【日記/55】愚痴をいうおじさん^^;
ものすごい偏見というかイメージでしゃべるのだけど、たとえばわりと綺麗な若い女性がTwitterやその他SNSなどで
「最近、仕事が上手くいかないな。頑張ってるんだけどな……」
的な弱音を吐くとする。すると、主に男性から
「そういうときもあるよね^^; 今度、気分転換に飲み行こう!」
的なコメントが返信されている、という現象がまあまあある(気がする)。
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一方、若くもなく特にイケているわけでもない30代後半〜50代くらいのおじさんも、よーく観察すると、若い女性に負けず劣らずわりとSNS等で弱音や愚痴を吐いている。
「こんなか。苦労して本3冊出したってのに、こんななのかよぉ」
「最近の俺は仕事をしすぎている。つらい」
「なぜ俺の本は売れないのか」
「この仕事ももう限界だ」
「早く引退したい」
……などなど。
しかし、おじさんたちの悲哀に反して、コメント欄は空白。あるいは全然関係ない「そういえばこの前いってたアレ、新宿に売ってましたよ」みたいなコメントがついている。
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この二者を並べて見たとき、ああ、イケてないおじさんはいいなあ、と思う。
おじさんは、自由だ。若さとか、性とか、意識高いとか、そういったありとあらゆる世間のしがらみから、自由だ。ただ、思いついたことを思いついたときにいう。そしてそうしたときに、まわりから何も具体的な反応が返ってこない。本人も、万に一にも反応など返ってことないことをわかっていて、だれも気に留めないことをわかっていて、それでつぶやいている。こんなに素晴らしいことは、他にないだろう。
その点、若い女性はいろいろ大変で、綺麗な女の子が弱音を吐くと「そういうときもあるよね^^;」などといわれるし、綺麗じゃなくても女性が弱音を吐くと、まわりからめんどくさいやつだと思われてしまいそうで危険だ。
私はもう若くもないし綺麗でもないのでどちらかというと「おじさん」の仲間に入れてほしいのだが、年齢的にギリギリ「若い」の範疇に入りかねないところもあるので、「『めんどくさいやつ』だと思われるのではないか?」という自意識に邪魔されてしまい、SNS等ではなかなかネガティブなことがいえない。
男性であれば年齢から完全に自由でいられるのかというとそういうわけでもなくて、たとえば上記のような愚痴を20代くらいの若い男の子がいうと、「(悪い意味での)意識が高いやつ」に見える可能性がある。あとなんかやっぱりめんどくさい奴だと私は思ってしまう気がする。なぜだ。
今日も私はおじさんたちの弱音や愚痴を黙々と読んでいる。
人生は希望ばかりではない。イケてないおじさんが、他人にかまってもらうためではなく、ただ空につぶやくようにいう弱音や愚痴は、哀愁があっていい。ユーモアがある。そう、人生に必要なのはユーモアだ。そして私も早くそちら側に、弱音や愚痴を吐いてもだれもかまってくれないしだれも相手にしてくれない側に、移行させていただきたいと思う。もしくはすでに移行しているのかもしれないが、自意識が邪魔しない境地にまで行きたい。
弱音や愚痴を吐くときに何よりも必要なのは、哀愁とユーモアではないか。その点、私はまだまだ未熟者である。
شكرا لك!