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『ある少年の告白』(2018)  実在するゲイ・コンヴァージョン・セラピー・プログラムをモデルにした作品

ガラード・コンリーの自伝的小説を映画化。

アメリカで最大の教派バプテストだが、バプテストといっても保守、中道、リベラルと幅広い。主人公の父親は南部アーカンソーの保守派のキリスト教原理主義。反同性愛だけでなく、反中絶、反進化論である(避妊具を使った人為的な避妊にも反対だと思うが、そのわりには主人公は一人っ子である)。

彼らを「進化論さえ認めない非科学的で無知な田舎者たち」で納得してしまったり、「右寄りの政治との癒着によって宗教の方がねじ曲げられている」と解説してみても、アメリカという国を決して理解できない。

聖書の教えを硬直的に解釈する原理主義と、フロイト派の「同性愛は性的心理的発達の停滞によって生じる性機能の一変異」という説が結びついて、同性愛は異性愛より未成熟なものなら、教育によって治せるはずだというのが、本作品に登場するゲイ・コンヴァージョン・セラピー・プログラムであり、Love In Actionという実在した(現在も名前を変え存在している)団体をモデルにしている。

本作品はキリスト教原理主義自体の批判ではなく、キリスト教原理主義を利用した疑似科学であり、カルト的なコンヴァージョン・セラピーLove In Actionの批判である。Love In Actionの創設者達は皆、元ゲイであり、現ホモフォビア(同性愛嫌悪)という屈折した者達なのだ。作中でも参加費用が3000ドルと高額で、実際にどういったプログラムが行われているのか保護者にも話してはならないと命令されるなど、異様な団体であることが描かれている。

例によって、作品をちゃんと観ていないのか、曲解しているのか、「これだからキリスト教保守は!」とキリスト教保守派(つまりトランプ大統領支持層)批判に持っていこうとする、おかしな映画評論家が日本にはいるようだが、そういう映画ではない。

ポリティカルな映画ではなく、むしろ親離れと子離れの話と言っていいだろう。主人公の家庭は経済的にわりと余裕もあるようだし、父親は自動車ディーラーを経営しているとはいえ、高校生に新車を買い与えるのは、アメリカ人の感覚でも、甘やかし過ぎだろう。同じく父子の関係を描いた『エデンの東』ほどの愛憎劇ではないが、実話が元になっているのだからしかたがない。「父親を憎んでいるのが原因だ」というヴィクター・サイクス(実在のジョン・スミッドという人物がモデルになっている)は『三十四丁目の奇蹟』のインチキ心理学のソーヤー医師そっくりだし、「みんなおかしい、こんなのなんの役に立つ?」と怒鳴って部屋から出ていく主人公の姿は、『不思議の国のアリス』で裁判の馬鹿げたやり方を非難するアリスそのままだ。


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