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【日々】空気が変わった|二〇二三年九月




二〇二三年九月一日

 陽射しは変わらず熱い。噴き出す汗。なのに、びゅうっと吹き抜けてゆく風がひんやりしている。からりと気持ちがいい。

 電話をするというただそのことだけに苛々して、終わってみれば別になんということもなくて。わたしはわたしをトゲトゲさせたり疲れさせたり大事にしてくれなかったりする人が嫌いで、でもその怒りのせいでさらに世界を狭めている可能性が怖かったりして。不貞腐れてわざと引っ込めていた力がやむを得ない忙しさによってあっさり引っ張り出されてきちゃって。わたしはきょうも元気に、愚か者だった。

 夜、家路をたどりながら、またあの風に吹かれた。すうっと涼しく、何かを運びこんでくるような、あるいは持ち去ってゆくような、ちょっと芯のある風。数年前までは夏の終わりが寂しくて、嫌で嫌で仕方なかった。寒い冬も嫌いだったし。でも今は夏の終わりの憂いを含んだ表情も、秋の匂いも、冬の静かさも大好きだから、むしろわくわくする。うつろうことはまだ怖いけれど、めぐりゆくことは嬉しく楽しい。こうして日々をスケッチし続けてきたからこそ手にできた、わたしのちいさな武器。




二〇二三年九月五日

 お昼前、まだ起きない頭で眺めた窓の向こうが鮮やかすぎる蒼とまぶしい白の世界で、夏のイデアみたいだとおもう。でも、そのあと洗濯物を干しに窓をあけたら、吹き込んでくる風はどこか涼やかで、やっぱり巡りはじめているんだなと確かめる。みあげると真っ青、でも遠くには雄大な雲。きもちがいい。



 駅のホーム、おおきなプーさんのぬいぐるみをだきしめて電車を待つ制服姿の女の子を三度見くらいする。渋谷に出て、青山ブックセンターで永井宏『愉快のしるし』を買う。さっそくページをくりつつ東横特急で横浜に出て、浜虎でさらっとラーメンを入れる。ポケモンセンター・ヨコハマを冷やかし、セブンでサッポロ・ビールを買って臨港パークで潮の香りをあてに一杯。だいすきな、昼と夜のあわいでにじむ色を眺めながら、波の音を聴く。あかでもあおでもみどりでもない、この色はいったい何と呼べばいいのだろう。パステルで、あいまいで、いろんな色をまぜて濁っているようで、けれど透き通るようなきもちにさせる、この色は。水分をたっぷり含んだ、でもすこし涼やかな風が吹き抜けていく。



 ヨコハマのライヴ・ハウスは満員の人、ヒト、ひと、そのほとんどがマスクをつけていなくて、割とあっさりもとに戻ってくれてよかったなとおもう。こっちの方がきもちいいよな。となりの女の子はたぶん、思い入れのある曲のイントロが鳴るたびに膝においた両手がギュッとなっているみたいで、そんな奥ゆかしいこころの跳ね方がとってもかわいらしかった。わたしのきょうのいちばんは『hopi』。まっさらな第一曲めに置いても、とちゅうのどんなところに挿しても、すうっとはじまりのにおいが流れてきて空気を変えてゆく、すごくいい曲だなあってあらためて。朝のにおいがするんだよね。

 からだを揺らして浸りながら、「天使」についてぽつぽつと考えていた。ふだんの自分達は天使なんかじゃないよと話す彼女たちをみていて、わたしたちはさすがにもうそんなことは分かったうえでみている年齢なわけだけれど、でも天使ってほんとうは悪魔よりずっと残酷だものな、と思ったりもする。悪魔と違うところがあるとすれば、それは言葉を失うほど真理に近くて、うつくしいというところかもしれない。舞台のうえで夢を売るひとたちはみんな、そういう意味でやっぱり、「天使」なんだろう。



 海のうえを走ってきたきもちの良い夜風。とおくビルの間にのぼるちょっと赤茶けた巨大な月。演奏をからだで感じにいきたいミュージシャンはそれなりにいて、でもハコを出たあとの残り香はそれぞれに違っている。気持ちよかった、とか、めっちゃ元気になったな、とか、しみじみじんわりしたな、とか。きょうは、宇宙のまんなかでたゆたっているような、ふわふわした気持ち。羊文学の音楽は、わたしにとってそういうものみたい。好きです。当分残りそうな余韻にどっぷり浸かりながら家路を辿る。





二〇二三年九月六日

 右手からざあっと風が吹いて、枯れ葉たちがくるくると縁を描きながら踊る。左手に吹き抜けたあと、少しの間細い隊列になって、わたしと並んで走っていた。相変わらず陽射しはあつくて駅に着く頃には汗でびしょびしょだけれど、あるいていて体育祭とか学校祭のこととかおもいだすのは、やっぱり次の季節のにおいがするからなのかもしれない。もうすこし良い方の思い出がのこっていてくれれば、すなおに喜べたのに。

 きょうもオフィスでの八時間をじっと耐えしのぶ。のっぺりとした地獄が永遠に続くような気がして、真綿で絞められるような苦しさがある。それを夜、ぽつりと漏らしたら、インターネットの海のむこうから、「わたしも」と肩を叩いてくれるひとこえが届いて、すこしだけ楽になる。それぞれに違う苦しさなのはわかっているけれど、でも、わたしだけじゃない。それだけでちょっと安心する。



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