【さよなら】じーちゃんのバラード【おかえり】

はいこんにちは。
思い出を美化して生きているタイプの作詞家、藤橋です。
昔は痩せてた、モテた みたいなことをよく言いますが
美化と言うよりもはや捏造に近い気がします。
周りの方はお気をつけください。

恒例の自己紹介はこちら。

さて、今回は
1年後に解散するロックバンドのバラードを作詞したぞ!
という話です。

ある日、作曲家の淳太くんに
8分の6拍子でバラードを作りたい!
と世間話ついでに伝えました。

まぁ、いつかそんな日が来れば。
くらいの気持ちでいたぼくのお気楽感とは裏腹に
曲が鬼神のごときスピードで仕上がってきたので大変です。

これがまた、
イチバンのギターロックを踏襲しつつ
どこかノスタルジックで
我々のDNAが心地よく感じるような曲調となっており
ぼくに「すぐリリースしたい!」と思わせる圧に似た魂のようなものが
ふんだんにちりばめられていました。

そんなこんなで、
ぼくは睡眠を削り倒して作詞に取り掛かることになったのですが。

不思議なことに
本来バラードが苦手なはずのぼくが、どういったわけかスラスラと筆を進め
たった数日で完成に至ってしまいました。


ちょっと話が変わりますが。

ぼくには大好きな祖父がいました。
地方の田舎町に住み、子供心にちょっと怖いばーちゃんと対をなす
とても優しいじーちゃんでした。

真面目一筋、技術職のサラリーマンとして勤め上げ、
派手な贅沢をすることもなく、周りには責任という名の愛を注ぎ、
最愛のばーちゃんに見守られながら一昨年亡くなりました。

そんなじーちゃん、もう真面目も真面目、大真面目な人でした。

一つひとつしっかり指差し確認をしながらでないと進まないタイプの
悪く言うと、絵に描いたような堅物でした。
某放送局の電波を遠方の地域に広げる仕事をしていたそうなのですが
このような確実性こそが大きな事業の礎になっているんだなぁ、と
尊敬の念を抱いていました。

二つほど、じーちゃんとの思い出をつづらせてください。


一つ目は、ぼくがまだ小学生になるかならないかの頃に帰省した時。

何か気に食わないことがあり大泣きするぼくを見て
普段は遠巻きに接していたじーちゃんが、珍しく手を繋いでくれました。

今思うと、あれこそが技術の人の手なのでしょう。
大きくてゴツくて、信じられないほど固い手でした。
少しでも孫の機嫌を直してやろうという気遣いがあったのだと思います。
それをぼくは「痛いから嫌だ」と言って跳ね除けました。

感情のコントロールが下手で、ついそんな行動に出てしまったぼくも、
子供心に「あまりにも申し訳なかったなぁ・・」とショゲていたその夜。

とっくに機嫌も直って寝ようとしていたぼくのところへ来たじーちゃん。

「こっちおいで」と居間に呼ばれ、
さすがに怒られるかな?と思いつつ、後ろからついていくと
どこかから買ってきたであろう葡萄が皿に山盛りになっていました。

「みんなには内緒だよ」と囁くじーちゃんは、それを食べろ食べろと勧めます。
きっと、何かがあって未だに機嫌が悪いであろう孫への気遣いだったのでしょう。
ぼくはとっくにケロッと治まっていたのが申し訳なく感じ、
まだ機嫌悪いよ!と言わんばかりにしかめっ面を作りながらひたすら食べました。
そして、あんなひどい事を言ったのに、という罪悪感でいっぱいになり
最後に改めて泣いたのを覚えています。
ただ、結局謝ることはできませんでした。

とても不器用で優しいじーちゃんでした。
ぼくも同じくらい不器用でした。


二つ目は、ぼくが高校を卒業するくらいの頃だったと思います。

東京に遊びに来ていたじーちゃんは、我が家に泊まっていました。

当時のぼくはと言うと、あまり誇れるような生き方をしておらず
見た目からしてじーちゃんをガッカリさせることは火を見るより明らかでした。

なので、できるだけじーちゃんに会わないよう
その期間は外泊を続けていたのですが、
ある時、偶然が重なって鉢合わせになりました。

ちょっと見た目がアレな孫が
ちょっと見た目が派手な彼女を連れて
真面目一筋のじーちゃんと鉢合わせです。

さすがに何か言われるかな・・・と覚悟を決めたその時。

じーちゃんは彼女に

「この人は、本当は真面目で優しい子です。よろしく」
と言いました。

当時のぼくには、顔から火が出るほど恥ずかしい言葉でした。
「は?」みたいなことを言ってしまったと記憶しています。

今にして思うとあれは
若者の価値観などという小さな拘りを大きく包み込む
まっすぐな優しさだったのでしょう。
あんな態度を取ってしまったこと、これも結局謝らずじまいでした。


そんなじーちゃん。

棺桶で眠るじーちゃんに花を添えるばーちゃんが
しきりに「おとうさん、おとうさん」と呼びかける姿から
生前の優しかったであろう人柄が伝わってきました。

出棺時に雨がポツリと降ってきたのも印象的で
たぶん未だにどこかで出来の悪い孫を心配してくれているのだと思います。


話を戻しますが、
お盆という時期も相まって、そんなじーちゃんが近くに帰ってきてくれているのではないか
そんなことを感じさせるほど詞がスムーズに完成しました。

10月にはリリースできる予定ですので、
その際にはこんな話も少し思い出してもらえると嬉しいです。

雪田くん、大事に歌ってね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではでは。

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