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この世は仮想現実

明日面談で不安なので浮かんだ事をそのまま書き殴るメソッド。鬱成分あり。

見ていない現実は描画されているのか

前にVR機器を買って初めてVR経験した時、しばらく道を歩いたり後ろ振り向く時に、もしかして自分が見てない現実の世界は描画されていなかったりするのかな、そんな事を考えてしまってました

VRの映像自体は単に視覚的な情報ですが、視覚だけで十分、人間は現実だと錯覚させられるんですよね

SAOアリシゼーション編を見ながら、STL(ソウルトランスレーション)にログイン中は現実世界の記憶を忘れていて内部世界の出来事は自分ではコントロール出来ないわけだけど、あれって完全に現実に対する皮肉ですよね。

今の現実が例えば同じような仕組みだとしても、それを内部からは認識出来ない。そこに特に不安は感じることはないけれど、追い詰められて苦しい状況だと「外側」があると考える事は希望でもあるのかな、とか。

そういった現実のあやふやさを複雑な儀式や聖典で確かなものとして体感させるために宗教があったり、考えてきた人達の歴史(哲学史)があるのかなとは思います。

眠っている間に世界は存在するか

20歳頃に自分の状況に絶望してODして、幸い家族に発見され一命取りとめたのですが、昏睡前と病院で目を覚ます時までの間は完全に空白、言うなれば普通に眠っていた時と何ら変わらなかった。

世界がデータとして形作られた仮想の物だとしても、認識する主体(自分)があるからこそ世界は存在している、病院のベッドで当時そんな事をぼーっと考えていました

そういうの延々と考えてても答えは出ないのでとりあえず社会に混じって10数年は何とかやってきたわけですが、何かもういいかなーって最近またそういう思考が突然浮上する事があります

希死念慮とかネガティブな感情での思いではないんですけど、OD時の経験で苦痛なく消える事が出来ると知ってしまってるので、苦しい事に無理に向かい続ける必要はない、とある意味割り切ってます。

ただ、今は親と住んでるので悲しい思いはさせたくないし親が生きてる間は何とか生き抜こう → が燃料尽きかけていて他の動機がないとちょっと不味いなと

親に自分の生きる理由を押し付けて、親は親でいつの間にか仕事関連の事を細かく聞いてきたり支配的になっていて共依存状態。

うーんやっぱ一緒に住まない方がいいかな、、


とりあえず明日また面談なのとお金も厳しめになってきたのでそれらの不安から↑みたいな考えてしまうんでしょう。ということで寝まーす

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