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効率の功罪

この作業は意味があるのだろうかと考えることは、意味があると思うが、

疑問に思うからやらないというのは、それはそれでリスクがある。

この作業は「直接」結果に結びつかないかもしれないが、その積み重ねが意味を成すことがほとんどであり、ある一つのものに到達するためには、複数の要素を積み重ねることで達成されることがほとんどである。

研究においても、自分がこれをなんとしてでも明らかにしたいと思う事がある時に、やるべきこと、調べることが1つだけなどということはありえない。もしそういうものがあったとしたら、大半の人が達成しうるものであり、結果が明らかになっているものの可能性が高く、そこに研究の意味はほとんど無いのだと思う。

人生においてもそうだ。希望の人生叶えるために、やることが1つに決まっているわけがない。それは自ら考え、検証し、修正しながら進んでゆくしか無いのだと思う。その過程があなたという人格を形成してゆくのだと思う。明らかに無駄なことをやっているのであれば、再考が必要だが、

人生においても、研究においても、色々な意見があり、色々な考え方があり、でも自分はこう考える、こういうところが問題点だと思う。そういうものの積み重ねが、課題を生み、考察を生む。その過程で得られる一筋のしずくのようなものがすなわち幸福なのかもしれない。少なくとも他人に与えられるものでも、買って得られるものではない。

そのためには色々な知見をまだたくさん吸収する必要がある。

だから、いまやっていることは間違っていない。効率を求めるべきところと、そうでないところ、そこの見極めが出来る人が、すなわち本当の「効率」の意味を知っている人なのだと思う。

そのためにはどうしたらよいか。やはり、突き進んで、検証を続ける以外に道はないのではないかと思う。

無駄な気がするといってやらない人生は、結局の所、ゼロである。


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