お笑いと意地悪な社会

近頃は、弱い立場の人間を守ろうとか、政治に対して異を唱えることは、侮蔑や冷笑の対象になるらしい。
これは一部の特殊な人格の人々に限ったことではなく、多くの国民の潜在意識にも深く根付いているようだ。

そしてもっと悪いことに、本来国民の代表であるはずの政治家自体が、率先してこうした態度をとるようになって憚らなくなっている。

個人的には、攻撃される方のいわゆるリベラル系な人たちをSNSで多くフォローしているため、彼ら彼女らに向けられる非難や中傷がどれだけ人としての常識に欠け、筋道の通らないものであるかを見てきた。

現在、この国は際限のない揶揄と冷笑、無知と独善が蔓延る社会になり果てている。そしてこの社会をここまでおかしくしてきたものの正体とは、個人的には

「日本的」お笑い芸人の地位向上

が原因ではないかと考えている。
日本全国のお笑いファンやお笑い芸人を敵に回すことは承知の上だが、それでもあえて言いたい。

いち芸能人に過ぎないお笑い芸人たちが、約半世紀かけて日本人の他人に対する態度や振る舞いの質を変えてしまったこと、ここまでの社会的な地位・存在感と注目を得るようになってしまったことが、日本人の精神的な退化をもたらしたのではないのかということを。

お笑い芸人は、かつては社会の傍流で私たちに笑いと癒しを与えてくれる存在だった。
しかし、80~90年代以降の、弱い者や真面目な者を茶化し、貶め、笑い者にする芸人たちのスタイルが主流になり、特にその時代に人格形成の途上にあった子どもや若者は、その空気に敏感に反応し、たやすく影響を受けた。

その結果として世の中に蔓延するようになったのが
「マジな顔してお利口なことを言うヤツ」「真剣に議論する面倒くさいヤツ」「悩んだり考え込んだりするウジウジしたヤツ」
は、キモイ、ウルサイからバカにしてしまっていいという風潮である。

これは、強者や権力者をネタにしておちょくりまくり、大衆の不満や怒りを代弁する海外のコメディアンとは真逆のスタンスである。
脳科学者の茂木健一郎さんは、愚にもつかない弱者イジリや楽屋ネタに終始して、風刺と反骨精神が極めて低い「日本的」なお笑いを日本でしか通用しない、笑いの質が低いと喝破する。非常に同感である。

にもかかわらず、そうした「日本的」お笑いで彼らは日本の芸能界やエンタメの世界でも強い存在感を示すようになり、社会も彼らの芸に内包されるそうした性質を共有するようになっていく。

テレビはその人気を利用すべく、ワイドショーや情報番組、そしてついには報道番組にまで芸人を起用するようになってくると、一部の有名芸人たちは一躍オピニオンリーダーの座へと躍り出る。

本業以外の分野でも社会的に高いステータスを確保した彼ら彼女らの中に、政財界の権力者と接点を持つ者が増え始めるのは想像に難くない。

その結果どうなったか。もはや説明の必要はない。
2012年あたりを境に、政権の不祥事やモラルハザード、民主主義の手続きを無視した強引な政権運営が目立つようになった。
しかし、それらを糾弾し、声を上げる人々に対して、一部のインフルエンサーと呼ばれる連中は、嘲りや皮肉、悪態という形で貶め、権力者側を擁護するようになった。その一角を担っている中に、一部の有名芸人たちも含まれている。

憤りの声をあげ、真剣に怒る人々に対し、彼らはどこまでも茶化し、冷笑し嘲ることで優越感を得ている。
そんな彼らを支持し、崇める人々も同様に。
それはバブル期から平成前半に一世を風靡した、あの底意地の悪いイジリ芸文化の遺伝子が、大衆の中に連綿と続いていると感じられてならない。

とはいうものの、別にお笑い芸人全般が悪いと言いたいわけではない。
彼らの大多数は、みなおそらく至って真面目な努力家だと思う。日々頭を振り絞ってネタを考え、納得いくまで何度も稽古を繰り返し、どうすればお客に喜んでもらうかを追求しているのだろう。

そもそも自分は全くお笑いを見ないので、彼らに対しては何の興味関心もわかない。

ここで糾弾したいのは、現在の日本社会に醸成された、真面目に怒り、抗議する人々を茶化し、上げ足を取り、嘲笑うことを肯定する風潮であり、その風潮が社会の指導者階層にまで蔓延し、自分たちに文句を言う奴らは無視し、バカにして何が悪いという態度を示すようになっていることだ。

それに対し、一時代を築いた有力芸人たちや、彼らをもて囃し続けたマスコミに責任がないとは思えない。
ましてや現在でも嬉々として権力を擁護するような発言を垂れ流し続けて分断を煽る芸人を見ると、何をかいわんやである。

真摯な怒りや、心からの危機を訴える声に対し、冷笑を浴びせる者たちはいつだって弱く、鈍感で臆病だ。
問題意識に対する警戒心も想像力も希薄で、より大きな集団や組織の中で自分たちの立場を保つことにばかり汲々としている。

「失われた30年」でダメにしたものは、政治や経済の凋落だけではない。
もういい加減「目立ってナンボ」「ウケてナンボ」「イジリも芸のうち」みたいなのを持て囃す価値観はなくしていこう。
じゃないと、日本人がどんどん意地悪に、残酷になっていく未来しか見えてこない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?