見出し画像

食べる楽しみ、喜び

食べることは、気持ちよし、楽しい。

36年ある程度いろいろなものを食べたつもりだが、いまだに新しい驚きや、新しいおいしさと出会う。
食べることは、何かの命を奪わなければならない私たちの生を再認識させる。同時に、空腹を満たし、おいしさや創作の喜びを私たちに与える行為である。

食べることについて

人間は食べないと死んでしまう。
これは自明のことだ。

食べることはただの必須の行為というだけでなく、あるいは必須だからこそ喜びを得ることにつながる。

また、食べること・エネルギーを得ることとは、常に何かの犠牲の上に成り立つ。サプリメントだけで生きる、マトリックスの世界のように栄養液の中で生きる、というのもあるかもしれないが、そのエネルギーや素材を生み出すためには必ず何かの生を奪う。

犠牲を伴うことは、命を頂くということを再認識させる
菜食は、命の犠牲ではないように感じるが、植物の命を頂いている。そのうえ、もともと住んでいた生物たちから、土地を奪い、野菜の生育家庭ではいろいろな生き物を捕殺したりもする。
この生々しい事実を忘れてはならない。

食事の楽しみ

食事では、空腹を満たすということに加え、そのおいしさへの感動や、おいしさの意外性やそれを生み出す組み合わせに対する驚き、さらに食事を作る過程がある場合は創作の楽しみが伴う。

ほかにも、誰かと食べるということは思い出につながる。おいしいものを食べる時間を共有することは、人と人の間をつなぐ。

いろいろな楽しみがあるが、食事の楽しみが尽きないことについて少し踏み入って考えてみたい。

なぜ、食べ物には驚きが多いのか?

冒頭で、食事や食べ物では新しいおいしさが絶え間なく生まれていると触れた。
次から次へと、新しい話題店が出てくる。
あまりそれらに並ぼうとは思わないが、時々贈り物や手土産で食べることがあり、どれも味や食感や見た目など何か新しくて面白い要素がある。

食べ物に関してここまでイノベーションが生まれる理由は以下のようなポイントでなかろうか。
・食材の種類が多い:同じコメであっても品種までカウントするととてもすごい数になる。また、同じ品種であってもその鮮度や、血抜きなどの下処理で驚くほど変わる。
・料理の種類が多い:和・洋・中・・・・、焼き・蒸し・生・・・、料理のカテゴリから、下ごしらえ、調理法、組み合わせはほぼ無限といってもよい。
・食材組み合わせで味が大きく変わる:牛蒡と牛肉、アボカドとマグロのようなよく合うという組み合わせがたくさん存在する。飲み物と食事の組み合わせも掛け算のようにおいしさを倍増させるものがある
・だれもが創作者になれる:調理は最も身近な創作だ。そのうえ、近年ではスーパーであらゆる食材が手に入るし、ネットで様々なノウハウを入手することができる。

料理は誰もがイノベーションを体感できるものになっている。
おいしさについてある程度のルールがあるが、その自由度は高く、組み合わせの数は無限大、さらにノウハウがオープンソース化されている。

今年も、命に感謝しながら、おいしく大切に食べる工夫をしてみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?