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古本を選ぶのは

社会人になって頻度は少なくなってしまったが、私は幼少の頃からよく本を読んだ。SFモノ、冒険モノに始まり、随筆や詩集、戯曲から哲学書まで古今東西ありとあらゆるジャンルの本を、自分の胃袋がひたすら頑丈なのをよいことに、手あたり次第口の中に放り込んでいた。

今部屋にある本をざっと数えても200冊くらい、子供のころからカウントして今まで読んできた数だけで言えば、3000冊以上になるのではないだろうか。ここで数を出したのは、何も読書量の自慢ではなく(どれだけ本を読んだかなんてなんの参考にもならない、どんな本を読んで何を考えたのかが読書の価値だと個人的に思っている)言いたいのはその大半が親からのお下がり、もしくは古本だという事だ。


「他人の握ったおにぎりを食べられない」という人がいるように「他人の読んだ本なんて読みたくない」という人がいても何らおかしいとは思わない。気になる人は気になるだろうし、私のように「他人の握ったおにぎりだろうがおかわりしちゃうもんね」という人もいるだろう。私はしっかり後者である。
主に古本屋をテクテク歩いて回る理由は三つある。

圧倒的に安いこと

私が好んで読む本はとにかく古いものが多い。下手すれば、今まで読んできた本の作者で、私が生まれてから同じ時代を生きた作家は殆どいないのではなかろうか。学生の頃、教授と話していて「最近読んでる作家で比較的新しい人は誰かね」と言われ、少し考えた結果三島由紀夫だったなんて事もある。
なので私が好む本は100円コーナーでたたき売りされているようなものばかりなのだ。ということは1000円札握りしめていけば、二週間は暇知らずなのである。


誰かが読んだ本であること


これはおにぎり食べられない派からすれば、阿鼻叫喚死屍累々猪突猛進粉砕骨折モノかもしれないが、申し訳ない、私は誰かが触った本のほうが好みだったりする。
何気なく買った本を部屋で読む時、時折文章に線が引いてあったり付箋の後が付いていたりする。恐らく以前持っていた人は、その箇所が重要だと思って引いたりつけたりしたのだろう。それが、私が読んだときに合致しても面白いし、合致しなかったらもっと面白い。同じ本を読んでいるのに、着眼点がまるで違ったりすると色々な思いを巡らせることが出来るのだ。


本を閉じてページの側面を見る。何度も読み返している本は自然と手垢が付いてくる。それを見ると、前の人はどんな時にこの本を手に取って読んだのだろうと考えると空想が捗るのだ。
しかしこれはミステリを読む際は十分に用心しなければならない。何故ならうっかり叙述トリックの舞台裏が垣間見えたりしてしまうからだ。


散歩ができること


これは古本屋に限らなくても良いのだけれども、整理整頓が比較的大雑把であるという意味でやはり古本屋に軍配が上がる。
目当ての本を探すにしても、そうでないにしても、大量に並ぶ背表紙の森の中をフラフラと歩きまわる事は、とても有意義な事なのだ。
このIT時代に、ネットで何でも買える時代に、何古臭い事言ってんだと言われるかもしれない。必要なモノを、必要な分だけ、迅速に手に入れる。時間に制限がある時はこれが最適解なのだろうが、最近は逆になってきているような気がする。(ここら辺の思うところはまた後日にでも)


本のタイトル、作者名、適当に眺めて適当に手に取ると、新しい興味が湧いてくる事がある。それは、「カートに入れるボタン」の下に出てくる「あなたへのおススメ」には出てこないようなジャンルの本だったりもする。
そういう「ほっつき歩き」が出来る場所として、私は古本屋をこよなく愛するのだ。
理由を三つ上げたけれど、これに優劣はない。その状況や気分によって優先順位は変わってくる。

余談

そうそう、私は学生時代に定期的に闇取引をしていた。私はスーパーでバイトをしており、近所に住む同じ学部の友人はチェーンの古本屋でバイトをし、お互いに貧乏な一人暮らしだった。
そこで私は、講義の終わりに欲しい本のリストを彼にこっそり渡し、その夜のバイト上がりに廃棄の総菜や弁当をしこたま自転車にぶら下げて彼の家に行くのだ。そして辺りに張り込んでいるかもしれない古書監視警察や巡回中の図書館治安維持部隊の警戒網に掛からぬよう、闇夜に紛れて彼の部屋を訪ねるのである。


「シラノか、よく来たな」


「手短に済ませよう。今日は寿司とコロッケだ」


「ハラショー、確かに受け取った。ほら、例のブツだ」


私は手元の懐中電灯で手早く紙袋の中身を改めると、ニヤリと笑った。


「間違いない。注文通りだ」


「しかし、お前のリスト殆ど処分在庫品だぜ。売り場にすら並んでないようなのばかりじゃないか」


「ええい、余計な詮索はせんでよろしい。ではまた、アディオス」


なんだか最後の最後で突然に無駄な状況描写が入ったのは気にしないでほしい、友人はロシア人でもなければ私はスペイン人でもないのである。

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