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【日々】あたらしいふるさと|二〇二三年四月




二〇二三年四月二十三日

 駅まで全速前進、急ぎ足。右手から、ゆっくりと自転車で追い越してゆくおばあちゃんのブラウスは花ざかり。紺地に、白や黄色の花びらが散りばめられて可憐に風に揺れる。早足のわたしと、ゆっくりふうふう漕ぐ自転車の距離は、離れゆくのにもすこし時間がかかる。

 とくに何か手広く活動しているわけでもないのに、どうして日々余裕がないのだろうとふと考える。ただ最低限はたらいて、寝て、食べているだけなのに。むしろ、やりたかったこと、やろうと思っていたこと、数ヶ月前よりできなくなっている。にこやかに、感情豊かに、些細なことでもおもしろがって過ごすゆとりがない。フローリングは汚いし、洗濯物は片付いていないし、今週はまだ水回りの掃除もしていない。やっぱりわたしは、そもそもその日をただ生きているだけで、息を吸って吐いて、いのちを維持しているだけで、手一杯なのかもしれない。

 花柄ブラウスのおばあちゃんには、郵便局前の信号を渡ったところで追いついた。自転車から降りて、大儀そうに手押しであるく彼女を、右手から早足で抜き去る。あと六、七分で到着できれば、電車に間に合う。





二〇二三年四月二十六日

 雨が降る。さあさあとさわやかに降り続く。しめった匂いがもわりと香る。じっとりと濡れた服やアスファルトのにおい。なまあたたかい空気。そういったものに呼び覚まされたのか、教室の机や床のタイルの木が湿ってかおるあのにおいが、ふいに鼻先をかすめた気がする。雨の日はいつもより余計に、学校にいきたくなかったことを思い出す。




二〇二三年四月二十八日

 勤めびとたちに紛れて、バックパックひとつで上野から特別急行にのる。初めて社会に出て、初めてひとりで暮らした街に、はじめてできた当時の“会社の先輩“といっしょに。もう四年近くぶり。先輩に至っては七年ぶりになる。だからもう、あの頃はなにもないなあと思っていた街なのに、目に入るものがいちいち懐かしくて、おもしろくて。地元の不動産屋の看板、あの頃慣れ親しんでいたなんでもない地名、バス会社の名前、お客さんの略称、仕事でつかった専門用語……思い出すたびに二人でゲラゲラ笑った。箸がころげても可笑しくなっちゃう女子高生みたいに。

 街はあの頃のまま。でもよくみると、小さなことがちょっとずつ変わっている。行きつけの居酒屋も、先輩おきにいりのワインバーも移転していたし、コンビニはいくつかなくなったし、よくランチしたお店は中身が空っぽだったり、建物そのものが跡形もなく消えてしまっていたりする。お世話になったお姉さまたちも、お子さんは大きくなって自立しはじめているし、その過程で親子ともどもたくさん苦労していたり。そして何よりわたしも、先輩も、もう彼女たちと同じ会社の人間ではなくなってしまった。

 それでも、みんなみんな変わらず、むしろあの頃よりももっとあたたかく迎えてくれて。居酒屋のママも当然みたいに顔をおぼていてくれるし、見慣れたメニューもあの時のまま。すぎてゆくし、立ち止まることはできないけれど、かわらないものがいくつかあって、そこに帰ってくることができる。そのことのしあわせをぎゅっと抱きしめる。わたしにとって水戸は、そういう場所になったのだとおもう。





二〇二三年四月二十九日

 いくらなんでも呑みすぎて、ギンギン痛む頭を支えながら先輩とふたりで歩く。

 街角にひっそり、素敵な雑貨屋があって、むかし先輩といっしょに働いていたお姉さまがオーナーをやっている。先輩が扉をあけるやいなや響き渡る絶叫。もう十数年ぶりなんだって。わたしは面識はないけれど、彼女と同じ場所で働いていたから、あんまり初めてな気がしない。オーナーのお友だちも続々やってきて、やんややんやの賑やかさ。みんな、歳を重ねても全然枯れたところがない。プライベートなことも遠慮なく訊いてくるけれど、それも嫌な感じひとつない。だから東京にいるときは誰にも喋ってこなかったようなことでも、ポンポン話してしまう。おもってもみなかったようなことを口にして、自分でびっくりしたりもする。そうやって、一瞬で縁が繋がる。ごく自然に。いつもわたしが、やりたいのにできないそんな結びあい。田舎は人付き合いが面倒だという通説は実際ある程度真実だろうけれど、こんなふうにつながりあいながら生きられたらどんなに心強いだろう。土地に根ざすってこういうことだとおもうし、そのためなら多少のマイナス面は呑みこんだっていいんじゃないかって、いまはそう思えてならない。



 雑貨屋だけれど、よく見るとバーみたいなカウンターがあって、この日はコーヒーにお菓子まで出してくれて。同業仲間と仕事を渡しあったり、情報交換したり、お客さんや友だちがきてくれたり。なんだか、いいな。わたしにも、こんな場所があって、あんなふうにかろやかに生きられたら楽しいだろうな。さっき思わず口走った、自分もゆくゆくはお店をやってみたいんです、というひとことをゴロゴロ、ごろごろ、舌の上で転がしながら思う。



 別の友人たちともう一泊楽しむという先輩と別れて、ひとり特急に乗りこむ。二日間存分に歩き回ったツケで、ぐったりと疲れている。シートに身を沈めながら、あのころのままあたたかい街とひと、ひっそりと変わってしまったこと、そんな色々をゆっくりと反芻してゆく。先輩も、ほんと変わらないよなあ。でも、見た目は変わらなくても、こんなふうに仲良くすごしていることそのものが、あの頃は考えられなかったことだよなあとおもう。しあわせなうつろいだって、あるんだよね。




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