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創造力がいったん死ぬ時

以前実家に帰った時のこと、

幼稚園年中さんくらいの僕の甥は、磁石でくっつくブロックに夢中でした。

しばらくして、何かが出来上がったらしく、おばあちゃん(僕の母親)にそれを見せに行きました。


おばあちゃんは、子供が作ったブロックの集合体を見て、こう言いました。

ーーー
ば「何を作ったの?」

子「んー。。わかんない。」

ば「わかんないものを作ったらダメでしょ。」

子「。。。」
ーーー

甥っ子は納得のいかない表情で、その場をさりました。


おばあちゃんは、特に悪気もなく自分が思ったこと、教育として正しいと思ったことを伝えたんだと思います。

僕は、このやりとりを見ていて、なんとなく悲しい気分になりました。同時に、僕はそういうふうに育てられたんだろうなとも思いました。

自分の創造性は、もしかしたらこういう一言によって切り取られてしまうのかもしれない。子供の頃に一緒に住んでいる家族の一言なら余計に。
教育というのは、本当に恐ろしいなと。


確かに甥が作ったものは、抽象的なブロックの塊で、何でもなかったのだけれど、まずそれを作れたことがすごかったんだと思います。

ありったけのブロックを全部くっつけて作ったという行動自体を称賛すべきだったのではないかと思う。

子供もおそらく、その塊が作れたことに達成感があったからこそ、誰かに見せたかったんだと思います。
それを頭ごなしに叱られるなんて、たまったもんじゃない。
もしかしたら、その先ブロックで何かを作ることを、やりたくなくなってしまうかもしれない。
とても恐ろしい事だと感じました。


「こうでなければいけない」なんていう価値観を幼い時に植え付けられるなんて、今と思うとゾッとしますが、どのご家庭でも親の価値観が子に行き渡るのは当然。そして、それによって子供の価値観は形成されていきますね。
言わずもがな、かなり狭い範囲の価値観でしかない。

どこかで、概念を覆す経験をしなけれんば、社会に出るまで、もしかしたらその後もずっと、その価値観に縛られることになる。
世界がもったいなくなってしまう。


僕の場合も、小さい頃から厳しくしつけられた方だと思います。
その影響もあり、親や、先生の言うことは絶対だとなんとなく信じ込んでいたし、真面目な子だったなと今でも思います。良くも悪くも。
裏を返せば、怒られないように過ごしてきた嫌いがあります。
ルールは守らなければいけない、勉強しなければならない。という思い込みによって過ごしてきた。生まれながらの性格というのも関係なくないと思いますが、後天的な要素は大きいと思います。

これを覆すことになるのは、20を過ぎた頃になるのですが、逆に言えば、その頃までずっと子供の頃の躾に縛られてきたことになる。

創造力が仮死状態であったといえます。

気づくタイミングがなければ、今も仮死状態であったかもしれませんし、気づけてよかったと思っています。


。。。


話は戻って、
甥っ子にとって、おばあちゃんの影響力というのは、母親のそれからしたらとるに足らないし、そんなに覚えていないかもしれない。
しかし記憶というやつは意外に侮れない。何かためになるものを与えたい。

僕は、おじさんという立場になって思いましたが、おじさんという存在、またはその発言が、甥や姪に与える影響力というのは、かなり小さい。
子供にとってのおじさんとは、良くてせいぜい「力持ちの遊び相手」ってとこでしょう。
だから口で何かを伝えても、基本あまり効果がないと感じています。実感として。


なのでせめて、その子が小学校に上がるタイミングで、この本を送りました。

りんごかもしれない


絵本ですが、これは良著。
モノの見え方について、わかりやすく描かれています。


いつ読んでもいいので、いつかは気付いて欲しい内容です。



おしまい。

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