見出し画像

二〇二四年一月




夢。
ブラームス〝ドイツ・レクイエム〟の、パート練習をしている。
わたしは経験者なのにさっぱり歌えなくて、みんなの後ろでまごまごしている。
そばにパート・リーダーが寄ってきたので、たまらずにスマン、とこぼした。かれは、苦笑いしていた。リーダーは、けんか別れしたかつての友人だった。



「3」が「4」にカウントアップしてほどなく、内臓をゆらゆらと遠心分離にかけるように、長くきもちわるく大地が揺れた。相変わらず世の中はお互いの顔も見ずに罵りあい煽りあい、平気でウソをつき、爆弾を打ち込みあいヒトもモノも壊しあっている。電車にのれば、意地でも脚を組まないと気が済まない人、いらいらと足を踏み鳴らしている人。会社に行けば、平然と遅刻してくる人。みんな勝手だ。


そんな人の世にはなんの関係もなく、空はずっと蒼かった。おひさまはまっしろに光って、低く遠慮がちに空をはしる。彼がにび色の雲のむこうで重たくにじんでいるような日には、顔はマフラーに深くうずめて背は丸まってしまうし、両の手はポッケから出てこなかった。吹きつけてくる風が肌をからっからに乾かし、温度を奪ってゆく。感覚がなくなる。水は刺すように冷たくて顔を洗うのに気合いがいるし、冷蔵庫のお茶はちょっと冷たすぎた。駅へ向かう道すがら、しずかな校庭を横目に見て、三学期っていつもすこし寂しげだったよなって、ちょっと思い出したりした。



わたしは年末から続く正体のつかめない絶望感を癒すことができずに、あるくための支えを求めてふらふらゆらめいて、結局どこにもうまくつかまれなくてしばらくばったり倒れていた。自分の足でろくに立ちあがれもしないおのれが情けなかった。ずっと、脳みそがつかれている気がする。一生ふとんから起き上がりたくなくて、天井をみつめているか胎児のように丸まっているか、できれば永遠にそうしていたかった。でもギリギリのところで生活はしていた。
海を見にいきたい、ということばかり考えていた。気持ちを入れ替えたくて街へ出ることもあったけれど、なにもかも空ぶっていた。本屋に行ってもよみたい本はあるようでなくて何も手にとれず、行きたい店も飲みたいものも食べたいものも過ごしたい時間も、その通りに試みてもみんなちょっとずつしっくりこなくて、世界とずっとズレているような気分が淡々と続いた。十二月からずっと毎日つけていた日記は、十五日で諦めた。同じく年が明ける前からあたためていた色んなことは、手をつけるどころか触るのもいやになって放ったままになっている。



**


〝ドイツ・レクイエム〟の夢をみた日、外に出ると空気はたっぷりと水のにおいをたたえていた。夜にはいっそうそれが強くなって、電車を降りたとたんに鼻腔に満ちたそのにおいに、雨が降り始めたのかと本気で心配したくらい。ずっと居座っていた重く地に根を張ったような冷たさはなくなっていて、風はなく、大気がすこし丸みを帯びている。夜道を歩くと路面には少し、濡れているところがあった。もしかして、ほんとうに降ったんだろうか。わからない。そんなこともわからずに日々を過ごすのは、いやだなとおもう。湿ったアスファルトのにおい。水のにおい、いのちのにおい。これは次の季節の気配だってことを、からだが知っている。


もうなにもかも厭で、全部放ってしまったままなんだけれど、でもほんとうはあの人たちみたいに、歩いてみたい、生きてみたい。そんなきもちは、消えずに、消しきれずにのこっている。わたしはまた、〝ドイツ・レクイエム〟を歌えるようになるだろうか。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?