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ブラック校則をなくすために 〜ルールに頼らず指導することが大事〜

はじめに

私は都内の私立高校に勤めています。勤務校の校則は、私立高校としては一般的で特に厳しくもないが、全く自由というわけでもない..。よくも悪くも「普通」というイメージです。

近年になり「ブラック校則」という言葉をよく見かけるようになりました。社会通念から逸脱していたり、あまりに理不尽な校則がいつのころからか「ブラック校則」と呼ばれるようになり、SNSや一般のニュース等でも話題にのぼるようになっています。

よく見かける、ブラック校則の例をいくつか挙げてみます。

・地毛の色が明るかった場合には黒く染めなくてはいけない
・癖毛の場合にはストレートパーマをかけなければいけない
・日焼け止めの禁止
・下着の色の指定(白やベージュなど)

これらの校則は確かに理不尽であるし、一般的な社会通念からしてもおかしいといわざるを得ないでしょう。

私自身は高校教師という立場から、ブラック校則は無くなればよいと思っています。

そこでこの記事では、なぜブラック校則が生まれてしまうのかを考え、その上でどうすればブラック校則が無くなるか、私なりの意見をまとめてみたいと思います。

なぜブラック校則が生まれるのか? 〜 ルールに頼る教師 と 理不尽な保護者・生徒がブラック校則を生む〜

ブラック校則が生まれる背景について考えてみたいと思います。全ての事例に当てはまる分けではありませんが、ブラック校則が作られる(作られてきた)仕組みについて考えてみます。

「ルール」だからという指導

染髪を例としてお話します。染髪を禁止している学校は多くあると思いますが、染髪そのものについては賛否両方の意見がありますね。染髪をしたいと思う生徒にとっては「そもそもなぜ染髪がいけないのか?」と考えるのは自然なことでしょう。特に犯罪でもないし、誰に迷惑をかけるわけでもないのになぜ、禁止なのか?

教師にとっては痛いところを突かれたというところでしょう。確かに染髪自体は、一般社会でもごく普通にされていることです。人を傷つけたり、人のものを盗んだりといった、議論の余地なく「悪」であるわけではなく、校則に反しているということを除けば、なぜダメなのか、明確には答えられません。

そこで教師が頼るのが「ルールだから」という理屈です。集団には秩序を守るためのルールが不可欠、そのルールを破っているのだから悪い!という具合です。
教師は自分自身も学生時代に学校では良い子だった人が多数派なので、基本的には「ルールは守るべきもの」と盲信している人が多いのです。
これは教師の困った気質の1つといえます。ある種の思考停止状態で「ルールだから」と考えてしまったほうが楽なのです。
もちろんルールを守ることは大事なのですが、そもそものルールの妥当性について検証することを放棄してはいけません。本当はルールよりも社会通念のようなものの方がよほど大切なはずですが、これについては後でまとめたいと思います。

このように教師はルールの中身について考えることを忘れ..盲目的に「ルールだから」とルールに頼って指導をするようになってしまいがちなのだと思います。

理不尽な保護者・生徒

染髪の例に話を戻します。元来は一般的な黒髪である生徒が、茶髪に染髪してきたとします。おそらく、教師からなんらかの指導をうけることになるのでしょうが、その時にこれは地毛であると嘘をつく生徒がいます。時に、保護者も一緒に嘘をつく(というか子どもの肩を持つ)場合も少なくありません。さらに「髪が茶色いのは私だけではないはずだ!○○さんも髪が茶色いではないか!」といった訴えをしてくることもあります。こうなると教師は弱いです。(特に今の時代は)
保護者が一緒に出てきた時点で、ほぼ嘘だとわかっていてもそのような指摘は出来なくなります。仮に教師が「嘘ですよね?」などど言ったら「証拠はあるのか?」「生徒を信じないのか?」「染髪で無いのだから違反ではない!どこにそんなルールがあるんだ!」と攻撃を受けることになります。もはやお手上げです。

ブラック校則誕生!

元々は教師も、地毛が少し明るい色の生徒を黒髪に染めさせるべきだとは考えていなかったはずですが、そこをついて茶髪を地毛であると嘘をつく生徒(その肩を持つ保護者)が現れると「染髪禁止」というルールだけでは指導が出来ないわけです。そこで、ルールを強化して「髪色が明るい場合は黒く染めること」という校則を追加します。嘘をついた生徒に新ルールに基づいた指導をするためブラック校則が誕生するわけです。

もちろんその時点では、嘘をついている生徒を指導するために校則を強化しただけなので、本当に髪色が明るいだけの生徒には適用しないという運用上の暗黙の了解があることが多いのですが...これが数年経ち、そういった経緯が忘れ去られると、残るのは明文化された「色が明るい場合は黒く染めること」という文章だけです。これこそがまさにブラック校則です。そのころになると、校則が作られた当時の事情を知る教員も少なくなっているので、文章として残っていない運用上の暗黙の了解など忘れられます。ついには、校則として明文化されたルールに基づいて本当に地毛が明るい生徒を黒く染髪させてしまうということが起こるのです。

全ての場合がこのとおりだというわけではありませんが、多くのブラック校則が..「ルールに頼る教師」と「理不尽な保護者・生徒」の掛け合いから生まれてくるのでしょう。

ルールに頼らず指導しよう!

ここからは現役の先生方へのメッセージです。

ブラック校則を無くしていきましょう。その為に教師が持つべき視点について私なりの考えをまとめます。

社会通念の方が大切

本来は校則(ルール)以上に社会通念が大事なのだと思います。逆にいうと、社会通年に照らし合わせて、生徒を守るため、集団の秩序を保つためにルールが必要なわけで、それをまとめたものが校則であるはずです。

染髪の件に関しても、高校生が髪を染めることについて良くないことだと考える方は少なくありません。特にある程度年配の方々はそう考えている方が多いのではないでしょうか。また、極端に派手な染髪をしている高校生は目立つこともあり、事件や事故に巻き込まれるリスクが高いことも感覚的ではありますが、十分あり得ることだと思います。そういう理由から「染髪は禁止」という校則が出来たのでしょう。私自身は今の時代では自然な範囲の染髪は許容すべきと思っているのですが、染髪禁止という考えにも十分妥当性があると思います。

そういう意味で極端な色の染髪をしている生徒には堂々と教師自身の言葉として「それは良くない」と指導すると良いのだと思います。
ルールに反しているからということだけに頼らずに、なぜそのようなルールがあるのかも含めて説明すればある程度はわかりあえると思います。

もちろん、それでも説得に応じない生徒・保護者はいると思いますが、そもそもその人たちの為に、他の多くの人にとっては不利益になる妙なルールを増やすことはトータルでマイナスになります。

最後に 〜校則を見直し続けていくことが大切〜

社会は絶えず変化していきます。染髪に関しても、数十年前はアナウンサーや銀行の受け付け係りといった多くの人の前に出る職業の方々は黒髪であったと思います。現在では自然な範囲の染髪は全く違和感なく認められています。それをもって即座に高校生も染髪して良いと断言は出来ませんが、検討はすべきだと思います。その上でやはり禁止とする学校もあれば、解禁する学校もあるでしょうし、それぞれの学校の判断は尊重されるべきだと思います。

大事なことは社会通念が変化するのであれば、それに照らして校則が妥当であるかを教師自身が考えて判断することだと思います。ルールだからと思考停止するのではなくルールそのものの妥当性については考え続けなければいけないのだと思います。ある意味でそれがルールを決める側にいるものの責任なのではないでしょうか。


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