見出し画像

街の灯り

♪そばに誰かいないと 沈みそうなこの胸
まるで潮がひいたあとの暗い海のように
……
街の灯りちらちら あれは何をささやく
愛が一つめばえそうな胸がはずむ時よ♪
○バーバ・パパとバーバ・ママ

寄り添い 支え、支え合う
そんな関係っていいよね?
もう五月だって言うのに雨のせいか
ちょこっと肌寒い
って、まぁそれはともかく
「街の灯り」です、えぇ 巨匠こと堺正章氏が 1973年(昭和48年)に
テレビドラマ「時間ですよ」の挿入歌として歌った歌ですね。
歌詞が とても素敵です。また若き日の堺正章さんの声がまたとても
素敵です。
この年は、第一次オイルショックが起きた年でもありました、その翌年1974年には、以前の記事で触れたこともありましたけど「昭和枯れすすき」が同じく「時間ですよ」の挿入歌として歌われていました。ちなみにこのときの
「時間ですよ」の正式タイトルは「時間ですよ 昭和元年」だったそうで。
まぁ、これもうちのおじいちゃんが言ってた「船頭小唄」が大正枯れすすき
だなんていう話となんとなく信憑性を持たせるような。まぁ 単に
「枯れすすき」って曲名ですが。
※第一次オイルショックは、第四次中東戦争の勃発によって起きました。
なんと申しましょうかこの時石油製品とは、まったく関係のない紙製品への影響が出たこと。トイレットペーパー不足ですね。多くの主婦の方々が当時、トイレットペーパーを求めて小売店へ駆け込んだそうで、まぁそうなれば必然的に店頭からトイレットペーパーがなくなりますが、まさに人為的なことが原因で紙不足になってしまうとは。ね?情報の精度、取捨選択ということで情報(データベース)の授業できっかけとして取り上げたものです。
☆うちのおばぁちゃんとかとほぼ同世代の方々から話を聞くに本当に大変だったそうで、中には大きな箱ごと買い占めに走った方もいらっしゃったという話。何が正しいか、何がおかしいか。まったく関係ないことではありますけどこの時代を生きた方からは、大きく歴史が変わるとき別の出来事で真実を覆い隠す。そこで騙されないようにしないといけないよとは、学生時代の恩師の話です。
※大正15年(1926年12月25日まで)、昭和元年(1926/12/26以後)でございます。
それはともかく灯りを点すにも電力が必要ですよね。化石燃料、、、石油、石炭。そして水力エネルギー。えぇ、この昭和の40年代の話ですが。
でもって水力発電に目を向けると今日の扉絵の画像につながってきます。
☆お気に召すままスマホ写真の続編から04の最後にアップさせていただいた画像と同じなのですけど。
旧端出場水力発電所の画像ですね。もちろん「みかんの国」の電力会社さん
のものではなく一企業さんの発電所なのですけれど。当時としては、かなりの規模を持っていたと思われます。銅の精錬を行うために電力供給する必要があった。それを自前で解決するとはねぇ。
1912年当時国内で最大級の3,000kWであり後に発電機の増設等により最大で4,800kWの発電を行ったということです。
※現在「みかんの国」を含む電力会社さんの最大発電力は約500万Kw、ということを考えるとかなりの発電力だったということですね。
この旧端出場水力発電所は、2010年に企業さんから市の方へ寄贈されたそうで、その後2011年に登録有形文化財へと指定されたという話。

でもって、令和5年の3月28日から一般公開が始まったのでございます。
見に行かなくちゃですよね?なのだけれど わたしは人が多いところが本当に苦手なので…あとのんびりゆっくりと見学できた方がいいですし。ということでほんのこの間になりますけど。出かけて参りました。
まぁ例によってゆっくりとよそ見をしながらですけど。

この日も「芍薬祭り」が続いておりましたので
のんびりと芍薬を愛でながら
目的地へ向けて歩を進めております。
先だって訪れたときよりもより満開に
見事に花開いているように感じます
以前「いらかの波」って記事の時に触れたことのある
ちょこっと歴史ある建物でございます。1937年、昭和12年に建築された宿泊施設の
一部だそうで。名前にも由来があるそう。「泉寿亭」
で、この場所に到着。以前の「つぶやき」に使った画像ですね。
少し歩き疲れたわたしは、ベンチに腰掛けて一休みいたしました。
映画「スタンド・バイ・ミー」に出てきそうな雰囲気だなぁって
思ってしまったよ。この鉄橋が、渡れないのは残念。
この鉄橋の向こう。………奥に件のローカル列車が走っているのですが。うぅ
頭の中は、既に「Stand by Me」の曲がグルグル回ってます。
ベン・E・キング氏の声が………聞こえてくると言う。
そういえば、この方「ラスト・ダンスは私に」も歌っていらした。
っていうか、この映画には、なんと、なんとあの「ジャック・バウアー」氏が出演されていた
ということを改めて思い………出した次第でございます。
キーファー・サザーランド氏もえぇ男はんになりましたなぁ。
※「ラスト・ダンスは私に」この曲って原題が「Save The Last Dance For Me」っていうのだけれど作詞家のドク・ポーマス氏の究極のラブレター・ソングだとも言えるという秘話。
幼少期に罹患したポリオによって杖と車椅子の生活を余儀なくされた作詞家さんの出来事がもとになっているお話。ね?訳してみると 最後のダンスだけは 私のためにとっておいてって(最後のダンスはわたしと踊って)。
2004年に「Shall We Dance?」ってリチャード・ギア主演の映画で使われてますね。映画その
ものは、なんと役所広司さん主演で1996年の作品の日本映画リメイクになるのですけど
テーマ曲の当て方はもうもうこれっきゃないよって感じではまっていました。
えぇ、役所広司さんもリチャード・ギアも好きですが何か?

ちょいと長くなってきましたので前半と後半にわけて記事にさせていただきますね。って誰に言うてはるん?

※2023年5月20日2:17 上記本文を追加および訂正
本日もお立ち寄りいただき、また最後までお付き合いくださって
ありがとうございます。お立ち寄りくださった方々のところへは後ほど
伺わせていただきますね。
それでは おやすみなさいませ。
「みかんの国」から  凛


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?