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司書のへりくつ⑤図書館のアレはなぜダメなのか

図書館に行くと、人によってはあれもダメ、これもするなと注意されるケースは少なくない。そのたびに、めんどくさいな、ずいぶん窮屈なところだな、と感じた人もいるだろう。

だけど、そのほとんどは利用者からのクレーム利用者同士のトラブルを避けるためのものだ。そしてその中身や運用も場所によって違う。

ただし、日本全国どこの図書館でもほぼ共通して、館内で最低限守るよう求められる決まりはたったの3つ、あるいは4つだけである。

①飲食
②携帯電話での通話
③図書館資料以外の私物のコピー
④写真・動画撮影

①の飲食は言わずもがなだろう。
一番の問題は、においに加え、油汚れやしみ、食べこぼし、飲み物をこぼすなどによる資料の汚損。そしてカビや害虫の発生、特に食べ物のある所に必ず現れるあの黒光りする奴である。
ただ、近年ではカフェを併設する図書館なんかが出てきていることから、このタブーは絶対ではなくなっている。正直図書館をいったい何だと思っているのか見識を疑うのだが、それはまた別の機会に。

②についてだが、今となってはこれはあまり問題ではない。このご時世「電話」での通話なんてするのは年寄りか営業マンくらいだ。見かけたらその都度注意すればいい。

③の私物のコピーだが、これがダメなのは実は法的に面倒だからである。
著作権法第31条では、物的にも人的にも図書館が主体となって複写することを前提にしている。詳細は割愛するが、要するに図書館にコピー機が置かれているのはあくまでも「図書館の資料を職員の管理の下で」行う限りにおいて認められている、というのが建前だ。(実際には完全な管理は困難だ)

つまり、図書館のコピー機はそこの図書館資料をコピーするためにしか使えない。だがほとんどの利用者はそれを知らないから、たいていの館では上記の著作権法に基づく禁止事項を掲示しているはずだが、腹立たしいくらい誰も読まない。
けっきょく、どこぞのじいさんが自分の保険証をコピーできないんだがとカウンターに申し出る。当然私物のコピーはダメですと言われるが、理解できず逆ギレする。こうした事例は今日も日本のどこかで起こっている。

さて、そんな中で最もめんどくさいのは④の写真・動画の撮影だ。
日本では図書館に限らず、公共の場や商業施設・店舗内でも撮影を禁止しているところは多いが、今では多くの人が、事あるごとに何でもスマホで写真を撮ることが半ば習慣化している世の中だ。
そして、図書館での「撮影禁止」という問題は、先ほどの3つに比べ、非常に複雑な側面を持っている。なので、今回はこの件について少し考察してみたいと思う。

そもそも、なぜ図書館内で撮影するのか。
いくつかの目的はあると思うが(インスタに上げるならよそでやっとくれ)、そのほとんどは図書館資料のメモ代わりだ。ノートに書き写すより簡単だし、コピー代がもったいない。
ただし、書店でこれと同じことをやるのがダメだというのは多くの人が理解するはずだ。
何せお金を払って買うものだから当然だ。実際の現物を盗むわけではないので窃盗罪にはならないものの、書店の管理権を侵害すれば退去や賠償請求の可能性もある。
第28回[後編]デジタル時代の法律入門 ~権利を侵害しないための心得

では、無料で資料を使える図書館ならどうか。
実は著作権法では図書館資料をカメラで撮影して複製することは、(私的利用である限り)違法ではない。かなり端折っていうと、私的利用での複製は著作権法での範囲を越えない限り、著作物の半分までなら認められている。
そう、「半分までなら」。

この件が問題になり始めた当時の感覚では、まさかまるまる一冊撮影していくやつなんていないだろう、と高をくくっていたのかもしれない。
そりゃそうだ。携帯電話の画質も低く、ストレージの容量も今とは比べ物にならないほど少なかったし。

だけど今は違う。
現在では、スマホは高級デジカメ並みの画質を備え、ストレージも大容量になった。撮影した画像をPDFに変換したり、OCRでテキスト化すればスマホでの自炊も難しいことじゃない。
とはいえ、今でも資料の全部を撮影して保管し、そこまで手間をかけて保存するような人間は極めてまれだというのもまた事実。

となると、図書館で撮影を禁止する法的根拠は薄い。そのため、多くの図書館では、「静粛な環境を守るため」の「施設管理権」をタテにとって撮影を禁止しているのが現状である。

それでも館内撮影はするべきではないという理由

ただ、たとえ法的根拠がなくても、やはり図書館という場所での撮影は禁止したほうがいいし、するべきではないと思っている。自分が現場の人間だからというポジショントークでもあるが、いくつかの弊害はやはりあるからだ。

その一つが盗撮である。あまり理解している人はいないが、公共の図書館は思っている以上に治安はよくない
以前にあった事例で、しゃがんで書架の下の段の本を取ろうとしていた若い女性が、反対側の棚から隙間越しに盗撮されたということがあった。
また最近では、小学生以下の子どもが性被害に遭う例も増えている。
実害の有無を問わず、どこの世界に自分の子どもの写真を見知らぬおっさんに勝手に撮られて、平気でいられる親がいるだろうか。
誰でもどんな人でも入れるのが公共図書館の良いところではあるが、それゆえのリスクについても覚えておく必要がある。

もう一つは音。シャッター音である。
現在は音のしない機種や機能もあるが、それでも大半のスマホはシャッター音が鳴る。しかも静まり返った館内で鳴ると、結構響く。本や雑誌、新聞の文字を追うことに没入しているときに、不意に鳴り出すと途端に集中が途切れてしまう。
ゴルフやテニスで、プレー直前に観客が大きな音をたてたせいで選手の調子が狂う、あの感覚に近いだろう。

最近では公共の施設でも対話型学習やワークショップなども盛んに行われ、図書館に静寂だけを求めるのは時代に合わないという意見もあるが、ならば必要に応じてそうした場を提供できるような体制を整えればいいだけ。

図書館の従来からの、そして本来の目的はあくまでも資料の閲覧と利用。
世間の喧騒を離れ、読書や調査利用に集中するために雑音を排する空間はどうしたって必要である。

最期の理由は抽象的かつ精神論で申し訳ないが「行儀が悪い」。これに尽きる。
目の前にある資料と、そこに書かれた創作物(文字・画像)に対し、撮って後で見返せるようにすればよいという、自分の眼と頭で正面から向き合うことを最初から放棄する姿勢。
資料そのものに対する畏怖と敬意を持たず、ただ紙の束と文字情報の塊に過ぎないとみなす態度。
そこにはを自力で咀嚼し、己の血肉にするという意思が感じられず、資料と向き合うという意味では、不誠実とまでは言わないが、とても「行儀が悪い」としか言いようがない。
ビュッフェやバイキングで自分が選んだ料理をじっくり味わうことをせず、タッパーを持ち込んで片っ端から詰めて回るくらい品が悪いと言ったら言い過ぎだろうか。

前述の「図書館と著作権」のサイトではこの問題について「権利者の利益を侵すとまでは言えない」としながらも、その後以下のように述べている。

著作物の宝庫である図書館で、わずかずつであっても、自由にあれもこれも撮影しまくるというのは、あまり感心したことではありません。

図書館と著作権|公益社団法人著作権情報センター

この短い一文に、現場の図書館員の本音がすべて凝縮されていると感じる。
その「あまり感心したことではない」というやんわりとした言葉の裏には
「本を何だと思ってるんだ」
「図書館に何しに来てるんだ」
という、静かな憤りが色濃く透けて見える。

ただこの「行儀が悪い」という言葉を現在では日常でほぼ聞かなくなったことからもわかるように、今の社会ではコスパ良く利益を得るのが最も賢い生き方として推奨される。
いきおい、行儀や品性の良い、ていねいな生き方のできる人間を目指そう、という考えはむしろバカにされる風潮が蔓延り、さらに技術の進化がそれを後押しする社会になってきた。
このことは、今回の問題とあながち無関係でもないように思われる。

もっとも、自分も人様に言えるほど品が良いわけでもない。それでも、できるだけみっともないこと、無作法なことはしないように生きていきたいと思うのはおかしな考えだろうか。

もちろん、単なる調べ物や情報収集にすぎないなら、それでもいいだろう。借りて帰れば物理的に毀損しない限り、どう使おうが自由だ。
借りられない禁帯出資料ならコピーでもいいが、一番良いのはやはり「手でメモを取る、書き写す」ことである。
「それが面倒くさいから撮るんだ」「撮っておいたほうが早いし簡単でコスパがいい」と思うだろう。しかし、スマホで撮った資料なんて意外にその後ろくに見なくなるものだ。

そして最後に言っておきたい。自分の目で文字を追い、手を動かして書いた方が、デジタルでの学習より脳への記憶の定着力が高い、つまり一番効率が良いということを。
本でも風景でも、カメラを通してしか見てないものなんて、みなすぐに忘れてしまうんだよ。

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