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【日記/62】恋愛系メディアのそもそも系コンテンツ

最近思ったのだけど、「恋愛系メディア」に「そもそも系コンテンツ」が増えているのではないか、とかんじる。

「恋愛系メディア」はいいとして、「そもそも系コンテンツ」とは完全なる私の造語なのだけど、例えばどんなやつが「そもそも系コンテンツ」かというと、以下の記事のようなやつだ。

ケコーン:「縄文人は結婚していたのか?」縄文時代を愛する男がたどる「1万年の足跡」

AM:恋愛は人類の進化がつくった最高の無駄!20万年前の恋愛観を専門家に聞いてみた

「増えている」というのは私の感覚値でしかないので「いや、前からそういうのはけっこうありましたよ」などといわれると今回の話は終了してしまうのだけど、結婚や恋愛を扱ったメディアって、ひと昔前だったらもっとお花畑お花畑していたような気がする。縄文時代だとかアウストラロピテクスだとかいう言葉は間違っても出てこず、「もっと愛されるために」とか「ゲストが喜ぶ式場うんちゃら」とか、そういう記事ばかりだった気がする。

あくまで「増えている」という前提で話を進めさせてもらうと、それがなぜ最近になって縄文時代やアウストラロピテクスを扱うようになったのかというと、「そもそも結婚とはなんなのか? なんのためにするのか?」とか、「そもそも恋愛とはなんなのか? なぜするのか?」など、「そもそも」を知りたい・考えたい人が増えてきているからなのかなーと思う。「そもそも」を考えるから「そもそも系コンテンツ」だ。なぜ増えてきているのかというと、それはもちろん、恋愛や結婚に関する価値観が多様化したからだと思う。

昔だれかがいってたのだけど、「『なんで結婚しないの?』とは聞かれるけど、『なんで結婚するの?』とは聞かないよね」みたいな話があって、ようやくそれが不平等だという感覚が浸透してきたのかなーと思う。

私自身はというと、こういった「そもそも系コンテンツ」は恋愛・結婚に限らず大好物なので、もしこれが本当に増えているのなら嬉しい傾向である。

私たちはつい「今、自分に見えている世界」に限定して物事を考えがちだけど、そんな自分らはせいぜい生まれてから30年か40年くらいしか経っておらず、しかも多くの人は日本国内の状況しか知らない。そんな狭い括りのなかで、物事を考えて決断を下すのはけっこう無理があるだろう。結婚も恋愛も、いってみれば子孫を繁栄させるために人類が編み出した効率的なシステムでしかない。「問答無用でしなければいけないもの」だと思っていると、なかなか生きづらい。

そこを、100年、200年といわず、縄文時代まで遡って考えてみたり、20万年前まで遡って生物学の観点から考えてみたりすることで、初めて自分にとって大切なものや本当に必要なものがわかってきたりする。そのなかで、「やっぱり結婚式を挙げたい」「やっぱり恋愛したい」と思うならば、それはとても賢明な判断だ。「別にしなくてもいいものをあえてする」というのは究極の贅沢だし、人生の楽しみをわかっている。あと「やらない人」を批判する材料がなくなるので、健全だ。

というわけで、私は今後もそんな「そもそも系コンテンツ」を応援していきたいと思う。「そもそも」を考えるのって本当に楽しいし、自由だ。「そもそもですね」「そもそも、◯◯の定義はですね」「そもそも、◯◯の歴史的経緯はですね」「そもそも、◯◯を生物学的観点からいうとですね」……みんなでメガネの端をクイクイしながら、こんなふうに気持ち悪い会話をたくさんしていきたい。

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こちらは先日訪れた青森の三内丸山遺跡。青森弁のおばちゃんたちが元気に発掘作業を行なっていた。

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