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【シャイニーカラーズ】 浅倉透 WING編感想~浅倉透 幼女説~ 他 【ネタバレあり】

 


 アイドルマスターシャイニーカラーズに追加された、浅倉透さんのWING編コミュがとても面白かったです。だから、感想文を書きました。

 簡潔にまとめきれなかったので、やりたいことを三つに分けて書きます。


1.浅倉透 幼女説
2.なめらかではない関係性と、
3.“さよなら、透明だった僕たち”って、そういうこと?


あ、これを読む人、ゲームやってるって思ってるから。

(浅倉透の雑なモノマネ終わり)


1.浅倉透 幼女説

 浅倉透は幼女である。そう考えれば彼女に関する多くの事象に説明がつく。
 感想文がやたらと短いこと。これは世界の分節を出来ていないからだ。幼いころは様々なものの見分けがつかず、モノの背景なども知らない。そのため、一つのことに様々な感想を抱けない。複数のアプローチができない。すなわち、感想文が短いことは、彼女の内面が未発達な幼女であるからだと言える。
 次に、他人にどう見られているかを気にしていないこと。これは描写をみるに、「他者から見る自己」の存在を認知していないように思える。周囲と自身の境界が曖昧、自意識と他者のすり合わせを考えていないというのは、子供の特徴で、成熟していくにつれ、社会性を――他者からどう見られていて、どう付き合っていくかを考えていくようになる。しかし、彼女はそれを考えている気配がない。これはまだ彼女の自我が未発達だ、と言える証拠ではないだろうか。つまり幼女。
 それから、人の話を聞いてるんだか聞いてないんだか分からないこと。本来なら怒られたり、注意されたりするべきところを、顔の良さや雰囲気で周囲が勝手に勘違いして怒られずに済んだのだろう。そのせいで、彼女は外見年齢ほどの経験を積むことができなかった。精神年齢、思考はまだ幼いままと考えるべきだ。
 最後に、霧吹きを使って虹を作って遊んだこと。これは幼女ならやる。幼女以外はやらない。間違いない。

 つまり、浅倉透は幼女である。Q.E.D.!

 ……ふざけました。真面目にやります。
 とは言いましたが、おふざけ無しでも「浅倉透は精神年齢が幼い」という仮説は強度が高いです。なので、そこら辺を書きます。
 
 最初に「ジャングルジムの夢」から入りましょう。
 ジャングルジムというオブジェクトは、浅倉透の内面と、今回のコミュのやりたかったであろう内容と非常にマッチしてます。
 子供にとって、登るには非常に困難な建造物なこと。
 大人にとって、大した困難ではないモノであること。
 そしてなにより「上から見る景色は、いくつになっても登らないと見れない景色だ」ということ。
 浅倉透にとって、上を見上げて登るのは怖いことで、足がかりのない行為だった。「彼」にとって、それは大したことではなかった。しかし、透が登った先には広がる景色があった。そして透と「彼」は同じものを共有した。コミュも実際そんな感じでした。
 大事なのは、そんな子供のころの一幕に、浅倉透が囚われていたこと。これは、透が子供のまま大人になっていたメタファーだと思います。
 よく色んなところでぼうっとしてる、質問を簡単にしか返せない、色々と鈍くて疎い。こうした事柄もやはり中身が子供だ、といった意図の描写だと思います。

 また、「感想文が短い(言及できることが無い)」は非常に幼女ポイントが高い要素ですね。
 というのも、感想が少ない、深く言及ができないというのは、知識や感性や経験が未発達だからこそ起こりうる現象なんです。抽象と具体の変換がヘタで、ほかの事柄と結び付けられない。曖昧な感性とを言語化できない。圧縮言語で話していて、身内以外にはなかなか伝わっていない、みたいな描写もこうした感性と言語の接続が未発達だから起きている、といえるのではないでしょうか?
「言及するための情報が足りない」を言い換えると「解像度が足りない」になります。こっちのほうがオタク的にはイメージをつかみやすいんではないでしょうか。オタク言語ですし。苦手なジャンルにあまり口を突っ込めないのも、同じ言葉を繰り返してしまうのも、RTでしか感情表現できないのも解像度不足だからです。みたいな。雑くくりは解像度が足りない?そうですね……(自省)

 話を戻しますね。

 解像度が足りないと、世界の細部がぼやけます。あるいは元の世界とは大きく異なった形になります。これが幼いからなのと、「そういうもの」と認知してるから、では大きく意味が変わってきます。知的好奇心があるなら、世界を「そういうもの」と認識していないと言えます。幼いからなら学んでいけばいい。しかし、知識や経験を求めない人は、自分の中にあった情報だけで充分だと考えているということですから、幼いよりもヤバいです。
 では、浅倉透はどちらでしょうか?
 浅倉透は、外の世界に興味があります。変化を恐れず、未知に対して前向きです。プロデューサーの提案に乗っかったり、霧吹きで虹を作ろうとしたりするくらいには。これは知的好奇心は多少なりともある、と言えるのではないでしょうか。つまり、経験や他者の考えを知ろうとするくせに実体が伴っていない彼女は「内面の年齢が幼い」側ということです。幼い女なので幼女です。

 しかし、なぜ浅倉透は顔の良い幼女になってしまったのでしょうか?

 推測ですが「ずっと一緒の幼馴染がいたから」。それから「見た目が良かったから」が原因ではないでしょうか。
 ずっと一緒の、隣に住む幼馴染がいた。友達が増えたり減ったりしても、一番の大切はそこにいた。浅倉透が何をしても、大切は見ていた。大切は透のことを理解してくれた。透も大切のことを感じていた。世界は浅倉透と大切をつないでいた。そう信じていた。
 誰かに怒られそうなことをやったとして、本当に透のせいだと思えた?彼女の雰囲気と言い訳に騙されずに、奥まで踏み込めた人がいた?浅倉透の内面を、純に疑えた人がいた?彼女に何かを教えられた人はいた?
 ……情報無いので何とも言えないんですけど、でも、少なくとも「周りの大人は浅倉透を見た目だけで高評価する」って情報がシーズン1のコミュで入ってきてるので、いうほど遠くないんじゃないかなーって思ってます。ここら辺のヴィジュアル関係の話――ともすればルッキズム的な話になるじゃねーのみたいな話もシャニは前面に出してくる(咲耶の「カッコよさ」とかはかなり顕著)ので、そこら辺も考察の補材ですね。
 「外見のせいで内面のひずみに踏み込まれない」ってキャラだと物語シリーズの千石撫子とか、ミリオンライブの箱崎星梨花なんかですね。あっちは「かわいさ」で免除されているけど、こっちは「大人っぽさ」で子供な部分を誤魔化されている、みたいな。

 とまあ、ここまでいろいろ書いてきましたが、書いてみると「内面が幼女!」っていうのは言い過ぎかなぁって気もしないでもないです。仲間内での言語や彼女の内面世界を考えてみると、それなりに年齢相応なところもあると思えますし。「身内とそれ以外とで関わり方に大きなギャップがあるだけ」って気もしないでもないです。じゃあ外との関わりは?って言われると、やっぱり幼女かなーって気もする。分からん。
 まだ情報は少ないので、これからノクチルの他のメンバーが、あるいはサポコミュが実装されたりしたら色々と見方も変わるわけであります。が、ファーストインプレッションは大切にしたいなー、って感じで、浅倉透の内面考察でした。
 ”浅倉透は幼女!”って言説はともかく、浅倉透の内面はまだ未熟で幼い、って発想だけでも持ち帰って頂けたら幸いです。

 でも幼い女で幼女ですよね?????


2.なめらかではない関係性と、

 今回の浅倉透のコミュと、公式四コマとキャラ紹介だけでもなんとなーく他の3人が見えてきた気がするので、そこら辺の覚え書きです。違ったら笑ってくれ。


 樋口円香は……そうですね……色んな所で浅倉透に向けてる感情がデカい、みたいな描写がありました。ずっと一緒にいる、ってところもそうですけど、多分「表現がヘタだけどくみ取ってくれる」「浅倉透のことを本心から理解してあげられる」みたいなところを由来としてるんじゃねえかなぁと。そうなるとまあ、ポッと出のくせに浅倉透を二回も変えてしまった283Pに嫌悪や嫉妬を向けるのは自然だよなぁ……って感じです。自然か?本当か?樋口円香が変えられなかった無色な浅倉透の世界を変えてくれた、って視点での感謝も抱いてそう(邪険にしきれない)みたいな人の好さと、あと今の浅倉透が好きだけど、今の通りじゃない浅倉透も好きになると思うし、実際に見てみたい、一緒に歩みたいみたいなところもあるんじゃねえかと踏んでます。そうだったら……複雑だな……。

 福丸小糸は……わからんのよなぁ……。たぶん、本当に特に何もないと思うんですよね……浅倉透のこと凄いと思ってるタイプの人だと思う……分からん……。もしかしたら浅倉透を狙ってるんじゃなくて樋口円香を狙ってるかもしれん……なんも分からん……。

 市川雛菜。私はコイツが一番の問題児だと思ってます。プロフに『自分の「しあわせ」に向かって突き進む、奔放な女の子。幼馴染みで先輩の透を慕っている』って文言がある一方、『雛菜がしあわせなのがいちばんさいこ~(ハート)』ってセリフもあるわけですよ。この時点でかるーく警戒はしてたんですけど、それが今回のコミュで出てきたとある一幕のおかげで警戒レベルが最大になりました。

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 絶対浅倉透のキャラじゃねえだろ!!!!!!

 これ、「浅倉透が自分への関心が無」って話と繋がるんですよね。関心が無だから、どう考えてもキャラじゃないコピーを通す。でも、でもですよ。周囲の人は「浅倉透」がどういう人かを考えてると思うんですよ。実際283Pも『まさかそれ面接で言っ――』ってツッコミいれてますし「キャラじゃない」って思われてるはずなんです。いわんや幼馴染ぞ?
 で、あれば。ですよ?「どうして雛菜はそんなキャッチフレーズを提案したのか」が意味不明になるんですよね。『透を慕っている』っていう人が、それ考えんの?マジ?みたいな。
 これを無矛盾で解決しようとすると、
・浅倉透は自分をどう見られているか、何が自分かを考えない
・だから、キャラと違うフレーズを提案しても透は断らない
・それを市川雛菜は理解した上で変なフレーズを提案した
・「変な感じになる浅倉透」を見ると、市川雛菜が楽しくなれるから

となります。人で遊ぶ女……こえーよ!なんだよお前!!!

 そんな感じの浅倉透と〇〇×3について考えてきました。ここで見えてくるのは、浅倉透を中心として繋がっているが、実態は「浅倉透とだれか」が複数あるだけで、4人で1つみたいな集団ではない、って感じですね。樋口と雛菜はバチクソに警戒しあってそうですし。
 二点をつなぐ線しか存在せず、決してなめらかとは言えない無名の集団。それでも、彼女たちは浅倉透を中心として、充実があったはずなのに。未知の存在が来訪し、今までの線を破壊して、信じていたはずの中心さえも大きく動かしてしまった。ただ崩れゆくしかない世界の中で、少女たちが繋いでいくものは……。

 いやぁ~~~~~楽しみだなぁ~~~~~~!!!

※(追記)先日公開されてた高山Pインタビューで『2人組がたくさん作れるから4人にした』、って話してたあたり「4人で1つ」な作りではないという予想が合ってそうで安堵しました。


3."さよなら、透明だった僕たち"ってそういう?

 "さよなら、透明だった僕たち"というフレーズはノクチルのキャッチコピーです。これはまあ、無色透明な彼女たちに対して使われる言葉で、これから彼女たちがなにかを得て彼女たちと、その関係性が変化していく……というキャッチコピーだと思ってました。
 実際その読み通りに使われていたんですけど、読みを外したコトもありまして。
 それが「作中のプロデューサーも透明ではなくなった」です。
 ……いやそんなことないでしょ?って言われそうなんですけど、まあ、色々あるんです。

 まず、アイドルマスター内での"プロデューサー"というポジションは今まで透明でした。透明というのは色を持たない……言い換えるなら「個性が無い」です。もっと言うと「誰でもない」です。
 いやぁシャニのPってこのコミュの前からキャラ濃かったじゃん!っていうのは、言い逃れできないくらいには正しいなと思うわけですけど、今回の過去話は「アイドルマスター」ってゲーム内でのプロデューサーの枠からは外れるよね、ってことです。
 アイドルマスターというジャンル内で"プロデューサー"と言われると、それは一般的にユーザーのことを指しました。ゲームに登場するプロデューサーは、作中世界の自分の分身でもあるわけです。なので、ゲーム内のプロデューサーに過剰なキャラ付けを行わず、最大公約数的な――誰でもよく、誰にでもなれるような――アバターを通じて選択を行い、ゲーム内世界にアクセスする。そうした前提に基づき、ゲームは進行されていたと認識しています。誰でもよく、誰でもなれる。だから「視点キャラ≒プレイヤー」が成立する。これが今までのアイドルマスターだったと思っています。
 しかし、シャイニーカラーズのプロデューサーはどうでしょうか。こやつにはだいぶ「個」があります。最近はそれが顕著ですね。よく分からん発言に対して笑って流したり、結華の地雷を正面から踏み抜いてみせたり、薄桃色みたいにだいぶ危ない直談判をしたりもします。中でも今回の「高校時代に幼い浅倉透と出会っていた」というエピソードが最たるものです。浅倉透のWINGコミュはこのエピソードの共有を一つの解決として、コミュは進行しました。
 言い換えるなら、「幼い浅倉透と出会った」という過去が無い人は、このような進行をとれない、ということです。
 いや当然やろ?と言われたらまあ、確かにそうなんですけど、これは上の前提とはちょっと違っていて……。
 「誰でもいい」透明な味付けのプレイキャラはたいていの場合「エピソードを持たない」んですよね。必要ないので。ちょっとした設定と方向性だけの存在。一方「エピソードがある」というのはその世界で暮らしてきた証拠です。それが作中で明示されるなら「その役にはその過去があったほうが良い」ことになります。つまり「誰でもいい」透明な人では不十分だ、と言えませんか?
 なので、今回過去の生えてきた283Pは“透明でない人に成った”と言えますよね、「過去がある視点キャラはプレイヤーに寄せられない」から「プロデューサー≠プレイヤー」になるよね、って感じです。
 別に「幼い浅倉透と出会った」過去を持つ人でなければ283プロのPをやっちゃいけないのか、といわれたらそんなことはないと思うんですけど、それはいわゆる二次創作上のオリ主的な話で、あくまで仮定であり、観測されてる事象とは異なる事象の世界の話なので、ゲーム世界とは違うヤツだよね~となるわけです。
 
 「プレイヤーとゲーム内Pの乖離」については先日やりましたね。『Secred×Rose』――先日のエイプリルイベントです。
 あらすじを語ると、全寮制のお嬢様校に赴任した新人男性教師が、よく分からない怪奇現象に出くわし、救われたり救われなかったりする、みたいなイベントです。細かい解説が欲しい方はツイッターで“シャニ エイプリル”なんかで調べれば私が語るよりもずっといい解説が出てくると思うので、それを読んでいただけたら。
 大事なのは、シークレットコミュ。「主人公と誰かひとりのアイドル(の皮をした女学生)が」「ロミオとジュリエットに見立てられた霊に憑かれる」というコミュです。
 外面は誰でもいいのか、とか、因果の逆転みたいな暴れ方してるの怖すぎるが、などいろいろ感想はあります。しかし、この話の中で私が気にしてる点は、このコミュで「誰がプロデューサーの見立てか」明言されていませんよね、ってところです。
 憑かれた人(主人公)が283Pなのか、憑いたヤツ(ロミオ)が283Pなのか。あなたはどちらかだと断言できますか?断言できないはずです。
 で、そこまで考えちゃうと「憑いたヤツラはなんなんだよ」ってなりません?
 憑いたヤツ=最後に答えを出した人、とすると、それは主人公ではなく「プレイヤー」以外にいません。あなたが誰かを選び、そのアイドル(の皮をした誰か)が犠牲になる。あなたが主人公の精神を支配したのです。これはゲーム内のPの選択肢を、自身の意志で選ぶ時のあなたではありませんか?
 一方、憑いたヤツ=283Pとすると、主人公は本懐を果たせないまま、終いにはよく分からない何かに乗っ取られる……つまり、「自分だと思っていたモノが他のナニカになる」ってわけです。
 さて、あなたは主人公でしたか?それともロミオでしたか?
 まあ、答えは出ないんですけどね!どっちでもない?そっか……。

 ……はい。「プレイヤーとゲーム内Pの乖離」っていうのは、そういうことじゃねーかなーって思います。

 エイプリルコミュの一番恐ろしいところは「あれが何を意味するのか」明言されていないところですね。演劇とか夢とか嘘とかも言われてないので。なにもわからんです。答えろ制作チーム!!!!!

 閑話休題。

 で、それがシナリオ上に問題があるのか、と訊かれたら、

「何も無えよ!!!!!!もっとやれ!!!!!!!!!!」

と力強く答えます。主人公の色濃い作品は最近流行りですし、ラブコメはヒロインではなく主人公を楽しむものって説も出てきてるくらいですからね。
 
 ただ、ロールプレイ上は少々問題かなーって思います。「本来ならどう動くのか?」とか「どう動くのがシナリオ上最も彼らしいのか?」って動きに答えを出しにくいので……。
 パフェコミュが「彼らしい」かどうかはまた別なので、ロールプレイを行う際の指針となる「283Pっぽいムーブ」の答えが欲しいな~~~と最近は強く思います。一応「感情に強く訴えかけられそうで、本人が欲しがってそう(欲しいかどうかは別)な言葉をかけてあげる」って選択肢を選んでます。これが正解かどうかは分からん……。なにせ答えが無いから……。
 
 なにはともあれ、シャイニーカラーズは往年のエロゲみたいだなーって改めて確認しました、みたいな話でした。最近個の強い主人公が流行りと言っていたのに往年のエロゲ?って言われるかもしれません。まあ時代はめぐるです。そういうもんです。



個人的な話

 今までブロマガでやってた長文感想は今後Noteでやろうかなーって思ってます。向こうは向こうでGoogle検索に乗りやすいって利点があるんですけどね。人のいるプラットフォームで投げたほうが良い場合もあるし、統一するならこっちのほうがいいよね、みたいな。向こうで投げた記事はたいていがミリオンの記事なので、気になる人がいらっしゃったら「ゆりさよ ブログ」で検索していただけると、私の記事が一番上に出てくると思います。


 それでは。



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