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両親のはなし

わたしの両親は身体障害者でした。

ふたりとも視覚障害者です。

父は31年前に、母は7年前に亡くなっています。

父は30歳の頃、交通事故で目が不自由になったそうです。

母はもともと病気のせいで、重度の弱視から徐々に視力がなくなっていきました。

そんな二人の元に、わたしは次女として生まれました。

両家から反対され駆け落ち

父と母は、目の不自由な方が通う「盲学校(もうがっこう)」で知り合いました。

母は当時、父ともう一人、別の方からアプローチを受けていたとのこと。

モテモテですね。

母が父を選び、晴れてお付き合いが始まったそうですが、両家からは猛反対されたそうです。

「目が不自由な子供を心配する親の気持ちは分かるけど、お互いしか考えられなかった」とノロケられました。

どうしても一緒になりたかった二人は、他県にいる母の妹一家を頼って駆け落ち。

ものすごい勇気ですよね。

貧しいながらも明るい家庭

わたしの子ども時代、どんな家庭だったかと聞かれたら「明るい貧乏」と答えます。

両親は指圧師・マッサージ師として自宅で治療院を開いていました。

生活できるだけの収入はあったハズですが、人に押しつけられた借金を返していたため苦しい生活が続きました。

わたし達はまだ小学生で、そんなこととはつゆ知らず。

それでも、家庭の中はいつも明るく賑やかでした。

両親がひょうきん者でしたし、わたし達もその血を色濃く受け継いでいます。

笑いの絶えない家庭でした。

両親のもとに生まれてよかった

両親が障害者というだけで、嫌な思いをたくさんしました。

クラスメイトだけでなく、親を見下し、いじめをしてきた担任もいました。

それでも近所の子達は仲良くしてくれていたので、不登校にならずに済んだと思っています。

仲良しの友だちは、両親に会わせるとすぐにファンになってしまいます。

友だちの人気を集めている両親が自慢でした。

そんな両親が大好きでしたし、両親のもとに生まれて本当によかったと思っています。

両親がいたからこそ、わたしは今ここにいる。

これからも感謝を忘れず、自分を大切にしていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪


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