奥山淳志×草彅裕 もう少し対談 後編
草彅裕「水の粒子」特別企画の奥山淳志×草彅裕対談の後、喫茶cartaに場所を移して、ほっと一息。と思いましたが、写真家二人の話の熱は冷めません。話はまだまだ続きます。
Cygでの対談はyoutubeにて公開中
草彅)奥山さんが絵を描いている弁造さんを撮っているときに、正面から撮りたいと思ったけど、でも結局実行できなかったていう話がすごく印象的だったんですけど…。
奥山)なんか、撮らなくてもいいやっていう感覚は、どこかにはあるよね。
ああ、もっと弁造さんを撮っておけばよかったって、今になって思うんだけど。なんでこれだけしか撮らなかったんだろう、そのときはいっぱい撮ってたつもりなんだけど、今思うと全然撮れなかった。もう一枚も新しい写真は撮れない、生きてる弁造さんはいないから。
でも、その「撮れなかった」っていうのが、写真だなあと思います。自分にとって写真ってどういうものなのかっていうのを考えていくと、ずっとクサビみたいな感じで残るのかなあって。撮れちゃうと、自分の中では逆に、軽くなっていってしまうというか。
草彅)その写真があると、意味が変わってきますよね。ないからこそ、そこに集約されていく、という感覚、すごくわかります。
奥山)そう、そう。
草彅)うん、そうですね…。最後のページの、弁造さんが撮った桜の写真、奥山さんが撮れなかったから、あの世界が立ち現れて、でも強い思いとメッセージがこもっている感じがして、すごく感動しました。
奥山)写真の、そういうところ面白いですよね。
草彅)そうですね。紙っぺらなのに、そこに恐ろしい時間とレイヤーがこう、入り込んでいる感覚って、他のメディアにない…得体の知れない記憶というか。面白いですね。
奥山)うん、うん。あと、突然、息を吹き返すというか。例えばドキュメンタリーの写真で、長崎の火葬場で…原爆で死んじゃった赤ちゃんを背負った子どもが立ってる写真あるでしょう、有名な。
たった一枚なんだけど、この瞬間このシーン、この世界があったんだっていう蘇りかたをするっていうのは、すごいなって思いますね。
草彅)震災のときに、写真家の志賀理江子さんがずっと写真の洗浄をされていたそうで、浜に流れついてきた写真を集めて、全部洗って、それを体育館とかに並べて。それを遺族が探しにきて、自分の家族の写真が見つかったときのその感覚…。
写真なんですけどね、震災が来るまえはただ写真だったんですけど、それを家族がその人を見つけたように引き取られたという…。それは、写真のある種究極の展示をされてたんだなって。
奥山)最後は、記憶に関わる写真、なのかなあ、写真って。
草彅)写真って、やはり言葉とすごく隣接しているというか。奥山さんにとっては、写真と言葉はどのような関係にありますか。
奥山)アウトプットは違うけれども、結局自分の中からしか出てこないから、僕の中では同じ表現でつながっている感覚があります。でも写真のほうが外的な要因のことが多いんですかね。言葉はわりと、こう、醸成されていくというか。写真はもうちょっと、捕まえにいくというか。でも、その瞬間は捕まえにいったんだけども、撮ってしばらく経つと、すんなり自分の中に入ってきて、そこで呼吸を始めているとか、そんな雰囲気。
草彅)そうそう、しばらく経つと。
奥山)そっちの方が僕にとって魅力がある。だからなのか、すぐにプリントするのはあまり好きじゃない。撮影からプリントの流れが早いと、こう撮ればよかったとか、答え探しみたいなところがあって。でも、時間が経っちゃうともう、単純にもう写っちゃったものだけの世界になるから、こう写せば良かった、は消えていってしまう。そっちの方が好きっていうのかな。だから、デジカメが好きになれないのは、そこかね。あまりにもタイムラグが短いから。でもその一方で、早く見れたり早くプリントすることで、その次の撮影が変わってくるんだろうな、とは思う。
草彅)それでやってます。僕は。
奥山)放置しちゃうと何も進まない?
草彅)最初の体験が、デジタルなので、パッと写し出されたもので、意識が更新されて、次の視点が変わっていくっていう、直結した流れでずっとやっていて。でも、フィルムは、最後の暗室でプリントするときまでのいろんな工程が見ることができないじゃないですか。あの感覚も確かにすごい写真的で面白いんですけど。自分では本当に現場で見て、その中で直感的に色々操作しながらですね。
奥山)それによって生まれるものも絶対あるよね。作家がどこを選択するかっていう話だと思うんだけど。
「弁造 BENZO」なんかよく言われるんだけど。20年間にわたって最初から最後までずっと、撮り方が変わらないって。それは多分、放置していたから。その瞬間瞬間に、あんまり精査してこなかったから、だから結果としてこうなった。もしそのとき細かく厳密に考えだしていたら、それはそれで違う形になったんだろうけど。制作のスタイルなんだろうね。
草彅)単純に画質の話なのですが、最近のデジカメだと10年前に撮ってた写真とかも、最新のカメラで撮影した写真と同じ大きさで展示してもそこまで、違和感ないなって思います。高感度はさすがに厳しいですけど。高感度性能はやっぱり抜群に、今の方がいいから。
奥山)裏面照射型…
草彅)ふふ、そうですそうです。でも高感度もそろそろ、画素数競争とともに頭打ちになってくるんじゃないかって気はしていますけど…。
奥山)でもまだ5,000万とか1億画素とか。
草彅)すごいですよね。
奥山)でも、2400万くらいのセンサーが好きだけどねえ。
草彅)奥山さん、今撮影は主にどういったのをされているんですか。
奥山)祭礼シリーズは、ちょこちょこと撮っていて。ただ春から始めたいのはね、弁造さんのエスキースの写真を撮りたいのね。
草彅)複写ではなく。
奥山)そうね、複写だとつまらないから。自分の中のイメージ。本当はあの弁造さんの丸太小屋で撮りたいんだけど、もうないから。僕は画集の複写が、ずっとつまんないなと思っていて。なんだろうなって思っていて。カタログでしかないじゃない。
草彅)本当に。絵画は特に、カタログはどうしてもオリジナルの付属でしかない。
奥山)臨場感も伝えないし。だからこういうものですよ、としか話さないじゃない。僕は絵を描く人間じゃないし。で、弁造さんのものを作りたいなって思ったときには、写真として撮るといいんだろうなって。
草彅)それはすごく見たいですね。
奥山)絵を窓のそばにおいたり、そこに影が落ちてたりとか、そういう感じで。
草彅)楽しみです。
奥山)今、展示中で絵が、手元にないから。返ってきてから撮りたいなと思っているんですけどね。それをまとめたいなあと思って。また、自分で作ろうかなあと思ったんです。
草彅)「弁造 BENZO」の写真集のなかにもいくつかそういう、光景としての絵画があって、光が差し込んるような。
奥山)そうそう。そういう感じでね、撮りたいなあと思っていてね。
草彅)いいですね、複写の本でもあり、写真集でもあり、っていうのは、今まで見たことないものになりそうな感じがします。
奥山)弁造さんの絵を展示して回っているでしょう。そこに写真もちょこちょこっと置いて。見た人は、僕が描いたと思っている人もいて。だからあの絵も、自分の絵のようにも思えてくるし、写真は、弁造さんが撮っている気もするし、渾然一体としている。
じゃあそれで、本を作ろうと思って。一つの表現として、混ぜちゃうくらいでもいいかなと。
草彅)弁造さんの写真集特典のオリジナルプリントですが、ずっとどれにするか悩んでいて…。今日お願いしたいなと思っていたんですけど。いいですか。
奥山)もちろんもちろん(笑)。
草彅さんの作品、今回Cygで出してるのも、販売はしてるんでしょう?
草彅)そうですね、購入があれば。エディションは10ずつで。
バライタの作品は久々ですが、やはりインクジェットプリントとは手間のかかり方が違いますね。現像作業はもちろん、乾燥後の波打ったプリントをフラットにするのとか。
奥山)単純に重しをする人もいるし。
草彅)以前長辺が1m以上のバライタプリントを発注したら、筒状に巻いて送られてきて。もう、強力にカールしてて、一人じゃ広げられないくらい。どうしたらいいんですかって聞いたら、やっぱり重しして下さいって。フラットニングも方法が様々で奥が深いですよね。
奥山)あとは無理やり額装するとかね。
草彅)ガラスに挟んで、伸ばす…。あとは裏打ちで工夫するとか。本当にバライタ紙は厄介だけど。
奥山)でも綺麗だもんね。
草彅)さっきの対談でも話しましたが、物質感も魅力的ですよね…。
あ、もう時間が!?
今日はありがとうございました。もっと話したかったですけど。
奥山)ええ。また、ぜひ。
話は尽きませんが、ここでお時間となり、この日は解散となりました。この続きは、またいつか…
奥山淳志と草彅裕の作品はこちらでもご覧いただけます
●草彅裕ウェブサイト
●奥山淳志ウェブサイト
会場となった喫茶cartaはCygから徒歩40秒。営業時間等はウェブサイトにてご確認ください。
●喫茶carta
Cygオンラインショップにて販売中
草彅裕「SNOW」
奥山淳志「庭とエスキース」
奥山淳志「庭とエスキース(ブックレット)」
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