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生活教

✳︎今日のひとこと

小沢健二さんが家庭を持ってから、いや、きっともっと前からいつも静かにテーマにしていることは、毎日の生活の中から全てを発見する、ということだと思います。
奇しくもそれは私とまみちゃんの「よなよなの集い」の共通テーマでもありました。
そして私の父も日常において、そういう思想の持ち主でした。
少しだけ違うけれど、坂口恭平さんにも通じるものかもしれません。
手を動かしていれば、何かが見つかる。
自由な心を持つことが全て。
そこには人類が歴史の中で、悲しみと苦しみと共に発見した負の遺産という側面もあるのかもしれません。
たとえばほんの少し前までは、親の決めた人と好きでもないのに結婚して女性は子どもをたくさん産んで、男性は家族を養うために働いて、みんなぼろぼろのよれよれで自分の人生なんて考えるひまもない人生を送っている人がたくさんいたのだし。もちろん時差みたいなもので世界にはまだまだその域にある人たちが多い国だっていっぱいあるのです。それからそういう時代でもその生き方を選ばなかった勇敢な人たちや、その生き方の中でも哲学を深めていった人だってたくさんいたのですから、良し悪しは簡単には測れません。

ただ、もう戻れないだろうな、それだけは確かな気がするんですよね。
そういう時代の、やむなく生きるために手を動かす形ではなく、自分を発揮するためにいつも暮らしの中で動いている、これからの生活っていうのは、そちらの方向だといいと思います。
体がないかのような、天国にいるような思考のしかたで、しかし現実の体には柔らかい筋肉をつけて、ひたすら動き、今やるべきことを動きながらひらめいて見つけるのです。
人として肉体を持って生まれてきたからには、なにかからずれないため(多分自然とか宇宙)、動くことと生活をすることは逃れることのできないことなのかもしれません。
たとえば叶姉妹だってちゃんと綿密に調整しながら生活をしていますから。それが朝マスクメロンを準備して食べ、夜は毎日肉であろうとも、全く問題ないのです。

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吉本ばななです。やがて書籍になるときにはカットされる記事も含めています。どくだみちゃんは散文、ふしばなはブログ風です。コメントはオフですが…