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【10/3】引っ越し日記、その一

このnoteとはてなブログのほうを長らく放置し、最近は書くものがほぼAMの連載だけになっていた。その詳しい理由はいずれはてなブログのほうで触れるとして、やっぱり1年近く利益を度外視した散文を書かないでいると、利益を度外視した散文こそを、何か書きたいと思ってくるものみたいだ。

ただ、これは時代の流れなのか自分の脳の老化のせいなのかわからないが、最近は昔に比べて自分の考えを文章にまとめるのが下手になったな〜という気がしている。昔はもっとこう、まとまらない思考をまとまらないなりにまとめて、それをできるだけ多くの人に興味を持ってもらえるよう入り口や導線を設計できていた気がするんだけど、今はその「できるだけ多くの人に興味を持ってもらえるよう入り口や導線を設計」が、できなくなっている。

なぜかというと、「できるだけ多くの人」が今何を求めているのか、私自身がよくわからないからだ。

何を求めているかわからないお客さんに対して、入り口も導線も設計できないというわけである。いや、昔だって「できるだけ多くの人」が今何を求めているのかなんて全然わかってなかったが、少なくとも“わかっている気”にはなれていたんだよな。

2015年前後って、私のまわりの人の欲望はだいたい「お金がほしい」か「結婚したい(あるいは恋人がほしい、モテたい)」だった(めちゃくちゃ端的に言えば、だが)。だからそこをフックに掘り下げればなんとかなったんだけど、今、みんな年をとってしまって、たいていの人はお金も生涯のパートナーも、形だけは手に入れてしまったのだ。

いや、パートナーはともかくお金は今もみんなほしいだろうが、あの頃ほしかったお金とはちょっと種類が変わってしまっていて、もっと税金とか不動産とか教育費とか、ふわっとしたライフハックでは動かしようのないものになっている。だいたい、今はみんな養わなくてはいけない家族がいるのだから、「好きを仕事にしようぜ! 旅をしながら稼いじゃおうぜ!」とか言っている場合ではない。というか、コロナ禍も経験して、「旅をしながら稼いじゃおうぜ!」がいかに危うい話だったかを思い知ったのが、2022年を生きる我々なのだろう。結局、正社員として日本で週5で働いて結婚して子供を持つのがいちばんいいんだな、みたいな。

一方、私はというと、今もまだ独身の一人暮らしだし、会社員として組織に所属してはいるが「週4勤務」を頑なに貫いている。すべて自分で考えて選択したことだからお金についてもパートナーについても後悔はしていないが、正直なところ、ちょっと拍子抜けしてしまっている。まわりからの反感を買うことを承知で書くと、「2015年前後に一緒に考えたことはなんだったんだよぉ!」と、他人に対して思うことがあるのだ。あれから7年、トリッキーな生き方してんの、私だけじゃんか! みたいな。いや、もちろんまわりの人は「こちらだって考えに考えた結果、いろいろな葛藤はありつつ、正社員として日本で週5で働いて結婚して子供を持つことにしたんです」って感じなのだろうが、1人でトリッキーを続けている身からすると、もうちょっと工夫してカスタマイズしろい! と思ってしまうわけなのである。

とはいえ、カスタマイズとかめんどくさいよね〜という感覚も、私もいい大人なので理解できないわけではない。なんというか、世の中はマジョリティが生きやすいように設計されているので、王道に乗るのがいちばんスムーズだし、ラクなのだ。そこからはみ出て生きようとすると、お金の面でも世間体の面でもいろいろ損をしてしまう。私だって、損をするのがわかっていることをいちいち他人に勧められない。

私も結婚して子供を持てばよかったかなあ、と思う機会は少なからずあって、ただそれは「やっぱり寂しいから」「家族がほしいから」なんて理由では断じてなく、「そのほうが多くの人の気持ちがわかって、今頃もっといいコラムを書けていたかもしれないから」だ。なんというか、今の私が書く文章は、「目の前にお得なセットがあるのにわざわざ損するオリジナルメニューを勧める人」みたいだな、と自分で思う。損するオリジナルメニューをわざわざ勧める人じゃなくて、お得なセットをさらにお得に活用する方法を書くほうが、絶対多くの人に求められるでしょ。自分でそう思ってしまうから、なかなか筆が進まない。私にはこの生き方が合ってるし、私自身はけっこう楽しくやっているが、折に触れて、この生き方は合わない人のほうが多いだろう……とひしひしと思うのである。なぜかというと、制度からはみ出しているので、自分で微調整しなくてはならない部分が多すぎるんですね。そしてその微調整の方法を、あんまり誰も教えてくれないので、自分で考えなくてはいけない。はっきり言ってめんどくさい。誰にでもできることだとは思わない。

私も結婚して子供を持って育児ブログを書いてみたり、Twitterで夫に憤ってみたり、あるいは惚気てみたり、あとは住宅ローンの記事とか書いてみたりしたほうがよかったのではないか。その中にさりげなく映画や美術ネタとか仕込めばけっこうウケたんじゃないか。そういうことを、考えないと言ったら嘘になる。今の私にはほしいものがあって、私はそれを手に入れるためにこの人生を使うつもりだし、そのために邁進できているが、その私のほしいものは、たいていの人にとってはまったく惹かれない、いらないものである。みんなゴールドを狩るために頑張っていて、ゴールドの獲得方法を知りたいと思っているのに、私は1人で海辺の珍しい石を拾い集めている感じだ。「海辺で面白い模様の石を見つける方法!」とか、読みたいですか?! 私は読みたいし、書きたいが、みんなそんなことに興味ないよな〜と思ってしまう。だから、最近は何を書けばいいのかよくわからなくなってしまった。

ようするに、ここらで一度、入り口と導線の設計方法を見直す必要があるのだろう。昔「いいですよ、こっちはよいとこですよ、おいでおいで」と設計していた導線が、今は「うーん、私はいいけど、たぶんあなたはこっちに来ないほうがいいかもしれない。こっちは大変だから……」となってしまっているので、導線が上手く作れないし、文章が支離滅裂でめちゃくちゃ歯切れが悪い。しかし、「おいでおいで」をしない文章ってどうやって書くんだろう? 

そういうわけで、しばらくは導線の設計方法を見直すため、練習がてらnoteに書き散らすことにします(とか言って今回限りかもしれない。詳しくははてなブログに載せたいが、私は今12月に向けて別の文章を書かねばならず、すごく忙しいので)

相変わらず前置きだけが異常に長いが、まずは9月28日に引っ越しをしたので、その数日間の日記を書いた。ちなみにサムネは新居のために買ったラグです。全然片付いていないので、映せる部分がここしかない。

9月28日

引っ越し当日。家に対する愛着がすごい。

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