シロツメクサ 2【創作BL SM小説】
「いや~悪いねえ。わざわざ車で取りに来てもらっちゃって」
余所行きの兄の顔だ、とまひるは思う。まひるは、兄のこの馴れ馴れしい笑顔が好きになれなかったが、この兄の表情によって、小さい頃はずっと助けられてきたのも確かではあった。人見知りがちで、初対面の人と話すのが苦手なまひるは、ずっと朝壱の後ろをくっついて生きてきた。朝壱の社交能力の高さによって、まひるは孤立せずに済んだとも言えるだろう。
「いえいえ。でも良いんですかこんなにたくさん…」
田舎にある実家からは段ボール何箱分もの、食材やら米やら日用品やらが湯ノ神家に定期的に送られてくる。いつまでも兄弟のことが心配な両親が世話を焼いていつも送ってくるのだ。
あまりにも頻繁に、そして大量に送られてくるものだから、ずっと困り果てていた。ある時まひるが、香月にそのことを愚痴ると、料理が趣味の香月は目を輝かせて羨ましがった。それで、デートに行く道すがら、ピックアップしてもらうことになった。
「いいのいいの!こんなに食べ切れるわけないんだし、いっつも腐らせちゃうからさ。むしろ、持っていってもらった方が有り難いぐらいだよ」
「えーありがとうございます~。わあ、美味しそうなリンゴがたくさん……」
「そうそう、うちの実家の隣がリンゴ農家でさ、いつもこの時期になるとどっさりくれるんだよ。ちょっと凹んでたり傷がついてると売り物にならないからって。形は少し不格好だけど味は悪くない。意外と買うと良い値段するみたいだしね。もし食べ切れなさそうだったらジャムにでもしちゃってよ」
「えー、有り難いけど、お返しするものが……」
「いいのいいの!学生さんなんだからそんな気なんて遣うことないんだって。それにいつもうちのまひるが世話になってるからさ、そのお礼ってことで」
そう言って朝壱が華奢な香月の肩をぽんぽんと叩いたのを、まひるは見逃さなかった。あ、今、俺の香月に触った……と彼は思う。
それからもまるで主婦の井戸端会議のように、これはお浸しにしたら美味しいやら、あれは肉巻きにしたら美味しいやら、何やら楽しげに話が広がっていくのを見て、モヤモヤした気分を募らせるまひるだったが、努めて知らんぷりをして、出かける準備を始めた。
部屋着を着替えて鞄を持って戻ってくると、
「湯ノ神光研?」
と不思議そうに言う香月の声が耳に入った。
「うむ!湯ノ神光画研究所の略称だ」
そう言って朝壱は特注の金属製の名刺を香月に差し出す。名刺交換などしたことのない香月は、あわあわと慌てて両手を差し出して、肩をすぼめながらぺこりとお辞儀をしながらそれを受け取って、しげしげと眺める。
「これ、俺の会社。まあいくつかやっているうちの1つなんだけどね。
光の画と書いて、“こうが”と読む。つまりは写真のことだ。俺はな、写真という訳語は好きじゃない。だって“真実を写す”なんてあまりにも仰々しすぎるし、実態に即してはいないだろ?写真が真実を写してきたことなんてあったか?加工だっていとも簡単にできてしまうだろう。
第一、フォトグラファーである我々は別に真実を写そうとしてきたわけではない。とは言っても、黎明期には、新即物主義――まあつまり、いわゆるノイエ・ザッハリヒカイトと呼ばれる運動もあったわけだが……あ、そうか。いや、それを説明するには、まず絵画主義写真から説明しないといけないかな…いやいや。まあ、いい。それはさすがに説明が長くなりすぎるか……
まあ、なんだ、それは置いておいてだな。
俺が言いたいのは、そもそも写真という言葉は、幕末の頃、上野彦馬という写真師が~」
ああまた、朝壱の悪い癖が出た、とまひるは頭を抱える。もうこれは止まらないだろう。こいつの写真史の講義に付き合っていたら日が暮れてしまう。彼の口は本当に留まることを知らないのだ。幕末から始まって、明治~大正、昭和、平成と、写真の黎明期から発展期、そして成熟期までをいつまでもずっと話し続けるだろう。せっかくの香月とのデートの時間をこれ以上つまらない写真史に費やされるのは我慢ならなかった。
香月はいい子だから、ニコニコと微笑みを浮かべながらいくらでも話に付き合うだろう。そう思ったまひるは、兄から香月を引き離すことにした。
台所に置いてある段ボールを持ち上げて、玄関に向かう。玄関に向かう道すがらわざと大きな声を出して
「あ~~~!悪ぃ悪ぃ、ちょい邪魔、兄貴!」
と言って、段ボールを押し当てながら、香月と朝壱を引き離した。
「つまり兄貴が言いたいのは、フォトが光の訳で、グラフィーが描くの訳だから、それを直訳した光画が気に入ってるから社名にしたってことだろ?ほら、香月も突っ立ってくっちゃべってないで、運ぶの手伝えって!」
「あ、うん。ご、ごめん」
「いいから台所にある段ボール、持ってきちゃって。車に積み込むぞ」
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