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私が中心のHappiness        あなたが中心のHappyness

先日「幸せのちから」という映画を見た。
ざっくりいうと、セールスマンがどん底から這い上がって一流証券会社に入り、その後成功を収めるストーリーだ。

映画の8割くらいはとてつもなく辛いシーンが続く。
商売道具を失い、家賃滞納で家を追い出され、駅のトイレで一晩を過ごし、上司の依頼で大事なチャンスを逃す。
明日さえ見えない困難の中でも諦めずに努力をして成功をつかみ取る、というところに心を打たれた。
作中の以下の言葉にもそれが表れている。

夢をもったら、守りとおせ

だが、僕の心に最も残ったのは、Happynessという単語だ。

英語のタイトルは、「Pursuit of Happyness」。
Happinessではなく、誤ったつづりのHappyness。
息子の保育施設の外壁の落書きのミススペルを主人公は何度か指摘する。

この「I」ではなく「Y」であることには何か意味があるのであろう。
これは、「わたし」か「あなた」かという意味なのだと思う。

私が真ん中にいる正しいつづりのHappinessではなく、この映画ではあなたが真ん中にいるHappynessがタイトルになっている。

主人公が苦しい現実を生き延びるときにはいつも息子がいて、成功した時の喜びを一番に伝えたのも息子だった。
息子も父のために強くあろうとした。

互いが自分のためにはもちろん誰かのためにも強くあろうとする、依存ではなく支えあうような関係とそれによって生まれる誰か/何かがいることで感じるのがこのHappynessなのだろう。

幸せにはいろいろな種類がある。
誰かと比べることで幸福を感じる地位材のようなものもその一種だろう。
心地よい朝日を浴びる、ただ生きていることに感じるのもある。
'You'と互いを尊敬して助け合う中で感じるものもある。

最後のもの、今回のHappynessの解釈のものには、大きなエネルギーがいる。ついつい甘えて自分のことを優先したくなったり、当たり前に感じていつの間にか感謝できなくなってしまったりするからだ。

改めて、身近な人に感謝を感じる。

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