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障がいと健常の間〈狭間の人〉【マイノリティ・グレーゾーンを考える編】

こんにちは。けんごです。
ここでは社会的マイノリティなパートナーを持つ方に向けた不定期の情報を発信しています。




今回は障がい、そしてその狭間の人たちについて。
かなりデリケートな部分だし、誰かを傷付けてしまう恐れもあってこれまでなかなか踏み込まなかったけど、やはりマイノリティを考える上では避ける事ができないテーマです。

まずもってこの障がいという書き方にも個人的にはなんかモヤっとするものもあって、障害障がい、最近では障碍という字を使うべきだという意見もあるようです。この記事では統一して障がいと書いていきます。

・障がいはどこにある?

呼び方、書き方について今回あまり深く考えるつもりはありませんが、まず障がいは一体どこにあるのか?ということが、僕は障がいを語る上で最も重要だと考えています。

身体障がい、知的障がい、精神障がい、心身機能の障がいと、【障がい】とひとえに言っても種類やその度合いは細かく、無数にあります。
障がいについて深く語ったり、議論したりするには知識も理解もまだ乏しいし、とんでもなく長く壮大になりそうなので、今回は自分が発信しているマイノリティにフォーカスしてお話ししたいと思っています。
僕が伝えたいマイノリティについてもう少し拡大すると、健常と障がいの間で揺らぐ、狭間の人たちについてです。


僕の奥さんはバッチリここに当てはまります。
障がいの認定はされていないけれど、社会にはうまく溶け込めない。居場所がない。
かと言って社会的に支援が必須な方たちにも含まれない。
そう考えた時に障がいはどこにあるのか?

簡単な絵でなんかアレですが、この絵の中央、社会や常識というルール、枠を形成している壁こそが人を隔てる障害なんじゃないかと思います。

少し話しは戻りますが、この考え方なら別に書き方なんて障害でも障がいでも何でもいいんじゃないか?と思ってしまいます。
人間自体の、他者との大きな(小さな)違いを指しているんではなくて、人間同士の、僕とあなた、その間にある人間が立てたルールのような壁を障害と呼ぶのなら。

・仕分け切れないグラデーション

じゃあこの邪魔な壁は何を区切っているのか。学校を思い出すとわかりやすいかもしれません。

僕の小、中学には特別学級がありました。そこではダウン症の子や、思い返すと自閉症だったのかな?というような子たちが過ごしていました。

誤解無く、恐れず当時の素直な印象で言うと、「ヤバいやつおるなぁ」と思ったりすると同時に、色々と察しないといけない空気感を子供ながらに感じるわけですね。「優しくしましょう」みたいな感じとか。
そしてそんな子たちとは分断された全く別の環境(教室)で過ごす。
そんな学校の仕組みだったんだけど、今でも対して変わっていないのかもしれない。
結局どうするのがいいのかわからない。障がい者には優しくしましょう。と、そのまま壁を作る事で、見えなくしたり、考えたりしなくていいようにしてきたのかなと思います。

この学校での社会とは何か、常識とは何か。それは多分、
・一回45分程の授業を集中して受けられる
・決められたプログラムについていく事ができる
・協調性を持って他人と過ごせる
・・・
など、大多数の人が問題無くクリアできるとされているようなルール

これができるかどうかが大きな判断基準になるのかなと思います。こうしてできる事と出来ないことで二分する事で、生きる世界を分け、効率的な社会(学校)を作ろうとしていたのかなと。

話し出すとそもそもの今の学校教育への疑問に繋がってくるので今日は深くまで掘り下げませんが。。

だけどこんなハッキリ2つに分ける事なんて難しいと思うんですよ。こんな狭い、誰が作ったか知れない常識とルールで縛って、その中で上手く過ごせない子なんて沢山居ると思うんです。

多分そんな子は教室にも特別学級にも自分の居場所を見つける事ができないんだと思います。
だから保健室や登校拒否(不登校)といった、どちらでもない選択をするしか無くなる
そしてそこにしか居場所が無いのに、枠の中でも外でも、どちらでもないために誰からも理解されない。


怠けている
サボっている
弱い

と、枠の中の判断基準で判断されて誰にもわかってもらえず、自分だけが世の中からはみ出しているような気持ちを感じながら過ごすしかないのが今の狭間の人たちの現状なんじゃないかと思います。

ちょっと高く描きすぎてるけど、この社会、常識の壁みたいなものの枠の中と外を行き来しながら、そのたびに壁に引っかかって足を取られて転んでしまうような、そんな生きづらいような生き方をしてるのが狭間の人たちなんじゃないかと思うのです。

・わたしたちができること

社会に出てもなかなか居場所が無いというのが狭間の人たちの現状だと思います。
就職しても、なかなか会社に馴染めずにすぐ辞めてしまったり、自分のやり方で仕事を始めてもうまくいかなかったり、、、。

社会では、学校とは違って決められた期間も無く、常に誰かと関わりながら生きていかなくてはいけません。
そんな時、少しでも寄り添ってくれる存在があるだけで救われる気持ちもあると思っています。なので、あなたが力になりたい狭間の人がいるのなら、その人の保健室のような存在になってあげてください。

狭間の人たちはただ生きづらいだけではなく、誰もが持ち合わせ無いような沢山の魅力も持っていて、個人的には才能に溢れた人が多いと思っています。
「助けてあげたい」という気持ちよりも、僕はただ、この人の輝きをもっと見てみたい!という興味の方が強いだけな気もします。
狭間の人となら、面白い世界が見れるのかなと毎日ワクワクしています。

あなたやあなたのパートナー、支えてあげたい、力になりたい方にとって素晴らしい日になる事を願っております!
最後まで読んでいただきありがとうございました🙏

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