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学生時代に就活をサボって卒論を落としかけた話

みなさんこんにちは。3月、出会いと別れの季節ですね。自分は来週介護補助のバイトをやめます。やりがいもあるしかなりいいバイトだったのでは。

そんな自分は3月末から正社員になります。紆余曲折がありましたが、最終的に自分に合ってる気もしてきました。

でも新卒じゃない。
正社員としてはこれが3社目だよ。
学生の時に就活をサボって卒論も落としかけました。人生を振り返るつもりでその話をしていこうと思います。
見苦しい部分が多々あると思いますが最後まで読んでもらえたら幸いです。



新卒で大学を卒業後、私は山梨県を中心に10数店舗を構えるスーパーに正社員として入社しました。
実家は茨城、山梨には縁もゆかりもありません。きっかけはサークルの先輩の紹介でした。「広告の仕事ができる」という話を聞き、現地に赴きました。スーパーを見学し、2度の面接を経て入社に至ります。

入社した理由はいろいろあります。コロナ禍で元々やる気のない就活が余計に行き詰まった。「公務員になりたいが新卒で公務員は甘え」という謎のこだわりがあった。メシが好き。広告なら面白いことがやれそう。



しかし1番の理由は「親元を離れられる」ということでした。母親はメンヘラを拗らせており私が実家から通うことを強制しました。子離れが出来ない典型的な例だったのです。父親はそれに対して肯定的で、なるべく県内の役所や地元企業を受けるように促されました。


そんな両親を尻目に、私は就活を放棄して大学4年に上がる頃にはパチスロとYouTubeに明け暮れました。コロナ禍でサークルもない。大学も行けない。バイトもない。卒論はやる気が起きない。就活はハナから興味がない。

ベッドに寝そべりながらYouTubeを見て気が向いたらジムに行き帰りにスロットをフリーズさせる。そんな生活は10月まで続きました。

夏休みに入る前に、なんとなく受けた会社に1件内定は貰いました。
しかし入社の意思はなく、必要な書類をフルシカトしているといつの間にか内定は取り消されていました。最終的に就活は12月までもつれます。

9月には友達と名古屋旅行をし、サークルの同期と富士急に行ったりとやるべきことをそっちのけで少ない大学生活をエンジョイしました。


流石に焦りを感じたのは11月の入ってからです。
卒論が全く出来ていませんでした。(そもそも授業をバックれている)

就活に関して思っていたことは1つで、「卒業までには行きたいとこに行けるだろう。」という根拠のない自信でした。


卒論はジョージ・オーウェルのルポ小説と創作小説を比較することで乗り切りました。教授に謝罪しzoomで指導を受け、なんとか締め切りに間に合わせることが出来たのです。発表の時、教授が「よく仕上げたな」と言ったことは今でも忘れられません。多分色んな意味が込められています。あとコピペがバレて目の前で留年が決まったゼミの同期も忘れられません。


卒論が終わり、卒業が決まってからは正直記憶がほとんどありません。本当に何も考えてなかったんだと思います。バイトか番長3かYouTubeのどれかです。


両親もそこしか就職先がないならと半ば諦めるように山梨への引越しを許してくれました。引越しの時には車で山梨に向かいました。父親から3時間ほど説教を受けながら移動したことを覚えています。内容はひとつも残っていません。

そんなこんなで大学最後の年を消し炭にした後、山梨での一人暮らしが始まります。

話が散らかりましたが就活サボって卒論を落としかけた話でした。
学生時代の詳しい話、スーパーで働いた時、3ヶ月でやめた営業、1年フリーターをやった感想とか書けたらなと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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