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鯖江のメガネを経営学の視点から


歴史から考察するメガネのライフサイクル(衰退期)


13世紀後半 イタリアで誕生したメガネ
1448年 グーテンベルグによる新しい印刷機の発明により、急速な活字文化が進んだ結果、メガネを必要とする人々が急増

1755年 鯖江藩5万石(雪深く慢性的に貧しい藩であった)、鯖江の大火
1868年 明治維新
1905年 福井県足羽郡麻生津村字生野(現 福井市生野町)、冬になると雪に埋もれる貧しい農村での福井のめがねづくりが始まる。

「なんとかふるさと生野の暮らしをよくできないものか?」
増永五左衛門と弟の幸八はそのような想いで、雪深い村が冬の農閑期にも収入を得ることができる手段としてめがねづくりに目をつけ、大阪から職人を招き、村の男たちを巻き込んで一からめがねづくりを習得していった。

1980年 世界初チタンフレーム開発

以上の簡単な歴史を振り返ると、実はメガネフレーム作りは、産業のライフサイクルからは"衰退期"に属し、ブランド化を行なってなんとか生き延びようとするphaseであることがわかる。繊維業などとそう変わらないのではないか?

しかし、貧しさからのハングリー精神。これは、現代日本人は再認識する必要がある。次に、メガネフレームの世界シェアから確認する。


世界的に見るメガネの生産量


イタリアのベッルーノ(Belluno)地域と、日本の福井県・鯖江地域、中国の深圳・東莞、温州、丹陽、アモイ地域の3国が、世界3大眼鏡産地を形成している。特に、コスト競争力がある中国眼鏡産地の成長はめざましく、すでに出荷高においてはイタリア、日本を上回っている。中国の各地域が産地として機能したのは比較的新しく、1970 年代に入ってからである。

一方、鯖江は1980年代から事業所数、従業員数、出荷額も減る一方。1990年からメガネ産業の規模感は半分に縮小している。これは、"衰退期"であることを裏付けている。

参照:
日本の眼鏡産業と産地福井・鯖江の盛衰 ― 鯖江のフレームメーカーの動向 ― 柴田 弘捷 
専修大学社会科学研究所 月報 No.698・699 2021 年 8 月・9 月合併

考えられる経営戦略

自社のブランド化か、ハイブランドの下請けとしてのブランド化の方向性であろう。さらに、新素材の開発、新生産技術の開発・導入、一貫生産工場の建設(統合)、自社ブランドの創造、 著名デザイナーとの提携、直営店の展開。

もちろん、それらはすでに行われ始めていて、世界最大の眼鏡企業・イタリアのルックスオティカグループ(LUXOTTICA GROUP SPA)が、OME 生産を委託していた、鯖江のチタンフレームの企画・製造の福井めが ね工業㈱(1969 年設立、17 年売上高約 20 億円)に 2018 年に資本参加し(発行済み株式の 67% 取得)、レイバンなどの傘下ブランドの一部を日本でライセンス生産していたが、21 年に福井 めがね工業と共同で鯖江市に新拠点を誕生させた。

素人の目線で恐縮ではあるが、High Brand(LVMH、GUCCIなど)の下請けを取りに行くような、明治以来の胆力をもう一度見せてほしい。

鯖江メガネミュージアム

歴史や、メガネ作りについて鯖江ミュージアム。一度訪れてみてはいかがですか?子供連れの御家族も楽しめます。



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