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菊池信一への手紙を読み解く2

賢治の手紙

書簡239 「1928年7月3日 菊池信一あて封書」 倒れる前の賢治の予定


この手紙を読み解いていきます。
当時の農業技術や賢治の考えを垣間見ることができます。

農村を巡回する約束

「それで約束の村をまはる方は却って七月下旬乃至八月中旬すっかり稲の形が定まってからのことにして」

賢治の肥料相談所の助手のような立場であった菊池信一と、村を巡回する約束をしていたようです。

現代稲作理論からみる巡回延期の判断


現代の稲作理論では、7月中下旬の幼穂形成期は追肥を判断する極めて重要な時期です。7月下旬ないし8月中旬というあいまいな時期の指定はありえません。

前回考察したように、基肥の吸収が遅れているために、賢治は追肥をしない方針だったようで、当時の農業技術では残念ながら打つ手も無いので、巡回を送らせる考えのようです。

現代では基肥が遅く利きすぎて、草丈が延びすぎた場合には、倒伏軽減剤という茎が延びるのを抑える農薬があります。その散布の診断がありますので、追肥の予定がなくても7月中下旬の巡回は必ず行います。

賢治の時代の技術

賢治の時代では伸びすぎた稲は、葉をむしるくらいしか対策がありませんでした。「稲作挿話」で「斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ/むしつて除つてしまふんだ」「ちようどシヤツの上のぼたんを定規にしてねえ/葉尖をとつてしまふんだ」と表現されています。

宮沢賢治 作 「稲作挿話(未定稿)」(発表形)
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202107100000/

次回もこの手紙を読み解きます。

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