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【日々】あたらしい、わたし|二〇二三年三月から、四月へ




二〇二三年三月三十日

 一年に一度、この日に必ず聴くうたをかける。ことばが、うたごえが、いつもと違うつよさでしみこんでくる。またひとつ、あたらしいわたしになった。


 あーちゃんと銀座でお茶をする。お互い、ふだんまったく縁のない街や店を、ふたりして庶民の目線でからかいながらあるく。でも、お高いティータイムもたまには悪くない。いつもはつけない高い香水も、こういうところに身を置くといつもよりなじんでいるような気がする。




二〇二三年三月三十一日

 家族が出てくる、すごくいやな夢をみた気がする。でも、ベッドから身体を起こすころにはもうあらすじすら思いだせなくなっている。昨日のカレーをあたためて食べる。朝ごはんに食べるカレーは、ビジネスホテルで迎える朝みたいなきもちになっていい。コーヒーをいれる。そろそろアイスコーヒーを常備してもいいころあいだなと考える。まだ「朝」と呼んでふさわしい時間からきちんと一日を始められて、いいスタートだなとうれしくなる。




二〇二三年四月一日

 駅を出ると、予報にない雨。なんだよもう。ひらいた折り畳み傘は骨が一本折れ曲がっていて、いまにも壊れそう。

 押した仕事でずいぶん深い時間になってしまったけれど、無理やり時間をつくってテレビの前に座る。お気に入りのおさけをお供に、毎年、冬の終わりに聴くうたをきく。たった一度、数分をじっくりあじわってから、ていねいに仕舞う。冬をたたむ。ことしは、あんまり触ってあげられなくてごめんね。また、次の冬にあおうね。たったそれだけで、もうすでに、気分がちょっと春めきはじめている。



二〇二三年四月二日

 たけのこを焼いてみる。やっぱり塩が美味しい。おさけといっしょに。名前は「三千櫻」。春をいただく。買いものに出たときにみえた生産緑地の木々の、若々しいもえぎ色がまぶしかった。




二〇二三年四月三日

 起きられない。冷蔵庫に冷やご飯がよけてあるのを忘れて、冷凍庫のごはんストックをひとつむだに解凍してしまう。きのう仕込んだほうじ茶は出があまくて、お茶風味の水みたい。あるいているといつのまにか、尖った小石がするりと靴なかにすべりこんで、足裏をちくちく刺してくる。いつもいつも本当はしっちゃかめっちゃかなのを、ギリギリで取り繕いながらなんでもないフリをして生きている。みんなも、そうなんだろうか。

 おもいがうまく伝えられず、相手の意思するところはつかみきれなくて、四苦八苦する。このところ、仕事をしていると毎日のようにそんな苦労がある。いくたびも、もういいやと諦めて扉をしめてしまいたくなる。でも、わからなくても、わからないまま共にあるという理想を、なんとか捨てずに握りしめる。わからなくても、わかろうとし続けること。これまでのわたしの人生に落ちる陰の多くの部分が、それをし損なったことで出来ていると今はわかっている。若松英輔さんがおしえてくれた。だからこれからのわたしは、これまでよりはすこし大丈夫なはず。




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