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闘病記@02 病は突然に。失われた日常。 Bサイド

 おはようございます。
最近はぐっすり寝れる(眠りすぎの感がありますが・・・)けど、
時折、悪い夢も見ます。
入院中の事だったり、この先のこと・・・? 僕が、めちゃ若かったら何とか消化できるのだろうけど、
もう41歳なので、ハンデの事も考えて、よく考えないとね。


 9月の夜に、突然、体の異常を感じて、救急車を呼んだのは、まだ暖かい季節の頃でしたが、
元々患ってた病気の影響もあって、その事か!と思ったのですが、どうも救急隊員の方も良くわからない?という事で、
実は、大きな病院4つほどでしたが、受け入れ拒否でした。

たぶん、病院に搬送されるまで、20分以上はかかっていたと思います。
『早く何とか・・・』って気持ちはあったんだけど、しょうがないですよね。。
で、一番最初に搬送された病院で数日過ごします。

過ごしますって言っても、こっちは体が動かない上に、昨日も書いたように、生まれて初めての車椅子に戸惑ってる訳だから、
自身も混乱してるし、医療側も病がわからない限り治療は出来ないわけで、歯痒い数日が続きます。
ただ、出されたご飯は、無理してでも食べました。
そうしないと、ダメな気がしてね。

このとき、変な感じはしていたんですよね。
搬送される日から数週間さかのぼってみると、食欲が落ちていたという事。
お腹の調子が悪い日がずっと続いていたという事。
でも、それは、後でヒアリングしてわかった事なので、その段階では自分でも良くわからず、
体が動かせないという、起きた事の状況が理解できず、混乱と不安でどうにかなるようでした。


 病院は大小いろいろあるのでしょうが、
そこでは、ちょっと変わったことがあって・・・

「何かあったらナースコールで呼んで下さい」って言われて、
僕、
「あの・・・?ナースコールはどこでしょう?」

「え!??」

えぇ。ナースコール付いていない状態で2日過ごしてました(笑)
トイレも自分では行けないので、我慢してましたので、膀胱がツラタンでした。。

点滴も、とりあえずしてる感じで、不思議なことに病にかかってると、
「これで良くなるのかぁ」って、何となく良くなってるように感じてました。
そんな訳ないのにね(笑)


 それで、そこの病院の院長先生が主治医になって下さり、
いろいろ診察していただいたのですが、やっぱり良くわからないという話になり、
今の状態、詳しい話の聞き取り。

それで、一つの可能性がでたのが、搬送されて3日経過したあたりだったかな。

僕も初めて聞く名前でしたし、その事をよく調べるためにも転院が良いという話になり、
4日目に転院しました。
世の中は、コロナ渦で、病院はどこも厳戒態勢です。
それは、そうでしょうね。。万が一、医療従事者の方が感染したら、その病院は機能を縮小、あるいは、
休診せざるおえないわけですから。

なので、転院も、救急車で行われ、僕はストレッチャーに乗せられて行きました。
いや、これが、一番不安だったかも。
確か、午前10時だったかな。
救急車で運ばれること自体、母の重病以来だったので、嫌な記憶が蘇ってきたり、
サイレンの中、体温を頻繁に救急隊員の方に聞かれながら、最初の病院の看護師さん付き添いの元、
移動しました。

 着いたのは、めちゃ大きい病院で、そのまま救急治療へ行き、細密な検査を行い、
午後3時ぐらいにICUに入りました。
それはそれは、落ち着かない所でね、、、。喋れたり、ちょっと動けるのは自分だけで、みんな大変な状況です。
それこそ、もうずっと、ここに居るのかな?って、思いましたよ。。
後で、別なことで書きたいんですが、僕は一人なんですね。
家庭もない上に、家族もみんな行ってしまったので、こういう緊急時に、その差がもろに出てしまいます。
家族がいれば、駆けつけてくれるだろうし、必要なものも持ってきてもらえるだろうけど、
それがありません。

 後で、書類を見てわかりましたが、ICUの看護師さんだったんですね。
「退院後は、介助をしてもらいながら生活しますか?
 それとも施設で暮らしますか?」
「一人で、何とか生活しますか?」

そう言われました。

マジで・・・?って、思いました。
そんなに酷いの?って思いましたが、実際に、動かないわけだから、ひょっとしたら、そういう事もあるのかなぁって、
心細くなります。
何もかもが、ある日突然の事で、それまで、何の問題もなくピンピンしてた訳だから、
事の現実を受け入れる余裕もなく、前述の通り、僕は一人なので、不安感が増大します。

ちょっと、気を紛らすのは、救急車同乗する前に持っていたスマホ2台と、モバイルバッテリー。
モバイルバッテリーを常に携行しているのは、いつか別な機会に書きます。


 ICUでの生活は、一段としんどい感じで、、、
まず、一人ではトイレに行けないので、尿瓶にしてましたが、上半身がある程度動けるので、
ICUの一室にあった、車椅子が使えないかの打診をしました。

一応、乗ってみますか?と言われたので、勇気を出して乗ってみました。
結果、乗れたんですよね。
でも、扱い方がわからないので、ちょっと練習させてもらいましたけど。。

それで、トイレには、看護師さんに押してもらって行けるようになりました。
トイレに一人で行けないという経験も、この病気になってからのことです。
トイレに行きたくなったら、ナースコール押して看護師さんに言うわけですが、
これがめちゃめちゃ言いづらい・・・

 トイレするのに、看護師さんの手借りてしまうのかぁ・・・
とか、ただでさえ忙しいのに、余計に負担をかけてしまうのかぁ・・・
という罪悪感がすごい膨らんで、後に書きますが、この先の入院生活最大のストレスを抱えることになります。

結局、トイレは、車椅子必須にはなりますが、自分の意志で行けるようになります。
ただ、看護師さん確認の上・・・という事にはなるのだけど。

 このトイレに関しては、ICUに居た時のリハビリの先生の助言と、やり方でマスターしました。
動かない体の機能と、機能し始めた体の機能をどう使えば良いのか?
さすがに、理学療法士さんですね。
ぱっと見たら、わかるようです。

僕、
『理学療法士、すげぇ・・・』って、感じでした。

_"自走" というらしいですが、それが出来た段階で、希望は出てきたんですが、
また、挫折することにはなります。それも追々。。

 転院した病院の先生と、改めて、対面した際に、
「この病気の場合、治療前に悪化して酷くなる場合があるので、
 こういった点滴をしたい」と、言われました。

それが写真の書類でした。いわゆる、同意書ってやつですね。

そりゃ、めっちゃ不安の中で言われるわけですから、
さらに不安になりますわな。。
なんじゃ、これは・・・的な。

で、翌日から、5日間連続で点滴が始まります。
1日、だいたい5時間程度の点滴でした。
点滴しながら、ご飯食べるのは、しんどいですが、あれ?何て言ったかな?

点滴しやすいように、針入れときますよね?
失念してしまった。。
こんな状態でも、お風呂はあるのですが、点滴の場所が塗れないように、
しっかり保護して、入っておりました。


ICU時のリハビリの先生も、早く治療して良かったかもと言っていました。
というのも、この病気の患者さんのリハビリを担当していた際に、
調子がだんだん良くなったのに、ある日、突然、呼吸筋がダメになり、
気管切開しての人工呼吸器を入れて、せっかくの回復も無駄になってしまった例や、
装具をつけて退院された方のお話を聞きました。

え?って、正直、動揺は隠せなかったですね。

自分は、どうなるんだろうか?的な、動揺ですわ。
左腕の点滴を見ながら、何とか、早く帰りたいと思うのだけど、
足は動かないし、その段階で握力は5kgしかないし、
やべぇなぁ・・・って、焦り始めました。

続きは、また、この次にでも。
なので、やはり、自分に置いては、車椅子は起点になったし、
重要性は、本当に感じています。

生きとし生けるものは、体の動く機能をフルに使って、
普段何気なく生活していますが、どこかが失ってしまうと、たちまち混乱するし、
前の生活へ戻ろうとする際に、非常に大きな障害になってしまう事を、
今、実感しております。

Text:CyborgAion

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