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【日々】カッキョク、カッキョク|二〇二三年四月




二〇二三年四月四日

 十分後も十年後も、同じように生きているだろうか。


 聴きなれたフレーズをいつものように呑み下せなくて、舌の上でしばらくころがしつづける。さいきん、じぶんの世界が小さく狭く縮んで閉じてゆくような、漠然としたおそろしさがこころの片隅で蠢いている。じわじわと、日に日に、その輪郭が濃くなっている。でも、どうしたらいいのかが分からない。




二〇二三年四月五日

 地元を歩く。母とお茶をする。変わっていくことと、変わらないこと。平日夕方、小学生のころ駆け回っていたまちを、大きくなった、でもすこし朽ち始めたからだであるく。いろんなことをおもいだす。土の匂い、石をひっくり返すとたくさんいる虫たち、木登りで手のひらを刺すごつごつした感じ、半ズボンからでた膝小僧、帰ってみるポケモンのアニメ、だいすきなカレー。もう過ぎ去ってしまったこと。

 じぶんも、まわりも、昔から続いてきたことが一区切りつきはじめている。それを悲しむのではなくて、あたらしくなっていくんだなと、懐かしく見送る感じ。もちろん、ちょっとの切なさはあるけれど。

 ビールをあけて野球をみながら、鶏むね肉と小松菜と厚揚げをいためる。スーパーで買った鯵の南蛮漬けがおいしい。




二〇二三年四月七日

 会社の給湯スペースで、もってきた弁当をあたためる。暇つぶしに踊り場の窓からそとを眺めてみる。ゾウムシみたいなかたちをしたちいさな虫が、器用に窓ガラスにくっついているのがみえる。こんなにちいさなからだで、こんなに高いところまで。地上六階。きみは勇敢だね。でも、あまりに高いところまできてしまって、どうしていいかわからなくなっているようにもみえる。せわしなくクルクルとうごく二本の触覚。

 お弁当にいれてもらった春キャベツのみどりがまぶしいくらいにあざやか。たまごのきいろも。




二〇二三年四月九日

 衣替えをしようと衣装棚をあらためる。でも入れ替わりに出すのにちょうどいい服がなくて、とりあえずセーターだけしまう。

 昼下がり、ふたりですこしあるいてジェラートを食べにいく。ロイヤル・ミルクティーをそのままなめらかなアイスにしたようでおいしい。


 夜、おさけをのみながら、のんびりとかぶを煮る。葉がたくさんあまったので、甘辛のふりかけにしておく。しょうがを効かせて。



 小川洋子・堀江敏幸『あとは切手を、一枚貼るだけ』を読んでいてふと、船舶気象通報のことが気になった。無性に聴きたくなって、ためしにYouTubeでさがしてみる。

 ……あった。
 だれともわからないだれかの手で、しずかに、ぽとりと置いてある。

 流してみると、なにか帰るべきところに戻ってきたような、ふしぎな安心感でみたされる。これなら、毎日聴いていられる。聴いていたい。今まで、その存在をほとんど意識したこともなかったはずなのに、どうして。

 後日、本に出てきたものは通称「灯台放送」と呼ばれたもので、すでに全廃されているものと知った。わたしは、「気象通報」のほうがすきみたい。でも、こっちはほんとうに遠くから、届くあてもないのに懸命に発信し続けているような、孤島の灯台から送り続けているような感じがあって、おなかのあたりがすうっとする。




二〇二三年四月十日

 CD棚の面陳ラインナップを模様替えする。さわやかな風がふくようなかんじに。

 のどかな昼前の街を足早にあるく。こどもを遊ばせるお母さんたち。短パン姿でのんびり自転車を漕ぐおじさん。そこここで花が咲いて、小鳥がぴゅいっと鳴いて飛んでゆく。防火水そうの標識は本来の赤がすっかり錆おちて、渋めのパステルな抹茶いろになっているのがむしろオシャレでいい。こんな日には時間を気にせずに、それこそジェラートでも食べながらのんびりさんぽでもしたい。風の吹くおおきな河辺に出て、アイスコーヒーをのみながら本を読んでいたい。装いは、そよ風をたくさん通せる、明るめでゆったりした服がいい。そんな夢をみながら、タイトでまっくろなかっこうをして、時間に追われながら会社へ向かう自分が悔しい。




二〇二三年四月十一日

 明け方までねむれない。起きても吸血鬼みたいに、陽の光でダメージが入るかんじ。急にフィッシュマンズが聴きたくなる。会社にいる、嫌で嫌でしようがない人たちのことが次々フラッシュバックしてきて、朝からもう疲れている。


 夜、アメ横で会った東村は前よりもすこし健全な落ち着きがあって、でもそれが故に「書けない」のだと言う。わたしはかれの安定が素直に嬉しかったけれど、同時にいつまでも書けそうな自分をかなしく思った。わたしはたぶん死ぬまで、日々「書けてしまう」くらいに苦しみ抜くのだろう。わたしの生にはこれまでもこれからも、救いなどない。また置いていかれるのだなというどうしようもない淋しさを、心の奥底におしこめる。



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