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「三人の母」とその後


伯父の遺品の中から藤枝市に住む伯父の知人が書いたと言う「三人の母」と言うタイトルの本が出てきました。
伯父は長兄で子ども時代から父親不在の家族を支えました。
この本は母を含めて叔母たち姉妹に配られたそうで、私が子どもの頃に家にあったことを憶えています。
当時はまだ私は小学生くらいだったので読んだか読んでいないか記憶が定かではありませんが、
姉や弟はこの本についてはおそらく気づいていなかったような気がします。

三人の母

私も今生では3人の母と縁があり、何年か前に書いた本に3人の母のことについて書きました。 
3 0年以上の長い時を経て私は実母の家で暮らすことになり、実母を看取りましたが、実母が所有していたこの本を見つけることはなく、再びこの本が私の手元に来たことに不思議な縁を感じます。

そんなこともあり、私が実母の長兄である伯父も看取ることになったのですが、伯父の葬儀を済ませ、納骨のために遺骨を故郷の山梨県にある先祖の墓に一人で運び、伯父の7回忌を済ませた頃に菩提寺が遠方だったことや親族との関係が疎遠で行方が知れず、私がこの先祖代々の墓を墓仕舞いすることになりました。

墓仕舞いのために遠方まで何度か足を運び、樹木葬で永代供養をしていただけるお寺に移す手続き等、初めてのことばかりでしたが、全ての手続きを終えた時には双方のご住職から「よくやりなされた。」と労いの言葉をかけていただきました。

若い頃は自分がこんなふうに家族の中で年長者になる日が来るなんて考えることもなく、わがままばかりをしてきましたが、後に続く子孫のためにせめて私の代までの先祖の供養は私が終わらせておかないと、沢山の無縁仏をつくってしまうのかと思うとこれをする役目は初めから私と決まっていたのかもしれません。
そう思うとこれまでの人生の全ての辻褄もあっていきます。

そして時を同じくして、実母の遺骨は義父が新しく作った墓に一番に入れてくれていましたが、実母と義父は婚姻関係になかったこともあり、義父が亡くなった後のその後につづく義父の親族のためにもと、義父の息子さんに私から実母を墓から出してもらう選択を申し出ました。
私の家も義父の家もお互いの家族はそれぞれの苦悩の中にあったことを子ども時代からの経験で知っていたからです。
私は2人が軽い気持ちではなく一生懸命に生きてきたことは承知していて義父にも本当にお世話になりましたが、これから続く代々のことを思うと拗れてしまったお互いの家族関係をここで私がリセットしておかなければいけない気がしました。

実母の遺骨は、山梨県にある先祖の墓に戻すことも考えましたが、ひょんなことから地元の古刹のお寺とご縁が出来て樹木葬に移すことに落ち着きました。
そこは私と実母がそれぞれに人生の大半を暮らした街を見下ろす眺めの良い場所にあり、季節の移ろいが感じられる風光明媚な場所で、実母の魂が永眠するには、この場所が一番安らぐような気がして、私自身も安堵しました。

私はと言えば、実母が亡くなった頃から供養のための霊場巡りをするようになっていて、空海のお寺を沢山巡ったご縁がこんな形で成就したのだと思うと有り難い気持ちでいっぱいになりました。
思い返すと実母が亡くなった直後に導かれるように行ったお寺が高野山真言宗でした。
その後も何度か高野山に出掛け、実母の供養をしていました。

私の周りの親族の宗派はバラバラでそれも気になるところでしたが、私も実母の隣の場所を購入し、いずれお大師さまに守られる場所で永眠出来る場所が確保されていると思うと安心して人生を終えることが出来る気がします。
お墓ではなく自分が望んだように土に帰っていける場所。
そこに至ったここまでの道程が間違いでなかったことを確信出来た瞬間でもありました。

生きている時は縁が薄い実母でしたが、亡くなってからここまで私を導いてくれた存在だったことに改めて感謝の思いです。

私が亡き後は、いずれは私の親族もともに全てが土に帰り、自然に風化し、高いところからその後に続く子孫を見守り支えていけそうで安心して最期の時を迎えられそうです。




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