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キャリアバラエティvol.51 柿原寿人(かっきー)さんの場合

キャリアバラエティ、今回ご紹介するのは、ビジネスゲームで人や組織、社会の課題を解決する会社でファシリテーターとして活動されている柿原寿人さん、通称かっきー。高校教員を長く勤められたかっきーが学校からフィールドを移されたきっかけや、教師になろうと思ったいきさつ、これからの活動についてお聞きしました。




【柿原寿人(かっきー)さんのキャリアバラエティ1/5】

三潴郡三潴町、現在の久留米市で育ったかっきー。子どもの頃は体が弱く、幼稚園や小学校を休むことも多かったとか。勉強ができたこともあって、学級委員をやったりとクラスの中心的な存在でしたが、小学校も高学年になると、足が速い子や面白い冗談を言う子など、個性豊かな同級生が台頭し、徐々に存在感が薄くなってきた感覚があったそうです。


実はこの頃にかっきーの原体験とも言える出来事がありました。小学校6年生の頃、1泊2日の合宿型の研修があり、グループ内で自主的にリーダーを決めることになりましたが、かっきーのグループはなかなか決まりません。業を煮やしたかっきーが「俺がやるわ」と立候補してその場は収まりましたが、それを見ていた同級生からの「お前、本当はリーダーやりたかったんだろ?」の言葉が胸に刺さります。今振り返って、この出来事は、人前に立つのが苦手で、周りの人からの反応が気になる自分自身の性格を形作るものだったのかもしれない、と思われているそうです。


中学時代は時代的な背景もあってか、学校の環境があまり良くなく、部活(野球)に明け暮れていた日々だったとか。高校時代も同様に、部活(卓球)が中心で、仲のよい友達との交流は楽しかったけれど、あまりよい思い出はなかったそうです。




【柿原寿人(かっきー)さんのキャリアバラエティ2/5】

進路選びのきっかけになったのは、親戚の家にあった漫画「生徒諸君!」でした。当時の先生たちとあまりよい思い出がなかったことから、教師に対して不信感を持っていたかっきーですが、だからこそ「何を勉強して先生という職業になるんだろう?」と興味があったとか。「生徒諸君!」は主人公のナッキーが教師を目指す物語ですが、漫画の中で新設の大学に進学するナッキーのセリフ「自分が歴史を作る」に感銘を受け、当時、設立されたばかりの鳴門教育大学に進学します。


当時1学年140程度でほぼ全員の課をと名前が一致する規模の小さな大学でしたが、鳴門での暮らしは何もかもが新鮮だったそうです。自然が豊かで、人が温かい。関西圏でもあるため、ボケとツッコミなどコミュニケーションも活発。人と関わるのが苦手だったかっきーですが、4年間の鳴門暮らしで人が変わった、とおっしゃいます。


卒業後は教員になることが既定路線ではありましたが、このまま社会に出てしまってよいのだろうか?との迷いもあり、外の世界を見てみよう、とワーキングホリデーを活用してカナダに行きます。バンクーバーのスキー場で働き、1年後に帰国、再び大学に戻り、卒論を書きながら、大学院の授業を受けるなどして今後の進路を模索していました。



【柿原寿人(かっきー)さんのキャリアバラエティ3/5】

言語学を学びたいと思っていたかっきーに大阪大学で学ぶ機会が訪れます。チャンスではありましたが、同時に難しいチャレンジでもあります。迷っていた時に、中学の先生から「迷ったら難しい方をとったほうがいいよ」と背中を押され、大阪大学で研究生として学びます。


そんな時、高校時代の友人と再会します。友人が働いていた保育園に遊びに行った時のこと。ここでは障害のある子どもたちも一緒に在籍していました。これまで教育実習などで子どもの扱いには慣れている自負がありましたが、何もできない、関われなかったことにショックを受けます。その時に言われた「自分の中に差別心があるからだよ、こうすべき、こうしなくちゃいけない、があるからだよ」が突き刺さり、部落差別に関わる活動をしているパートナーと出会ったこともあって、学校教育に関わろう!と決意を固めます。


差別に関する取り組みに熱心な徳島の中学校で任期付ではありましたが、働き始めます。そこでは子どもたちが自分たちのことをリアルに語り合うなど、先駆的な取り組みがなされていました。




【柿原寿人(かっきー)さんのキャリアバラエティ4/5】

徳島の中学校での経験を経て、学校の先生になることを決意。地元、福岡に戻り、高校の教員となります。最初に赴任した高校では、人権問題にも取り組むことができ、部活動の顧問や進路指導など様々な経験しました。次の赴任校でも進路指導で実績を残すなど、高校教員としての仕事に邁進していましたが、一方で悩みや葛藤もありました。国公立大学の合格数だけが重要なのか?大学に行くことだけが幸せなのだろうか? 管理職(教頭)の登用試験を受けるように促されるなどかっきーの立ち位置も少しずつ変わっていきます。

そんな時に、私立のミッション系の学校から声がかかります。管理職になると担任が持てない、英語を教えることができないけれど、私立で勤めれば引き続き担任ができて、授業もできると考え、公立学校の教員を退職します。


新しく移った学校ではちょうど探究学習の取り組みが始まったばかりで、かっきーが担当になります。テーマ探しからスタートする過程で、まだ世の中でそれほど認知認知されていなかった「SDGs」に出会います。その後、カードゲームに出会い、ファシリテーター養成講座に通い、ファシリテーション協会の活動に合流するなど、学外での学びを広げていきました。




【柿原寿人(かっきー)さんのキャリアバラエティ5/5】

学校内での探究学習にとどまらず、学外での学びが広がっていく中で、学校で教えられることには限界があるのではないか?という疑問が沸々と湧いてきます。もしかすると学校でなくても教えられること、関われることはたくさんあって、対象は子どもや学生、生徒だけではない。学校の外で自分の力を使うことができるんじゃないか、と考え始め、SDGsカードゲームで出会った現在の会社に合流することになりました。

これからの野望(!)をお聞きしたところ、「これまでは地域との関わりをあまり持ってこなかったけれど、これからは地域課題にきちんと向き合っていきたい。地元の価値をどう上げていくか?をライフワークに繋げていけるといい。」と語ってくださいました。

「これまで、仕事選びやキャリアはデザインしていなくて、流れに任せて泳いでいただけ。変化や新しいことにわくわくする性分なので、やったことがないことに価値があると思っている。」とおっしゃるかっきー。きっとこれからも、新しい世界を面白がりながら泳いでいかれることと思います!



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