけ斎場で異質な姿をしているのに今の今まで自分以外の誰も気づかず、気づいた今でさえ家具の隙間に落ちた紙片のように存在を感じられず、油断したら忘れてしまいそうになる。
 あまりの異様さに冷たい男の胸が激しく動悸する。
 何かがおかしいと感じるも動くことが出来ない。
 今、余計な動きをすることは故人を送り出すことを妨げることになってしまうからだ。
 少年の右手にはいつの間にかペンが握られていた。
 少年が持つにはあまりに相応しくない千切れかけた茶色の羽根ペンが。
 そして左手に持たれていたのは本だ。
 少年の小さな手に収まるくらい小さく、重厚な黒い革と金糸で縫われた本が。
 そのどちらもが少年にはない重い存在感を放っている。
 少年は、羽根ペンを高く掲げる。
 変化が起きる。
 故人の眠る棺から黒い水のようなものが立ち昇る。、
 棺を囲む遺族も進行する社長も他の社員も誰もそれに気づかない。
 黒い水は、煙草の紫煙のようにその身をくねらせながら遺族の波の上を超え、角席に座る少年に寄っていく。
 よく見るとそれは黒い水などではなかった。
 文字だ。
 文字が群れとなって空を泳いでいるのだ。
 まるで深い海の底を身を守りながら回遊する鰯の群れのように。
 文字の群れは、少年掲げる筆の先に纏わりつく。
 少年は、筆に文字が纏わったことを確認すると左手で器用に本を開き、その表面に筆を走らせた。
 文字の群れが次から次へと少年に向かって泳ぐ。
 少年は、何事もないように筆を走らせる。
 遺族の啜り泣く声が少しずつ静まっていくのを感じる。
 冷たい男が棺の方に目を向けるとついさっきまであれだけ故人との別れ悲しんでいた遺族の涙が止んでいた。
 むしろ無感情な視線を棺に送り、声すら上げなくなる。
 その間も故人の身体から文字が上がり、少年は筆を走らせる。
「それでは出棺です」
 社長の声に冷たい男は、慌てて大扉を開ける。
「ご遺族の方は出棺のお手伝いをお願いします」
 社長の言葉に木の位牌を持った喪主、遺影を持った遺族が前に進み、その後を棺が進み、遺族が続く。
 皆、表情がない。
 涙の跡こそあるものの悲しみが消えてしまっている。
 故人から文字が抜け去る。
 最後の文字が羽根ペンに纏わり、少年は文字を記すと本を閉じる。
 そして席から立ち上がると遺族の後ろに並び、そのまま斎場を出ていこうとする。
「君・・・」
 冷たい男は、思わず声を掛ける。
 少年は、自分に声を掛けられているなんて思わなかったのか無視する。
「君・・・は」
 少年は、ようやく自分に声を掛けられていることに気づき、目を丸くして怯えた表情を浮かべ、そして遺族の列から離れて走っていく。
 冷たい男は、慌てて追いかけようとする。
「何をしている!」
 静かな叱責の声が冷たい男の耳に入る。
「今は、葬儀の最中だぞ」
 強面だが滅多なことでは怒ることのない社長が眉毛を逆立てて冷たい男を睨む。
「す・・・すいません」
 冷たい男は、謝る。
 視線を戻した時には少年の姿はもうそこにはなかった。
 その後、葬儀は、問題なく粛々と進む。
 しかし、本来そこにあるべき故人への悲しむも慈しみも存在せず、ただただ儀式として形を成すだけのものだった。

「"とある物語"ですね。それは」
 凛とした佇まいでチーズ先輩は言う。
 その美しい所作と容姿はまるで1枚の絵画のように見える。 
 冬の終わりだと言うのに"香り屋"には夏の匂いが充満していた。
 咽せ返るような樹液の熟した匂い、熱に沸いた海水と砂浜のお菓子のような甘い匂い、そして夏の風景を脳裏に浮かび上がらせるような蝉の大演奏オーケストラ
 清潔で清廉な店主の切り盛りによって店のドアを潜った瞬間から現世から半歩潜って別の世界に抜けたような錯覚を起こさせる店内は別の意味で違う世界となっていた。
 整然と丁寧に商品が並べられた陳列台や古い建物なのに磨かれたように輝く壁には蝉が我先にと場所を取るように埋め尽くし、激しく存在を主張していた。
 店の中央のテーブルに置かれた生花のように色づき、匂い立つ数十種類のドライフラワーの束からはバッタが何匹も顔出して飛び跳ね、蝶が舞い、カナヘビが這っていた。
 その虫達をツーブロックのピンク髪の痩せた男が海色の虫網を使って器用に捕まえ、その足元で茶トラ猫がバッタを掴まれては食している。凛と座るチーズ先輩の隣では子狸が前足を使って器用に冷たい男が発注を掛けた線香を確認している。
「・・・今更だけど何があったんですか?」
 冷たい男の問いに答えたのはチーズ先輩と子狸だった。
「品出しをしてただけなんだ」
 子狸の言葉に冷たい男は、首を傾げる。
 チーズ先輩が気まずそうに小さな肩を窄めて切長の目を反らす。
「お兄さんの会社に下ろしてる線香って清涼感というか気持ちを落ち着かせる効果があるでしょ?」
 冷たい男は、頷く。
「それってね。"夏の部屋"って言うところでおばさんが精製していて保管もそこでしてるんだけど・・・」
 何となく話の筋が読めてきた。
「今日は、おばさんが仕事でいないから私と先生で店番頼まれてお兄さんが来たら線香渡してねと頼まれてたの」
 子狸は、線香の一束一束を丁寧に確認してから箱に詰めていく。
「それで今から取りに行きますっていう電話を貰ってから私が夏の部屋に取りに行こうとしたら先生も一緒に行くって言ったの。私、とても嫌な予感がしたから丁重に断ったんだけど、生徒にやらせる訳にいかないからって・・」
 結局、子狸が折れ、線香を取りに夏の部屋に入った。
 そして・・・。
「何であんなことが起きるんだろう?」
 子狸は、得体の知れないものを見るように主人であり、学校の先生でもあるテーズ先輩を見る。
 チーズ先輩は、赤いと言うか青い表情をして恥ずかしそうに俯く。

 一体、何があったんだろう・・・。

 気にはなったが怖くて聞けない。
「まあ、そんなこんなで夏の部屋にいた虫達が大量に飛び出して今に至る訳なの」
 1番大切な部分を端折って子狸の説明は終わる。
 冷たい男は、チャコールグレーの手袋を嵌めた指先で頬を掻き、必死に虫を追いかけるピンク髪の男、ハンターと茶トラ猫に目をやる。
「で、あいつらは何でここに?」
「おばさんに用事があって来たみたいなんだけど、この現状を見て手伝ってくれてるの」
 ハンターは、壁に止まっている蝉をそっと掴もうとして・・・逃げられ、悔しそうに地団駄を踏む。茶トラ猫は、前足を使ってバッタを捕まえるも飽きたとばかりに疲弊している。
「・・・ハンター失格だな」
「じゃあ、お前も手伝わんかい!」
 ハンターが目を血走らせながら叫ぶ。
「こちとら2時間前に顔出してからずっと捕まえてんねんぞ!蝉が鼓膜に張り付いたんかってくらいずっと声が鳴り響いて気が狂いそうになってんねんぞ!」
 ハンターは、腰に下げた海色の虫籠を冷たい男の前に押し付ける。
 虫籠の中で小さくなった無数の蝉や蝶、蜻蛉が飛んでいるのが見える。
「見てみ!もう百匹以上捕まえてんねんぞ!むしろハンターとしては激優秀やからな!」
「もう・・・一生バッタは食べたくないにゃ・・」
 普段の茶トラ猫からは想像出来ない弱々しい口調で項垂れる。
「だから私が捕まえると・・」
 その途端に1人と2匹が眉根を吊り上げて睨む。
「先生は動かないで!」
「会長、シットダウンや!」
「お願いだからこれ以上の災厄を振りまかないでにゃ!」
 1人と2匹の必死な静止にチーズ先輩は、細い体をさらに細くする。
 どうやら凛と佇んでいたのではなく、全員から動かないように言われていただけらしい。
 冷たい男は、小さく嘆息するとチャコールグレーの手袋を外す。
 その途端に室内の温度が数度下がった感覚に襲われる。
「ハンター、虫籠から蝉を1匹出してくれる」
「何でや?」
「いいから」
 冷たい男は、彼にしか見せない少し強めな口調で言い、続いて茶トラ猫に視線を向ける。
「火車さんもすいませんがバッタでも蝶でも1匹捕まえてもらえますか?」
 その口調は、ハンターに向けたものとまるで違う穏やかなものだ。
 茶トラ猫は、「火車いうにゃ!」と怒りながらももう見るのも嫌になっていたバッタを捕まえ、ハンターは、海色の虫籠から蝉を出した。
「俺が触ったら直ぐに手を離してな」
 そういうと冷たい男は、人差し指を立てて、ハンターの持つ蝉と、茶トラ猫の捕まえたバッタに触れた。
 その瞬間、蝉が短い悲鳴のようなら鳴き声を上げ、バッタが聞いたことのないか細い声を上げる。
 ハンターと茶トラ猫は、同時に手を離す。
 蝉は、弱々しく逃げ、仲間のいる壁に止まる。
 バッタは、そのままドライフラワーの中に消える。

 刹那。

 冷たい男の触った蝉を中心に壁に純白の霜が走り、蝉を巻き込んで凍りついていく。
 ドライフラワーから冷気が巻き起こり、白く染まり、花弁や茎に止まっていた虫達が凍りつき、床に落ちる。
 突然、店内に訪れた氷河期に2人と2匹は口を丸く開ける。
 冷たい男は、チャコールグレーの手袋を嵌める。
 その途端に部屋の気温が数度上がる。
「表面が凍ってるだけだから後で夏の部屋ってとこに戻して上げて。数時間もすれば溶けるから」
 冷たい男は、そういって優しく微笑む。
 ハンターは、凍りついた蝉を虫網のそこ軽く突く。
「これは・・・どう言うこっちゃ?」
「俺が触った虫から発された冷気が回りを冷やしただけだよ。保冷剤みたいなもんさ。一瞬だし、冷気も弱いから長く持たないけど」
「・・・お前、葬儀屋じゃなくて冷凍食品業界か害虫駆除業界に転職か起業したらどうや?稼げるで」
「興味ない」
 短く答え、チーズ先輩に向き直る。
「ところで先輩・・・さっきの話って?」
 あまりにも呆然としていたチーズ先輩が冷たい男の声に意識を戻す。
「さっきの・・・話し?」
「あれですよ。"とある物語"でしたっけ?」
 冷たい男の言葉にチーズ先輩は、「ああっ」と話しの内容を思い出す。
「その・・・葬儀にいた子は茶色の羽根ペンと黒革と金糸の本を持っていたのですよね?」
 冷たい男は、頷く。
「そしてご遺体から黒い水のような文字が出て来て羽根ペンに吸い込まれて本に書き込んでいた?」
 冷たい男は、再び頷く。
「母でないので断定は出来ないのですが、話だけ聞いているとそれは"とある物語"だと思われます」
 子狸は、線香を数える手を止める。
 虫を回収していたハンターと茶トラ猫も手を止める。
「それって何かの本なのですか?」
 自分で言って変だと思う。
 本だったら筆を走らせる意味がない。
 案の定、チーズ先輩は首を横に振る。
「本ではなく手記・・・人生記と呼ぶのが正しいかもしれません」
 教員の卵ならではの説明口調でチーズ先輩は話しだす。
「"とある物語"は、その人の歩んできた人生を文字に変えて記すんです」
 意味が分からず冷たい男は、眉を顰める。
「その少年が去った後、何か変わったことはありませんでしたか?例えば遺族の態度とか・・」
 チーズ先輩の問いに冷たい男は、頷く。
「出棺を終えて火葬して斎場に戻ってくるとあれだけ悲しんでいた遺族達が平然としてました」
 そう平然と。
 悲しみはおろか喜怒哀楽全ての感情を削ぎ落としたように淡々と式の続きをしていた。
 社長の言われるままに合掌し、祈り、住職の言われるままに経を読み上げる。
 そこには一つの感情も上がらず、数合わせに参加させられた行事のように淡々としていた。
 そのあまりの変化に戸惑った冷たい男は、社長にその事を話すと社長も同じように感じたと言う。
 そして言うのだ。

 故人は結局どんな人物だったのだろう、と。

 冷たい男以外の誰もが、社長も遺族も誰もが故人のことを覚えているだけで何も知らないのだ。

 まるで物語の名もない登場人物のように。

「その亡くなった人は"とある物語"に人生を記された。つまり人生をなかったことにされてしまったのですよ」

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