最近野球を観に行く気になれない
福岡ドームの名前がまた変わるらしい。
しかも今度はみずほ銀行とのダブルネーミングライツで。
こんなにしょっちゅう名前を変えて、ファンは今のスタジアムの名前をちゃんと把握しているんだろうかと思うのだけど、たぶん今ではそんなの誰も気にしないんだろう。
「たかが球場名」ではあるんだけど、そこから来る様々な違和感を皆が感じなくなっていることは、現在を生きる人間としてどこか感覚が鈍くなっているんじゃないだろうか。またそれらと関連して、今のスタジアムスポーツが段々と足を向けづらく、個人的にイヤな感じの文化になりつつあると感じるのは自分だけだろうか。
具体的に何がイヤかって、もともとスポーツ観戦って、ただ純粋に試合を見に行く、というだけの行為だったのに、それが今では「客にカネをいくら落とさせるか」「どうやって客から少しでもカネを吐き出させられるか」にばかり汲々とする風潮になってしまっていること。
まだ自分が20代の頃は、当時応援していたベイスターズの試合を見るために、多い時は年に10回以上横浜スタジアムに足を運んでいた。
必要なのはチケット代と交通費。飲み食いがしたければ近くの酒屋やコンビニで買い、余裕があればさらに球場内でビールを1~2杯とおつまみ。それだけで十分だった。
なのに、いったいいつからおかしくなり始めたんだろう。
そのきっかけとして思い当たるのは、楽天の球団創設と、スタジアムにネーミングライツが導入されだした頃からなのかもしれない。
もちろん当時は、そんなことは考えもしていなかった。いち宮城県出身者として、新球団が仙台にやってくる、というだけで楽しみでしょうがなかった。
かつてはどうしようもなくボロかった宮城球場が、少しずつ様変わりしていく様子は感動的だった。内野指定席を買った人だけが入れるパブで、ビールを飲みながら試合を見たこともあった。
しかし、そんな旧宮城球場が毎年のように名前を変えていくあたりから、なんでそんなに?と違和感を感じるようになっていく。
そして、楽天の成功モデルを他の球団が追随し始めたあたりから、徐々にプロ野球の観戦スタイルが変わっていく。
そのひとつが飲食物の持ち込み禁止だ。球場内への投げ込みを防ぐため、缶・瓶・ペットボトル類の持ち込みは年々厳しくなっていったがそれは建前で、本音は少しでも球場内で飲み物を買わせたいんだろう。
納得がいかない。ビールぐらい自由にさせろよ。
というわけで、それからはプリングルスの容器に缶ビールを入れて持っていくことにした。飲み足りなければちゃんと売り子さんから買うし。
ところが近年では、飲食物の持ち込みを一切禁止している球場が増えているらしい。そもそもプリングルスはいつの間にか容器が小さくなって缶ビールを隠せない。
それどころか、楽天の本拠地では家から作ってきたお弁当すらダメとか。アホ過ぎて言葉も出ない。
もうひとつ感じた違和感が、多種多様なサードユニフォームや限定ユニフォームが、毎年のように作られるようになったこと。
いろいろな記念日やイベントにかこつけて、チーム本来のカラーとは全然違うユニフォームを何色も使うようになった。
中には「ホントにそれ着て野球するの?」と言いたくなるようなセンスのないデザインも珍しくない。
来場者に配るのか、売るのかは知らないが、もはやチームカラーとかスタイルなんてものはどうでもよく、儲けにつながればいい、そんな思惑しか見えてこない。
極めつけは、ダイナミックプライシングとかいうチケット代金の多様化だ。
この前、ヤクルトが神宮の座席料金をホームとビジターであからさまに差をつけて販売したことが問題視されたが、あれを導入したのも確か楽天だったような気がする。
内外野、自由席指定席、ネット裏、場所によって値段が違うのは当たり前としても、開催曜日や対戦相手によって料金に差をつけるのはやり過ぎではないのか。
スタジアムそのものについてもそう。
スタンドに設けられたバーベキュースペース。
スタジアムに併設されたブルワリーや宿泊施設。
「様々なアクティビティ体験」と言えば聞こえはいいが、今の新しいスタジアムが求めているのは、純粋な野球観戦以外で、どれだけ客にカネを落とさせるかであるとしか思えない。
もちろん、せっかく楽しみに来たんだから、思い切り楽しんで帰りたい、日頃節約しているんだから、パーっと使う場所があってもいいじゃないと考えるのは自由だ。だけどそのお金、本当に楽しみたいことのために使ってる?
球団や球場管理者の懐が潤う方向に誘導され「楽しむように仕向けられてる」んじゃない?
話がプロ野球のことばかりになってしまったが、サッカーや他のスタジアムスポーツでも、同じことが起こっているのではないだろうか。
自分がそんな疑念を抱き、ハタと目を覚ますようになったのは、サイクルロードレースを見るようになってからだ。
サイクルロードレースは公道がそのままコースである。なのでスタジアムという概念もないし、入場料もいらない。沿道にふらっとやって来て選手が来るのを待ち、通り過ぎれば帰るか、別の場所へ移動する。
周回レースやシクロクロスなら、選手が何度もやってくるのでその都度楽しめる。しかも選手とすごく距離が近い。
そのうえ、街が会場になるので、観光として街を歩く醍醐味もある。
こんな楽しみ方があることを知らなかった。
そう考えると、スポーツを見るのに必要以上にお金を使わされる今の風潮が、なんだか馬鹿らしく思えてくる。
もちろん、スポーツ観戦を楽しみに出かけるファンは何も悪くない。
楽しみ方はたくさんあっていいし、好きなチーム、選手のために惜しみなくお金を使うのもいいと思う。
だけど、今はスポーツ観戦に限らず、お金を使わずに楽しめる場所を強引に潰し、消費を強制するような商業施設が都内のあちこちに作られている。
遊ぶだけではない。リモートワークが一般化した世相に乗っかり、公共スペースあちこちに設置されたワーキングボックス。
そのちょっとした空間ですらカネに換えようという姿勢には、浅ましさすら感じてしまう。
こうした、空間だろうが名前だろうが、カネに換えられるものはとことん利用し、人間の行動すべてを消費に結びつけようとする業突張りなやり方を押し通されると、意地でもそいつらの思惑通りになんかしてやるものかと気持ちを新たにするのだ。
とりあえず次に球場に足を運ぶときには、プリングルスの替わりに缶ビールを隠せる容れ物を探すとしよう。
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