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笠置シヅ子「買物ブギー」をSP盤と蓄音機で聴く

スウィングの女王とブギの女王。

復興期のポップス、イコール笠置シヅ子の時代、しかし体技派歌手としては晩年にかかろうかと(当初、猛烈と評された体技に興味が、その点にご留意いただければ)。最盛期ともなるはずの時期は大戦期と重なり、当局からストップが=いわゆる敵性音楽のみでなく、体技にも規制が(派手なパフォーマンス禁止)。戦後は、順調に事が運ぶと、ブギ云々以前、実は結婚&出産で引退の予定も。しかし"ブギの女王"として君臨=30代初頭から半ばにかけて。

(身体は消耗品と考えている、その意味に於いて、特に体技者では、年齢&キャリアに鑑み最盛期という言葉を使った)

そのピークを考えると、仮に戦前を前期として、松竹トップ10に選ばれた33年、服部良一と出会う38年(すでに大阪の歌姫と云われていた)、また同年にはスウィングの女王としても知られるように。そして40年には規制(時局に即して舞台での規制はより厳しく)。この1930年代が(年齢では18才-25才)、最も体技に自信があったはず(身体が軽やかに動くという自覚が強い)。ちなみに、スウィングの女王=ジャズシンガーとしての笠置シヅ子を見出した評者は双葉十三郎。

戦後を仮に後期とし、45年11月に日劇で復帰(31才)。46年10月、妊娠発覚。47年5月、吉本穎右永眠。6月、出産。晩夏(8月末もしくは9月頭?)「東京ブギウギ」レコーディング(33才)。ブギ旋風を巻き起こすが、そのブームにも陰りが(50年代半ばにかけて)。56年の日劇が最後の舞台(42才)、翌57年に歌手引退宣言(43才)。引退を控えて謎の空白とされる休止期間に入る、それは「もはや戦後ではない(経済白書)」と云われた年でもあり、まさに復興期と共にある存在だった。そして服部良一の戦後ピーク期もそれにほぼ重なる(ヒット曲に照らし合わせて)。

ヤヤコシ ヤヤコシ アア ヤヤコシ...

ここで「東京ブギウギ」に並ぶ大ヒット作「買物ブギー(1950年)」を当時のSP盤で。これも凄い曲、「買物...なのに、何も買わない(微苦笑)。

レコード品番"A 822"。録音ママ無加工、マイクは約1mの位置。盤にやや難あり。蓄音機は日本コロムビアG-150(盤と蓄音機本体の年代はほぼ合致するが、サウンドボックスは9番に変更で針圧調整)。

歌手から女優&タレントに転じた50年代半ば、その時代背景に少しふれると、ブギのみでなくジャズ(実質、洋楽ポピュラー全般)のブームも終息する。代わってマンボにロカビリーのブームが(プレスリーの登場も50年代半ば。日劇ウエスタンカーニバルは58年)、やがて60年代にはGSブームが。留意は、一夜にして流行が変わるのでなく、並走にクロスオーバーも。また当時、現在ほどには曲のジャンルが体系化されていない=ごちゃ混ぜ的でも。

邦画も最盛期に入るが(留意は、当時は邦画がメイン、洋画以上に集客数が多い)、60年代にかけて斜陽化=ざっくり言ってTVに負けた。TV波及は59年以降で(例えば御成婚の影響)、全盛期は61年頃から(それ以前、街頭TVもあるが、スポーツ観戦が主、そこに興味がなければ無関係に等しい)。ちなみに戦後ジャズブームを先導したミュージシャンの中から、いわゆるTV業界人が現れる(例えばバラエティー番組制作の井原高忠)。

演劇では、エノケン&ロッパともに縁の深い菊田一夫(作家)が"東宝ミュージカル"を立ち上げる(56年)。同時期には世代交代も(例えば森繁が頭角を現す)。エノケン&ロッパにも少しふれると、戦前がピークとされており、戦後は余生に近いという評が(特にエノケンには病が=糖尿病性壊疽説)。大まかではあるけれど、音楽的なブームの移り変わりと旧来の興行の再興が、そこに次世代の台頭&TV時代の到来という流れが。

笠置シヅ子に戻り、転向後の活躍に「うまいことやったわね...とは、淡谷のり子による評だが、時代とシンクロしたと思う。ポップス歌手としての再起は復興期と重なり(ブギで快進撃)、女優&タレント活動は高度経済成長期と合致(演劇&映画、そしてTVなどの全盛期でも活躍)。おまけに完全引退後、業界そのものが下降した(オイルショックの影響、また業界の近代化=合理化も影響するそうだ)。

猛烈体技派のダイナマイトシンガー。

歌手引退理由は、単純には、体技に限界を感じた? もしかすると54年&55年の脅迫事件(卑劣にも、その一人娘をターゲットとする)にも考えるところがあったかも。なんにせよ42才まで続いただけでも、体技派としては大したもの。体技に限れば予定ママ、47年頃に引退でもおかしくない。ところが40代初頭までひた走る。パワーの源を考えると(これは服部良一ともに)、戦下の抑圧から、解放により、それまで秘めていた表現者としての何かが爆発したと考えるのが妥当では?

(規制に関しては、1945年=昭和20年3月末、内務省通達による緩和が。マイクロフォン使用がOKに、ステージ衣装もOK、アチャラカも解禁、ジャズ小唄程度も歌えたようだ。実は日劇も劇場として再開していた。これはUSによる無差別空爆の激化で、なりふり構っていられない=とにかく明るいアトラクションが必要とされた。皮肉にも、ある意味、空爆による甚大な損害により規制が緩和された)

そのパフォーマンスに関しては、限られたフィルムから推し量る以外には術がなく。否、歌はレコードが、ではなくて、前述ママ、体技(ダンサー)での実力が知りたい。「猛烈...云々と言われても、カネヨンのおばちゃんなイメージのみ。映画では「銀座カンカン娘(49年)」に例えても..."?"で、まあ私が鈍いのだ、「醉いどれ天使(48年)」での"ジャングル・ブギ"でも今一つ判然としない。ジャングル・ブギでは「脱線情熱娘(49年)」の方が総体での完成度は高いと思う。

(ここでの体技=音楽的な動きの妙=そのオフビートな感覚であって、アクションが大きいこととは無関係。舞は体操ではない、動けば良いというものではない)

否、最初、「猛烈な体技...とされる評伝に(先入観に)、同世代では二つ歳上のエレノア・パウエル、歳下ではシド・チャリシーのような生粋のダンサーを思い描いたのが誤り。ともかくも、彼女の体技が見えてきたのは「エノケン・笠置のお染久松(49年)」での"道行ブギ"で。設定の妙もプラスに(ちなみに和装)、体技の線がピタッと決まる。ああ、これなのだろなぁ...と思った。

彼女は幼少期から舞踊を学んでも。そのキャリアがブギのリズムと合わさり日本的なるダンスとして完成されている。共演者のエノケンが(体技者としては晩年)、その動きに「よくついていっている」とは作家の小林信彦氏による評だ。

基礎(古典的な)がある踊り手は強い。その理由の一つは身体の芯が掴めている、そこを軸とし、如何様に動いてもフレない=様になる。でもそれはスタートライン、そこに"天性"の音楽的な才能が開花すると天才が誕生する。ではダンサーとしての笠置シヅ子は才能に恵まれた天才か? わからない。残されたフィルムを全て観ているわけでなく、何よりも直に舞台を観ていない。

(でも当時を知らない&もう観れないからこそ、逆に、現存のソフトにて、じっくりと観る&聴き込むことで、より理解を深めることもあると思う)

ただ、そのハツラツに歌い踊る姿を観ていると、こちらまで元気に(一種のカタルシス?)。まるで人間パワースポットかのような芸当は、他に比類がない。フィルムでも、そう感じるのであるから、生の舞台は凄かったのだろう。元来これは(特に彼女は)、レコード(ソフト)でなく舞台で観る唄なのだと思う。

日本初の本格的なスキャット。

重ねる、評伝から、体技のみに注目という勘違いに端を発して(舞台での音楽的な身体表現に惹かれるのは私の嗜好なのでご容赦を)、でもそのパワフルな芸当に"!?"となり、改めて興味が。そこで可能な限りの古い音源までも追いかけてみた。すると、双葉十三郎が評したように例えばエラ・フィッツジェラルドとの比較が適切なのだろう。

その双葉十三郎は、ファンクラブ(私設的な)をも結成するが、戦後には自然消滅も。つまり端的にはジャズシンガーとしての彼女を応援、双葉十三郎に於いては、戦後の彼女は"ジャズ"ではなく、自ずと縁遠くなったそうだ。服部&笠置の戦後ブギのブームを違うものとして捉えていたのだろう(依然、そのユニークな点は評価しているが)。

また親交があった淡谷のり子も、ブギ最盛期の彼女に苦言を呈している(48年「週刊朝日」&50年「朝日新聞」)。意訳すると、何か勘違いしているのでは? 云々で、正統(仮)なジャズシンガーとしての道を示唆するものだろう。で、ブギ云々以前、戦前-戦中の曲に注目すると、双葉十三郎&淡谷のり子の言わんとする事がわかる...とまでは、でもなんとなくピンとくる。

しかし(楽曲&歌唱方法)に造詣はない、その凄さを推し量るための文献を紹介にとどめる。「表現における越境と混淆(日文研叢書36)」に掲載の細川周平著"笠置シヅ子のスウィングする声"で(やや古い本ですが国会図書館にあります)。時代に与えたインパクトを体系的&要点を簡潔に、しかも音楽素人にもわかりやすく解説、近年の笠置シヅ子評の中では際立っている。

(日本初の本格的なジャズシンガーが笠置シヅ子であるという点がよくわかるはず、それにしても"カネヨンでっせ!"のおばちゃんが、それほどに偉大な存在とは想像もしてなかった)

冒頭の提起、猛烈では、時代性を見落としていた。当時の国内に於いては、それまでにない存在で、そもそもポップスにジャズ云々も当時の感覚で捉えないと見誤ると思う。スウィング時代の音源では、入手が容易いのは、日本初の本格的なスキャットとされる「ラッパと娘」だと思う(youtubeにもUPが)。その転向については、ジャズシンガーとしての枯れ方もあったのではないかと思えてならない。

あと11月末にLP盤が出るようで(リマスターのベスト盤?)、もしも興味があればぜひ。

[笠置シヅ子「東京ブギウギ」をSP盤と蓄音機で聴く]