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【日記/96】裸体カレーとノーパンしゃぶしゃぶ

あれは、まだ若かりし20代前半の頃。部屋で彼氏とテレビを見ていたら、どういう流れだったのかはさっぱり忘れたが、画面に躍り出てきたのは「ノーパンしゃぶしゃぶ」なる卑猥な文字列であった。私は首をかしげる。

「しゃぶしゃぶ食べるときは、しゃぶしゃぶに集中したくない? ノーパンのお姉さんと遊びたいときは、ノーパンのお姉さんに集中したくない? しゃぶしゃぶ食べてる横にノーパンのお姉さんがいたら、なんか不衛生じゃない? ていうか、ノーパンしゃぶしゃぶの店で食べる肉、まずそうじゃない?」

矢継ぎ早に違和感を遠慮なくぶつけたところ、「まったく同感である」との回答を彼氏から得た。なーんだ、と私はほっとした。てっきり、男性には人間の三大欲求のうちの二つである食欲と性欲を同時に満たせる特殊な回路が生まれつき備わってるのかと思ったぜ。どうやらこの回路が開通しているか否かは個人差によるところが大きいらしい。女性でも開通している人は開通しているのだろう。

あれからすでに5年以上の歳月が経過しているが、先日私の目に飛び込んできたのは、女性の裸体にカレーをのせて食べるというその名も「裸体カレー」なる文字列である。風俗店でのサービスだったらしいが、裸体カレーを食べるためにはオプション料金を支払わねばならないらしい。てっきり酒の席での罰ゲーム的な何かかと思ったら、むー、金払うのかよ。

そういえば昔、「女体盛り」は日本独自の伝統文化であるとカナダの飲食会社がわりと真面目なトーンで記事にしてしまい、すぐさま「いや、伝統文化ではねーよ」というツッコミが入ったとかってニュースがあった気がする。海外の人から見ても、食欲と性欲を同時に満たすことが可能な回路はもしかしたら奇異に映るのかもしれない。

女体盛りといったら寿司であり、近年は蜷川実花とかがアート的な文脈で女性の裸体に寿司をキレイにのっけたりしている。が、あれもまあ見るだけなら「わあキレイ〜」と思わないこともないが、「食え」と言われたら若干引く。百歩譲って、裸体に食べ物をのっけるなら火を通した固形物にしてほしい。マカロンとか。なんでよりによってナマモノのせるんだよ〜。ナマモノのせるからこそエロいのかな〜。

話はもどってノーパンしゃぶしゃぶであるが、私の中ではもっぱら政治家とか企業のエライ人とかが接待で使っているイメージがある。するとアレだろうか、政治家とか社長さんとか、エライ人は忙しいので、食欲と性欲を別々に満たしているような悠長な暇はなく、効率化を追い求めた結果たどり着いた結論が「ノーパンしゃぶしゃぶ」というライフハックであったりするのだろうか。

いや、もうちょっと真面目に考えると、政治家とか社長さんとか、エライ人であればあるほど気が張っているので、プライベートはその反動で思いっきりゲスいことがしたくなるんだろうな。それこそ、一般人がドン引きするようなゲスいことが。もしくは、「俺たち、一緒にこんなゲスいことしたんだからな、こんなことまで一緒にしちゃったんだからトモダチだよな」みたいなホモソーシャルな繋がりを強くするためのあえての悪ノリなんだろう。つまり、ノーパンしゃぶしゃぶも裸体カレーも女体盛りもその実はまったくエロくなんかなく、あれはホモソーシャルな空間なんだ。食欲も性欲も同時に満たすライフハックどころか、食欲も性欲もたいして満たしてないし、そんなことはそもそも目的じゃないのだ。って、この分析合ってんのかな? 

というわけで、これを読んで「俺は普通にノーパンしゃぶしゃぶ、好きだけど……?」と思ってしまったアナタ。君にはきっと政治家かデカイ企業の社長の器が備わっている。ドンと胸を張って生きたまえ。しかし、世の中にはいろんな人がいるな〜。

そして、今日もまた無駄な日記を書いてしまった。

شكرا لك!