nee

宮古島で生まれた大正~昭和期の漫画家・下川凹天が好きです。

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マガジン

  • murmuring

  • スモール・タウン・ガールの見た東京 1989-1999

    フリッパーズ・ギターについて私が覚えていること。デビュー10周年に発刊されたファンジン「FG10」に寄稿したものです。

  • わたしのなかの沖縄・宮古

  • tiny manga +etc.

    これまでに描いた絵コンテのような小さなマンガや、 短い文章を載せていきます。

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スモール・タウン・ガールの見た東京 1989-1991-1999-2019

私があのとき見た世界、そこに現れた人たちひとりびとりが、思い返せば何てきらきらしていたのだろう。私はほんとうにそこに居たのだろうか、と今も信じられないほどに。自分が見聞きしたことを粗くスケッチしたようなこの文章が、誰かの心と少しでも響き合うなら、とても嬉しいです。 +++++ 手元に1冊の古い雑誌がある。1986年3月の「オリーブ」。その中に、ひときわ輝く男の子を見つけたのは、中学校卒業を間近に控えた頃だった。街角スナップのページで、シックなツイードのジャケットに眼鏡をか

    • わたしじゃなくてよかった

      小泉今日子さんの「あなたに会えてよかった」も、ご本人の歌詞で、聴くたびにいいなあと思う。20代の頃はたまに歌ったような記憶もある。 今までお付き合いした方、憧れるだけだった方、気持ちはあるのにタイミングが合わなかった方、それぞれに今も好きだ。同性の友人であっても、何か擦れ違ってしまったとしても、私はあまり人を嫌いにならない。好きな気持ちはそのままに、ただ離れてしまうだけだ。 昔から家事が苦手だった。料理だって、結婚して子供ができてご飯をつくるようになって、ようやく形になっ

      • 浜辺の薔薇

        "乙女らよ、咲き出た薔薇を摘むのです。 相も変わらず急いで駆けてく「時」の奴。 けふほほゑんでゐるこの薔薇が あすは萎れてゆくでせう。" ―『乙女たちに』より (作者:ロバート・へリック、対訳:森亮) SNSで知り合ったKさんという方がいます。 Kさんは私が数年前にその音楽を知った吉田カズマロさんの元のバンド、The Maybelsの活動当時を知る32年来のビッグファンです。カズマロさんを「師匠」と呼ぶKさんのタイムラインは師匠への気持ちに溢れていて、例えばカズマロさんが呟

        • スモール・タウン・マダムの見た名古屋2024-vol.3

           宿から午後の日程のため出ようとすると、スニーカーから履き替えた赤い靴が濡れた床で滑ってすってんころりん。幸い頭は打たなかったのですが、軽く脳が揺れるような感覚と暑さのままで外へ。マブヤーマブヤー、と唱えて道端の小石を手にし、魂(マブイ)を逃がさないためのおまじない。手にしていた宮古島のお土産の入った青い紙バッグが無事で何よりでした。 見るとお化粧をした若者たち。いろいろな柄の派手な法被とぶかぶかの衣装で、集合して移動しています。よさこい演舞がこれからあるのだそうです。  

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        スモール・タウン・ガールの見た東京 1989-1991-1999-2019

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          スモール・タウン・マダムの見た名古屋2024-vol.2

           SNS(Twitter)で少しずつnoteの記事の反響をいただくようになってきた頃、子ども部屋の片付けをしていると『Topping Up』という80年代東京のMODSシーンの音源を集めたコンピCDが出てきました。いつか買ったものの、結婚、出産、育児と続く生活の変化の中でどこかに紛れ込んでいたのでしょう。北沢夏音さんのライナーノーツを読んでじっくり音を聴くうちにThe Maybelsというバンドが気になり、そのリーダーだった吉田カズマロさんをTwitterでフォローしました。

          スモール・タウン・マダムの見た名古屋2024-vol.2

          スモール・タウン・マダムの見た名古屋2024-vol.1

           2012年に公開された『マダム・イン・ニューヨーク』という映画があります。インドのプネーという町に住む平凡な主婦が、姪の結婚式を手伝うためニューヨークにしばらく滞在することになり、その期間に通い始めた英語学校でさまざまな境遇のクラスメートと交流し、次第に自分への自信を取り戻してゆく―。女性監督による、一人の女性の成長物語のようなチャーミングな作品です。ちなみに、プネー大学と名古屋大学は姉妹校なのだそうです。  高校生の頃、1950年代末ロンドンが舞台のイギリス映画『ビギナ

          スモール・タウン・マダムの見た名古屋2024-vol.1

          パッションフルーツ

          夫の実家である隣の敷地から生えているパッションフルーツがこちら側に伸びていて、毎年時計のような花を咲かせて蜜蜂が飛び交い、いつのまにか緑のたまごのような実を結ぶ。 こちら側のは採っていいよというお言葉に甘えて、大きくなってきたのを台風前にもいで台所に置いて、誰かに分けたいなと思っているうちに日にちが経ってしまった。すっかり黄色く色づき皺の寄った果実をナイフで割ると、甘味がねっとりと強く美味しくなっている。手にも洗っても落ちないほどの芳香が残る。ああ、この濃厚な味を分かち合い

          パッションフルーツ

          30年前、宮古島の選挙の思い出

          宮古島市がまだ平良市の頃。 長期続いた現職候補は中央とのパイプが太いことを盛んに訴え開発を進めた。 ゴルフ場建設で地下水汚染が危惧される中、水を守ろうという声が高まり、町医者だった伊志嶺亮さんが候補に立てられた。 選挙最終日、現職の選対事務所前に黄色いTシャツの一団が差しかかった。 市民の手作り感あふれる黄色いTシャツ。手には風船を持っている人もいた。その先頭に立っていた伊志嶺さんはいつものように少し茶目っけのある笑みを浮かべ、派手な街宣カーではなく、道をてくてくと歩いてゆ

          30年前、宮古島の選挙の思い出

          職場で連休中に一人で休日出勤をしていると、事務室のドアの向こう、廊下からちりんちりんと鈴の鳴る音がして、15分くらいそうして聞こえていました。誰もいないのに。 職場は元病院跡地です。 でも誰もこんな話など信じてくれないのでしょうね、疲れているんですねと言われるだけでしょう。

          職場で連休中に一人で休日出勤をしていると、事務室のドアの向こう、廊下からちりんちりんと鈴の鳴る音がして、15分くらいそうして聞こえていました。誰もいないのに。 職場は元病院跡地です。 でも誰もこんな話など信じてくれないのでしょうね、疲れているんですねと言われるだけでしょう。

          Lost Song

           車のリースをするために、日帰りで沖縄本島へ行ってきました。今春卒業した息子が、沖縄本島でそのまましばらく暮らすのですが、来春からは本土に行く可能性があるため、当面のあいだ車は要るけれど買うのはやめておこうという判断です。いろいろ調べて糸満にある業者さんを知り、先日実際訪ねてみて誠実そうな対応だったため、今回2度目の訪問で契約しました。  夕方の便まで少し時間があったので、時間休のとれた妹を誘ってお昼を食べました。妹は私と違ってミニマリスト志向で、最近は稲垣えみ子さんの本を

          Lost Song

          ロッテンマイヤー哀歌

          高校生の頃に同級生の影響でニューロティカを知り、なかでも「修豚哀歌Ⅱ(I love youなんて言えねえ)」などは卒業を前に親友たちと大合唱したこともあって思い出深い一曲だ。 そういえば私はいつも誰かに惚れていた。勝手に気持ちを注ぎ込んで、人のことを大切に思って、一人で嬉しくなって。それが私の原動力でもあった。50代のはじめくらいまでは、それでよかった。 年齢はただの数字にすぎないというけれど、でもねえと最近は思う。だってneeさん、あなたいい歳じゃない、と。孫がいてもお

          ロッテンマイヤー哀歌

          書くこと生きること

          宮古毎日新聞 2021年10月26日掲載 頭の中にぽこぽこと泡のように浮かぶことなどをノートの端っこに書き始めてから、どのくらい経つだろう。これまでに出会った恩人たちの顔が胸をよぎる。 中高校生の頃、当時読んでいた少女向けのファッション雑誌編集者が憧れの職業だった。その後、東京の私大への進学が決まった。宮古高校の渡真利清太郎先生や友利昭子先生からは、ずっと書き続けなさいと激励を受け、何事も中途半端な私には大きな支えとなった。 大学卒業を目の前に、沖縄のある出版社を訪問した

          書くこと生きること

          だいじょーぶ

          Yoricoさま 思えばカナダでYoricoさんがハリウッド制作のドラマ『SHOGUN』の撮影真っ最中に始まった、往復書簡のようなやりとり。昨年は、なかなかお返事を書けぬまま時間だけが過ぎてしまいました。読み返すと、あれからほんとうにいろんなことがあったのですね。そしてお互いになんとか元気を取り戻しつつ、ついに今月は『SHOGUN』が全世界配信される運びに。本当におめでとうございます。 Yoricoさんは真田広之さん演じる将軍の奥方(桐の方)役とのこと。公開された凛々しい

          だいじょーぶ

          続いてくのさデイズ

          80年代後半、高校生の頃に雑誌Oliveを愛読していた一人として忘れられないモデルさんがいます。松本りさ(リサ表記のときも)さん。スッと弧を描く眉毛、涼しげな目元。飄々と媚びない中性的な雰囲気が私にはとてもクールに見えて、自分とほぼ同世代の彼女の出た誌面は関心をもってよく見ていました。 それから何年も何年も経って、杉村ルイさんのInstagramに見覚えのあるお顔が。どうやら松本さんです。お見舞いとあったので気になり、やがてお連れ合いの方のアカウントに行きつきました。現在も

          続いてくのさデイズ

          まゆみ

          中学2年の頃に転校生がやってきた。とても綺麗な顔立ちの子で、そして、とてもぶっとんだ子だった。本土で生まれ育った彼女は、いつも標準語で少しテンション高めに話し、いろんな人の視線を集めていた。 彼女は高校に進学せず中学を卒業して美容師の勉強を始めた。島に戻ってくるときにはファッション誌から抜け出てきたようなお洒落な格好で、「あれさ、まったくMadonnaみたいじゃない?」と熱っぽく語る同級生の女子もいた。 1989年に私も上京したとき、彼女が誘ってくれて、PINK HOUSE

          まゆみ

          書き残すということ

          ものすごく今、書くということ、残すということについてもやもやとした感情に襲われていて、これをなんとか整理しておきたいという気持ちになりました。 たぶん非常にわけのわからない内容になりますが、ご容赦ください。 感情的になったきっかけは、今朝X(Twitter)でリポストされてきて読んだ文章でした。先日急逝したバンドのカリスマ的なボーカルの人物との、若い頃の邂逅を綴った追悼記事で、猫をきっかけとしたやりとりや描かれた情景が美しく心を掴まれました。よく見ると筆者は以前私がやはり感

          書き残すということ